雨は、止みました。風が強くて湿度も高く…
洗濯物が外に出せません。
明日は、きらら体操教室があります。
きららの皆様、ご心配おかけしております。
体調、整えました。元気出ました! 大丈夫です!!
明日は、希望者のみ レッスンの前の
10時にテニスボールほぐし、鉛筆を使った 3軸の確認、致します。
テニスボール2個 鉛筆2本 お持ちください。
今年は、高野山開創1200年 の年です。
今日は、私の愛読紙 「高野山教報」から、ご紹介します。
『観音さまの慈悲の心』
吉武 隆善(高野山本山布教師)
菩薩の用心は、皆慈悲をもって本とし、利他をもって先とす。
これは、お大師さまが書かれた「秘蔵宝鑰」に出てくるお言葉です。
菩薩の行と願いは、「世の中を救うために慈悲の心で他人に利益を施すことに
尽きる」ということです。
菩薩、特に観音菩薩は慈悲の仏さまとして皆に慕われています。
数年前、冬至小学校4年生の息子が、本堂で仏さまをいろいろと観察していた時、
こんなことを言ってまいりました。
「あの剣を持って後ろに火がついている仏さまは、不動明王さまやろ。
頭がつるつるしたのは、お地蔵さまやね。そしたら、こっちの優しい顔した
男か女かわからんような仏さまはなに」
そこで私が、「それは観音さまよ」と答えると、
「観音さまってどんな字を書くの」と聞くので、
「観は観覧車の観、観るっていう意味があるのよ。のんは音っていう字を書くの」
と答えました。
息子はさらに、
「へえ、音という字はのんって読むの。それで観音さまはどんな仏さまなの」
と聞くので、
「観音さまっていうのは、この世の中のどんなところもご覧になれて、
どんな音もお聞きになることができるの。そしてどこへでもお姿を現すことが
できるのよ。だから、どこかで苦しんだり悲しんだりしている人がいたら、
自由にその人の所に飛んで行って救ってくださる慈悲の仏さまよ」
と申しますと、
「慈悲ってなに。ひいじいさんの反対や」と言うので、
「違う違う、慈悲って言うのはね、いつくしみ哀れむ心よ」と言うと、
「慈しみって何。哀れむって何」と、言ってきました。
そこで、私は
「他の人の苦しみや悲しみを自分のことのように悲しむ深くあたたかい心よ」
と言うと、
「なにそれ、どんな心」と言ってきました。
何にでも興味を持って次々に聞いてきます。
そこで私が、
「たとえば、あなたが病気になったら、おかあちゃまはとても心配やし、
早く治ってほしいと思うわ。学校から帰ってきて元気がなかったら、どうしたのかなあ、
とすごく心配するよ。そんなこころのことかなあ」と言いますと、
「ふーん。そうなん」と、納得したのかしないのか、そのままその会話は
終わってしまいました。
それから、私の心の中で、慈悲とはいったい何だろう。
人の苦しみや悲しみを自分のことのように悩み悲しむ深い心とはどんなものだろう。
子どもには子どものことを心配する母の心と伝えたのだ、それでよかったのか。
ましてや観音さまの慈悲の心は、もっともっと大きいものです。
観音さまには三十三身のお姿があるとされ、それが三十三観音霊場の札所の起こり
ともなっています。
いろいろなお姿がありますが、中でも、准柢観音は、七億仏の母で、仏母観音とも
いわれています。
また、慈母観音はみるだけでも心が救われるような気がいたします。
慈母、仏母、共に母という文字が使われます。
慈悲の心とは、母のような慈しみの愛情なのでしょうか。
たとえば、自分の子どもが事故にあったという知らせを受けたとします。
何を着て病院に行こうかとか、お化粧を直そうとか考えますか。
考えませんよね。着の身着のまま、髪も振り乱してどの道を通っていったか
わからない状態で、病院に駆けつけます。
地震があったとします。まず自分よりも子どもを助けようとします。
こういった母親が子どもを無条件に苦しみから救ってあげようとする心、
これが慈悲の心なのです。
菩薩の用心は、皆慈悲を持って本とし、利他を持って先とす。
菩薩の行と願いは、世の中を救うために慈悲の心で他人に利益を施すことに
尽きます。
母親が無条件で子どもを救おうとする慈悲の心を元にして、それを他の衆生にも
向けて、助けてあげること、それこそが、お大師さまの願いであり、われわれ
衆生の本来の姿でもあるのです。
どうぞ、心奥に入ってしまった慈悲の心を呼び起こし、他人に利益を施しましょう。
すこしでも、みんなが、、
私が私が…という我 を捨てて、他の方のために誰かのために、
お役に立てる 心 が 芽生えたら…
世の中、住みやすくなるはずですよね~。。
人様のお役に立てる、私 になれるように、精進したい! と思います。
『変形性股関節症に負けないでね!』