昨日(17日)からお彼岸に入りました。
暑さ寒さも彼岸まで…と言われますが、今年は、まだまだ春が足踏みのようです。
どんよりとした、日が続き、なんだか元気がでない私です。
高齢になると(85歳の叔母の介護をしていると…)、冬・季節の変わり目・梅雨時・夏が、
要注意と叔母のケアマネが、教えてくれました。
この寒い冬は、なんとか乗り越えた。次は、季節の変わり目も気を付けてあげよう。
ご高齢のご両親様がいらっしゃる方は、この季節の変わり目で、認知症が発症しやすい、
ようです。遠路にお住まいの方は、特にご注意してあげてください。
さて、今日は私の愛読誌「高野山教報」から、松長管長様のその1の続きです。
ご紹介します。
いのり ~思いどおりにならない~
高野山真言宗管長、総本山金剛峰寺座主 松長有慶
一、思いどおりにならない(その2)
私たちが「祈る」という時には、いろいろの場合があるようです。生命の危機に出会ったときに
祈るのは、助けてくださいという悲鳴に近い祈りでしょう。それに似ているけれども、それほどの
切迫感がないのが、神社や仏さまの前で手を合わせ、家族の平安や商売の繁盛、あるいは
志望校の合格などを祈願するといった現実生活上の祈りです。
このような祈りが人間にとって最も一般的で、タイプとしては一番多いものと思われます。
こうした日常的な生活の営みを「さらによくあれかし」と祈ることは、現世利益といって本当の
信仰にとっては邪道だという見解もまま見受けられますが、それはかなり極端な考え方で、
この点については後で詳しく検討します。
神さまや仏さまの前で、自分勝手な願いを述べ立てて祈るのはいかにもさもしい。
神仏に対する祈りは、現状の生活の安定に対しての感謝でなければならない、という
意見もあります。
宗教評論家のひろ・さちやさんは、現世利益を求める祈りを、請求書の祈り、一方、感謝の
祈りは、領収書の祈りと名付けておられると聞きましたが、それぞれの祈りの性格を分かりやすく
説くという点では納得がいきます。といっても私たちにとっては、どちらがいいかという価値を
比べるのではなく、各人の信仰によって選択すべき問題だと思います。
神仏の前で、現世利益を祈り、あるいは感謝の祈りを捧げるだけではなく、祈りを通じて、
自分の心の平安を求める姿勢がより大切だといえます。
心の安らぎを求めるのは、お坊さんや神主さん、神父さんといった宗教の専門家だけでは
なく、一般の信徒にとっても大切な問題です。
在家信者の場合は本を読んで理解するだけではなく、それぞれの宗教の専門家の的確な
指導が欠かせません。
仏教の場合、僧職にあるお坊さんの心の安らぎを専門の言葉では、涅槃(ねはん)とか
解脱(げだつ)、わかりやすい言葉で言えば、悟りといえるでしょう。
あまり一般的ではありませんが、仏教の専門的な言葉で、心の安らぎを「安心(あんじん)」と
いいます。宗教の別、宗派の違いによって、それに至る方法はさまざまです。
その他に神仏の前で、何かの誓いを立てて祈り、その約束を果たすべく努力を重ねる誓願の
祈りもあります。
さらに自分がなにかの功徳を積んで、その功徳を苦しくでいる人や悩んでいる人に差し上げる
祈りもあります。それは仏教では廻向(えこう)といいます。
また亡き人を偲んで、その生前の功績をたたえ、偲ぶ追悼の祈りは一般によく行われます。
普通、私たちが「祈り」という言葉で表す行動は、ざっと数えてもこのくらいあります。
それぞれ性格が違いますので、それぞれについて次から詳しく説明することにします。
家の中なのに…空気清浄機も使っているのに…
目が…痛い…開けられなくなりました… あーーーー。。。。
みなさま、季節の変わり目、体調管理に十分、ご配慮下さい!
がんばりましょうー
『変形性股関節症に負けないでね!』