数日前、Facebookに不肖コロ健関連の写真がアップされたのだが、これに対して好意的なコメントがたくさん来た。
臨床科から、関連領域の病理の勉強をする若手医師を引き受けているのだが、とても感謝してくれているというもの。有り難いことだ。私を、その道の専門に引きずり込んでくれた、その科のかつての医長の先生(現在は某大学の教授)も「コロ健先生、良い仕事してますね」とのコメント。
面映い話ではあるけど、嬉しい話であるのは間違いない。
それで思い出したのが、何人かの知り合いの先生が、「(コロ健)先生のブログ(「こんな気持ちでいられたら」)、前向きで、真面目でけっこうすきで、たまに見ていますよ」と言ってくれていたこと。
病理医は日の目を見ないし、だれも自分のことなんて相手にしてくれていないだろう。などと、これまで、病理医としての自分の人生、すねて考えることが多かった。
なぜか。しょせん、私も人の子、人に何か言って欲しかったのかもしれない。
臨床医であれば、患者さんに感謝の言葉を口にしてもらうことは、しょっちゅうだ。けれど、病理医が臨床医から何か言われるとするとそれは、問い合わせか、苦情か。病理医が人にお礼を言われることはほとんど無い。
だけど、こんなことがあって、自分が見捨てられた存在ではない、ということを知った。
仕事上のつきあいの中でも、こうして感謝されている。
そうであれば、感謝してくれる人のために頑張ろうと思うし、元気も出る。
こんなおじさんになってもそうだと知って、ちょっと恥ずかしい気もする。
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臨床科から、関連領域の病理の勉強をする若手医師を引き受けているのだが、とても感謝してくれているというもの。有り難いことだ。私を、その道の専門に引きずり込んでくれた、その科のかつての医長の先生(現在は某大学の教授)も「コロ健先生、良い仕事してますね」とのコメント。
面映い話ではあるけど、嬉しい話であるのは間違いない。
それで思い出したのが、何人かの知り合いの先生が、「(コロ健)先生のブログ(「こんな気持ちでいられたら」)、前向きで、真面目でけっこうすきで、たまに見ていますよ」と言ってくれていたこと。
病理医は日の目を見ないし、だれも自分のことなんて相手にしてくれていないだろう。などと、これまで、病理医としての自分の人生、すねて考えることが多かった。
なぜか。しょせん、私も人の子、人に何か言って欲しかったのかもしれない。
臨床医であれば、患者さんに感謝の言葉を口にしてもらうことは、しょっちゅうだ。けれど、病理医が臨床医から何か言われるとするとそれは、問い合わせか、苦情か。病理医が人にお礼を言われることはほとんど無い。
だけど、こんなことがあって、自分が見捨てられた存在ではない、ということを知った。
仕事上のつきあいの中でも、こうして感謝されている。
そうであれば、感謝してくれる人のために頑張ろうと思うし、元気も出る。
こんなおじさんになってもそうだと知って、ちょっと恥ずかしい気もする。
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