変形性股関節症に負けない『心と身体』を目指して -運動指導士 彦坂惠子-

踊りが命と舞台と指導に明け暮れていた私が突然変形性股関節症と言われ、手術をし引退したが現在運動指導士として活躍中

父ちゃんへありがとう

2012-09-20 15:06:35 | 心のこと

 昨日から彼岸に入りました。
 早々とお墓参りも終えました。
 暑さ寒さも彼岸まで…
 やっと、朝晩はクーラーがいらなくなりました。 やれやれ。
 電力使用量のお知らせが、東京電力から入りました。
 前年比より、多少多かった(随分節電、頑張ったはずなのに…)

 それだけ、猛暑(湿気がかなり多かったように感じました)だったのでしょうーか?


 今日は、彼岸中なので私の愛読誌「高野山教報」から、ご紹介します。




               『父ちゃんへのありがとう』
                               小牟田 昌彦(鹿児島県 法城院住職)

 中学2年生になり、私は反抗期を迎えました。素直に話をすることが出来ず、父にも暴言ばかりでした。
 明日が遠足というある日、父に言いました。
 「もう弁当は作らんでもよかよ。かき揚げ弁当は食べ飽きた」。
 それは嘘です。

 いつも朝5時に起きて一生懸命頑張っている父を、3時に起こしたくなかったのです。
 でも口ではひどい言葉になってしまいます。
 父は「ああ、そうか」と言ったきりでした。

 次の日、テーブルの上にはいつもの弁当がありません。
 整復のポケットにチューインガムを一個だけ入れて遠足へ向いました。
 お昼になるとみんなが弁当の輪を広げ始めます。私は離れたベンチで一人で景色を眺めていました。

 すると遠くの方から「おーい」という声が聞こえます。
 一生懸命手を振っている父でした。父はそばまで来ると紙袋を渡します。
 私は先生や友達に見つかったら恥ずかしいという思いでいっぱいになり、早く帰るように言いました。

 渡された紙包みを開けてみると駅弁が一つ入っていました。
 そのころは近くに弁当を売っている店もコンビニもありませんでしたので、父は50CCのオートバイで
 一時間半かけて駅弁を買いに行き、お昼に間に合うように届けてくれたのです。

 その駅弁を食べようとしたを向いた時、涙が溢れました。
 涙が次から次へと溢れて弁当の上にぽたぽたと落ちていきます。家に帰ったら
 「今日はごめんなさい。弁当を持って来てくれてありがとう」と絶対に言おうと思いました。
 でも家に帰って顔を見るとどうしても言えません。言えないまま時間が経ち、そのことさえ忘れておりました。
 
 それから私は高野山へ修行に行きました。
 修行が終わった頃乳が病で倒れ、お寺に帰り父との生活がまた始まりました。
 父はついには車いすの生活になりましたが、たいへん気を遣う人でしたので、家の外に行こうと言っても
 なかなか、うん、とは言いませんでした。

 でも、気持ちのいいある春の日に、
 「今日はいい天気だか海に行きたい。海に行って船に乗りたい」と言いました。

 知り合いの船に父を乗せ、二人で錦江湾ほぐるぐる回りました。
 だんだん日が傾いてくると、鹿児島市内の方が夕焼けで茜色に染まります。
 静かな港に船を泊め二人で夕日を眺めていると、父が私を呼びます。
 そばに行くと、夕焼けを見たままそっと手を伸ばして私の手をしっかりと握り、

 「ありがとうね。父ちゃんはお前が一番好きやった。父ちゃんはお前の父ちゃんでよかった」
 と言ってくれました。
 私の心の中で硬い殻のようなものがぱちんと弾けました。

 「父ちゃん、本当に今までごめんなさい。今までいつもありがとう」。
 長い時間がかかって私は父にこの言葉を伝えることが出来ました。

 ただ一言、ご自身の一番大切な人に、心をこめて素直になって
 「ありがとう」と伝えてあげていただきたいのです。





  パソコンに向いこの文章を入力するのに… 
    キーの上に涙が溢れて落ちました。 鼻水もでました。

    亡き母親へもっとありがとう、と言ってあげればよかった… と後悔しています。
    どうぞ、生きているうちに…
    (行動での)親孝行と(言葉での)「ありがとう」を!!  と
、私も思います。



          『変形性股関節症に負けないでね!』


 

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