こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

良医の条件

2012年12月07日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
日本では、手塚治虫の漫画『ブラックジャック』が、医者の一つのモデルのようになっている。医学部の同級生の中にはブラックジャックのようになりたいと言ってはばからない奴は何人もいたし、いい年になっても、医者を目指したのはブラックジャックにあこがれてでした、という同僚もいる。

私がブラックジャックに出会ったのは、小学生の頃、漫画としてはとても面白かったし、大きくなって読むと、その正確かつ詳細な内容には感服する。
だが、私はブラックジャックのようになりたいと思ったことはこれまで一度もない。

先日の記事(『人柄で選ぶか、能力で選ぶか』)で、

医者にしても、人のよいヤブ医者にかかるよりは、少々口が悪くても腕のいい医者にかかった方が良いに決まっている。外科などでは、「おれは、腕一本でここまで来た。人柄なんか評価してくれなくてもいい」とうそぶいている医者は多い。といっても、実際のところ、傷つき疲れた患者の心に気持ちのいかない腕のいい医者というのが良い医者なののかどうかもわからない。

と書いた。今日は、その続きのような話である。よい医者を表現する言葉としては、“名医”がある。名医となると、ちょっと敷居が高いので、ここでは良い医者ということで”良医”というものの条件を考えてみたい。
腕一本でやってきたような外科医、脳外科医などは、ブラックジャックを彷彿とさせる。こういう医者にとっては、人格など確かに二の次かもしれない。「嫌ならこなければいい、自分を必要としている患者はゴマンといるのだから。」ということになる。
そこで、いつも私が考える「人の良いヤブ医者にかかるのが良いか、口は悪いが腕のいい医者にかかるのが良いか」ということを思い出す。
そんなの腕のいい医者に決まっている。とはいかないということに気がついた。

癌にしても、心不全にしても、手術をして治る見込みのある状態であれば、腕の良い医者にかかれば病気は治るかもしれない。そのような場合、この腕のいい医者は、良医である。
だが、治る見込みの無い状態の患者さんに対してまで、無理に手術をするようではいくら腕が良くても困る。むしろ、自分が旅立っていくのを優しく見守ってくれる医者の方がよほど良い。

いろいろな局面で良医はいて、自分は良い医者で、あいつはダメだ。などということはあり得ないのだ。

だから、私がブラックジャックになりたいと思わなかったのだろう。医者にもいろいろあって、私の場合は、表舞台に立たなくていいから、患者さんに寄り添っていくことのできる医者になりたいと思っていた。
だが、ちょっと甘いところもあった。
私の場合、夜昼問わず、患者さんの側にいて手を握っていてあげればいい、程度のことしか考えていなかった。終末医療というのはそういうものではなく、深い専門知識があってはじめてそう名乗れるものであるということを知ったのは、ずいぶんあとになってからだった。

現在、病理医となってブラックジャックにも、青ひげ先生にも、およそ小説、ドラマで主人公をはれる様な医者にはなっていない。それでも、ここで良医を目指してそれなりに頑張っている。
どれだけやれば、どの程度までになれるかなど、わかりはしないのだが。


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