こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

不条理ではない、これが現実なのだ

2011年04月27日 | 日々思うこと、考えること
自分のおかれている状況、不条理と思うことが多い。


なぜ、物事は自分の思惑どおりに進まないのか。

なぜ、ホームへの階段を急いであがろうとすると、スポーツサークル風の大学生20人ぐらいの集団が楽しそうに騒いで、私の行く手をふさぐのか。
なぜ、駅を出て道を歩くと、10メートル先の人がタバコを吸っているのか。
なぜ、ブログのアクセス数が気になるのか。
なぜ、ブログなど、毎日書いているのか。

なぜ、人は恐怖を感じるのか。
なぜ、土地の値段は高く、土地を持っている人と、持っていない人がいるのか。

なぜ、病気はあるのか
なぜ、生命は起こったのか。
なぜ、発癌のメカニズムを研究するのか。
なぜ、なぜ、なぜ

なぜ、考えはとりとめもなく、あちこちに飛ぶのだろうか。
何も考えなくても、私は在る。

なぜ、地震は起こるのか。
なぜ、無理矢理住むところを奪われる人がいるのか。

なぜ、私のことを嫌う人がいるのか。
なぜ、人のことを好きになるのか。
なぜ、秘密があるのか。
なぜ、私は存在しているのか。
なぜ、人は生きようとするのか。
なぜ、私は死ぬのか。そして、人がいつ死ぬか、なぜ、そのことを誰も知らないのか。
なぜ、死刑はあるのか。

なぜ、私は、こんなしょうもないことを考えているのか。

すべてのなぜが説明されることはありえない。
今から、1分後に天変地異が起きても、私はそのことを不条理だと思うだろうが、現実として受け入れるしか道は無い。想定の範囲は、私が生きている限りにおいてのみ想定されること。
なぜ、明日の学会で質問されることが判らないのか。
なぜ、質問など来ないかもしれないのにそんなことを心配するのか。


道理の無いことが道理か。

すべては、不条理などではない、すべての人に共通におきている、現実だ。
時空はすべて連続している。生きとして生けるもの、みな同じ空の下。
現実とはなにか。それは、すべてのものが互いに影響しあっておこっていることの無限の連続。
宇宙は無限に存在するのか。
宇宙が尽きたあとも時間は永遠に流れるのか。





座長「そろそろ時間です。続きのディスカッションはフロアでお願いします。ありがとうございました。座長の不手際で、若干時間がオーバーしております。申し訳ありません。
では、次の演題に移らせていただきます。次の演題は・・・」

その時、私はもっと話したい…と思っているかもしれない。