1991年に結婚して、今日は20年めの節目の結婚記念日。

これまでのことがいろいろ思い出される。何にもまして幸せなことは、妻ともども生きていることだろう。
私の前半生は最低の人生だったが、妻と出会い、救われた。
いまだに、動かせない過去を思い出しては落ち込み、相変わらず仕事には自信が持てず、人生なるようにしかならないと、諦観めいたものを持って、毎日を送る。
春先になったというのに鬱からもなかなか脱することもできない。ブログの記事にしてもどちかというと、ネガティブなものが多いし、さもなくばネガティブな自分の考えに打ち勝とうという思いから、自らを鼓舞するようなものだ。
それでも、自分が伴侶とともに生き長らえていることが、いかに幸せで喜ぶべきことかは、いまさら確かめる必要などない、自明のことだ。

妻との出会いが無かったら、おそらくはとてもつまらない人生を送っていただろう。
怖いもの知らずで、自堕落な生活を好んで続け、周りに迷惑をかけるだけの困った人間。
仕事に関しては、プライドばかり高く、ほとんど勉強しない、ただの嫌な医者。もちろん、病理医などにはなっていなかったろうし、なったとしても続けられなかった。
自制心の無い人間なのでタバコも決してやめることは無かったろう。
今でも、多少そうした芽が、心の中に見えると、すごく怖い。
妻は若い頃目指していた道を断念せざろう得なくなった、挫折も経験している。
それでも、日々前向きに生きている。そういう日常の中で、こんな私に生き方を教えてくれる。感謝しなくてはいけない。
妻以外の女性と結婚していなかったらどうだっか、ということに意味は無い。過去を変えることはできない。
これからも、永く一緒にいられるよう、お互い、努力を続けていこう。

これまでのことがいろいろ思い出される。何にもまして幸せなことは、妻ともども生きていることだろう。
私の前半生は最低の人生だったが、妻と出会い、救われた。
いまだに、動かせない過去を思い出しては落ち込み、相変わらず仕事には自信が持てず、人生なるようにしかならないと、諦観めいたものを持って、毎日を送る。
春先になったというのに鬱からもなかなか脱することもできない。ブログの記事にしてもどちかというと、ネガティブなものが多いし、さもなくばネガティブな自分の考えに打ち勝とうという思いから、自らを鼓舞するようなものだ。
それでも、自分が伴侶とともに生き長らえていることが、いかに幸せで喜ぶべきことかは、いまさら確かめる必要などない、自明のことだ。

妻との出会いが無かったら、おそらくはとてもつまらない人生を送っていただろう。
怖いもの知らずで、自堕落な生活を好んで続け、周りに迷惑をかけるだけの困った人間。
仕事に関しては、プライドばかり高く、ほとんど勉強しない、ただの嫌な医者。もちろん、病理医などにはなっていなかったろうし、なったとしても続けられなかった。
自制心の無い人間なのでタバコも決してやめることは無かったろう。
今でも、多少そうした芽が、心の中に見えると、すごく怖い。
妻は若い頃目指していた道を断念せざろう得なくなった、挫折も経験している。
それでも、日々前向きに生きている。そういう日常の中で、こんな私に生き方を教えてくれる。感謝しなくてはいけない。
妻以外の女性と結婚していなかったらどうだっか、ということに意味は無い。過去を変えることはできない。
これからも、永く一緒にいられるよう、お互い、努力を続けていこう。