舞い落ちる桜の花びらを掴むと幸せになれる。
というようなことを聞いたようなことがある。まあ、縁起がいいということだろう。
今朝も、歩いていて、3枚取り逃がしたあと、両手で掬うように1枚捕まえることができた。そうっと両手を開いて、左の手のひらに移そうと思った瞬間(右手でブログ用の写真を撮ろうと思った)、ひらひらと、逃げていってしまった。
桜の花びらは、私の手を逃れたところで、他の数万枚の花びらと共に朽ちていくだけなのに。
さて、もし桜の花びらを掌中におさめていたら、果たして私は”今”より、幸せになっていたのだろうか。それとも、誰かが、今ごろ私を陥れる陥穽を仕掛けているだろうか。
何もわからない。誰も私のことを思っていないかもしれないし、とても深く妬んでいるかもしれない。
過去を書き換えることはできないが、将来を描くこともできない。
それでもビジョンを持つことは大切だし、目標がなくては何処へ向かっていけばいいのかがわからない。
桜の花びらをつかみそこねた私は、不幸せになったのかもしれないが、不幸せは幸せのカウンターパートに過ぎない。
幸せを感じるのは、私であり、それは"気の持ちよう"で、どうとでもかわる。
笑う門には福きたる、喜びを感じ、周りの皆と分かち合うことができたら、幸せだと思う。