昨日は、大雨で気温3度という荒天でした!
そんな日の‘きらら体操教室'は、やはり…
…健脚でお元気な(痛みの少ない)方たちに限られます!
致し方の無いことですが、やはり一瞬ですが…寂しい気持ちになりました。
いつも、すべって「転んだらどうしよう?!」という不安が潜在意識(深層心理)の中に
あるからですね…
転んだら、大変ですから…当たり前ですが、「負けたくない!!」ってまた…思いました…!
今日は、やっと叔母がデイへお風呂(入浴)を目的で行ってくれました。
やれやれ。。。
でも、14時(本調子で無いので長時間は無理なため…早く迎えに行く)
に送ってもらえないので…今日は、一人で14時にお迎えにこれから行きます。
人生は、思いどおりにならないことばかり…ですが、そんなことを考えていた時に、
届いた私の愛読誌「高野山教報」を読んで、少し心が落ち着きましたので、皆さんにも
ご紹介します。
『いのり』
高野山真言宗管長・総本山金剛峰寺座主 松長有慶
一、思いどおりにならない (その1)
戦後、日本人の平均寿命は飛躍的に延びました。私たちの子どもの頃に、
「村の私の船頭さんは 今年60のお爺さん 年はとってもお船をこぐ時は
元気いっぱい櫓がしなる」という歌がありました。
その時分、六十歳はまぎれもなくおじいさんでした。
いま60歳の方はまだまだ壮年で、隠居する年ではありません。
平均寿命が延びたおかげで元気な老人が目につくようですが、一方、体のどこかが不調で、
寝たきりになり、あるいは家族と離れて独居し、不自由な生活を余儀なくされておられる方
も少なくありません。
私は若い時に父を亡くしましたが、母は93歳まで長生きしました。
母は健康でよく働き、あまり人に迷惑をかけるような人ではなかったのですが、90を過ぎて
やはり、体のあちこちに故障が出て、よく愚痴をこぼして、体が思うようにならないと
「早く死にたい」と口に出して、家族を戸惑わせていました。
最初にこの言葉を聞いたときには、驚き慌てましたが、何度もきいているうちに、ハッと
気が付きました。死にたいとうわごとのように言っている言葉は、本当に死にたいと思って
いるのではなく、早く元のような体に戻りたいという、母の必死な祈りではなかろうかという
ことです。
病気になって寝たきりになり、万事が思うに任せぬ体になって、お医者さんも当てにならぬ、
家族だってどうしようもないということが、本人に十分わかっているからこそ、このような
言葉が繰り返されるのです。
私たちは生きているうちに、思いどおりにならないことが次々と襲い掛かってきます。
歯をくいしばって何とかその苦難を打開し、先に進みたいと思っていても、どうしようもない
事態が度々起こります。
もちろん現状で考えられる限りの手を打つことは当然のことです。
「人事を尽くして天命を待つ」ということわざが日本にあります。
あらゆる努力を傾注して、なおその上で襲ってきた苦難の首尾よい打開を期待するとすれば、
神仏に頼らざるを得ないでしょう。
いやいや私は神や仏を頼りにはしていない。あくまで自分の力を信じているから、と仰る方も
おられましょう。とはいえ、人間はそれほど強いものではありません。
神とか仏という具体的な存在ではなくとも、何かにすがり、祈るのは、もともと弱い人間に
とって当然の行為といえます。
仏教のみならず神道でも、キリスト教、イスラム教でも、あらゆる宗教において「祈る」という
行為はいずれも基本となります。
神も仏も信じていない人でも、日常生活の中で、何気なく「いのる」という言葉はよく使います。
手紙の終りにご多幸を祈りますとか、お弔いの時に、ご冥福を祈ります、という言葉はごく
一般的に使われています。
書いていたら、少し心も晴れてきました。外も小雨がやみ…これから、温度も上がって
4月の気温になるそうです。
朝から、くしゃみが20回くらい出ました。花粉症の薬を2日間飲み忘れました。
暖かくなると花粉も飛んで……やっぱり、思いどおりには、いかないことばかりです。
頑張ります!
『変形性股関節症に負けないでね!』