やはり、病理解剖は忌み嫌われるものであり続けるのだろうか。
先日、医療安全に関する講習会があって、愛する家族を医療事故で亡くした方が演者として話をしてくださった。解剖を行ったことで、死因が明らかとなったので、解剖の意義が失われるものではなかったのだが、解剖を行うかどうかというところで、
「解剖なんてとんでもない、と思っていました。これ以上、体を傷つけるなんてとてもできない、そう思ったのです。
でも、解剖で死因が明らかになるならと、行ってもらうことにしました」
そう、解剖に対する気持ちを語っておられた。
その、とんでもないことを仕事の一つとしている私としては、ほかの病理にかかわらない職員に囲まれて、なんとなく居心地が悪かった。
死因を知る、ということと、体に傷をつける、ということは全く次元が異なる。
これは、生きている人に対する手術と同じだ。
多くのがんは治療のために体に傷をつけて、腫瘍を取り除く。
内科的な治療にしても、病気に対して効果のある毒物である薬物を投与することで行う。
だが、その過程で、生きている状態から病変の一部を切り取って病理診断を行って、治療方針を立てる生検診断や、手術で切り取られた組織を病理診断して治療が適切だったか、今後の治療方針はどうするか、といったことを検討する。
これらのことも、病理解剖という基礎から応用までが含まれた医療行為の延長上にある。病理解剖を満足に行うことのできない病理医は適切な病理診断はできないし、自分の専門領域の臓器しか診ることができない非病理医(多くの臨床医)は、自分が知っている以外の病態というのが、その臓器に出現してきたとき、完全に無力だ。
繰り返しになるが、病理解剖というものは、病気の本質を知るために必須の行為であり、体に傷をつける、という行為とはまったく別の問題である。
とんでもない、と忌み嫌われる病理解剖を、真摯な気持ちで日々(毎日ではないが)黙々と行っている医師(病理医)がいる、ということを世の人に知ってほしい。
解剖の時に体に傷をつける、ということと病気の本質を知る、ということは全く違うことだということも知ってほしい。
せめて、ご遺体に対する手術のように考えてもらえればいいだろう。
いまだ隠ぺい体質の強い医療業界の中で、病理診断行為というのは、唯一証拠を残すことのできる、患者の権利ともいえるものだ。
慢性的に不足している日本の病理医にとって、病理解剖が増えては実は困るという声が私の心の中の一方にある。
病理医だって、解剖なんて、と忌み嫌われるようなこと、やりたくもなくなる。
そもそも、解剖は、病理医にとって大変な仕事なのだ。
だから、あんなこといわれても、まあ、いいやと思う。
多くの人の無理解で、死因不明社会が、ますます広がっていく。
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「解剖なんてとんでもない、と思っていました。これ以上、体を傷つけるなんてとてもできない、そう思ったのです。
でも、解剖で死因が明らかになるならと、行ってもらうことにしました」
そう、解剖に対する気持ちを語っておられた。
その、とんでもないことを仕事の一つとしている私としては、ほかの病理にかかわらない職員に囲まれて、なんとなく居心地が悪かった。
死因を知る、ということと、体に傷をつける、ということは全く次元が異なる。
これは、生きている人に対する手術と同じだ。
多くのがんは治療のために体に傷をつけて、腫瘍を取り除く。
内科的な治療にしても、病気に対して効果のある毒物である薬物を投与することで行う。
だが、その過程で、生きている状態から病変の一部を切り取って病理診断を行って、治療方針を立てる生検診断や、手術で切り取られた組織を病理診断して治療が適切だったか、今後の治療方針はどうするか、といったことを検討する。
これらのことも、病理解剖という基礎から応用までが含まれた医療行為の延長上にある。病理解剖を満足に行うことのできない病理医は適切な病理診断はできないし、自分の専門領域の臓器しか診ることができない非病理医(多くの臨床医)は、自分が知っている以外の病態というのが、その臓器に出現してきたとき、完全に無力だ。
繰り返しになるが、病理解剖というものは、病気の本質を知るために必須の行為であり、体に傷をつける、という行為とはまったく別の問題である。
とんでもない、と忌み嫌われる病理解剖を、真摯な気持ちで日々(毎日ではないが)黙々と行っている医師(病理医)がいる、ということを世の人に知ってほしい。
解剖の時に体に傷をつける、ということと病気の本質を知る、ということは全く違うことだということも知ってほしい。
せめて、ご遺体に対する手術のように考えてもらえればいいだろう。
いまだ隠ぺい体質の強い医療業界の中で、病理診断行為というのは、唯一証拠を残すことのできる、患者の権利ともいえるものだ。
慢性的に不足している日本の病理医にとって、病理解剖が増えては実は困るという声が私の心の中の一方にある。
病理医だって、解剖なんて、と忌み嫌われるようなこと、やりたくもなくなる。
そもそも、解剖は、病理医にとって大変な仕事なのだ。
だから、あんなこといわれても、まあ、いいやと思う。
多くの人の無理解で、死因不明社会が、ますます広がっていく。
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