こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

しつけ、体罰、愛の鞭

2013年01月13日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
大阪市立桜宮高校という、私レベルの末端バスケットボールプレイヤーでも知っているほどの強豪校で、長年にわたって、部員への体罰が行われてきたということが問題化している。
自殺者まで出たのだから当然問題となる。自殺した生徒にしてみれば、受けた体罰は大好きなバスケットボールを命とともに捨てるほどの辛さであったのだろう。
高校生だから体罰というが、これが幼少児相手であったなら、虐待となる。
虐待については、各病院でも対応マニュアルが作られているほど。
絶対的な強者が弱者に暴力をふるう、世間ではこのことが決して珍しくない。

力のあるものが、そうでない人間に対して指導していくということは難しい。だから、頭で考えさせるよりも、゛恐怖゛とともに技術を刷り込んでしまう方が、よほど簡単である。だから、訓練にしてもしつけにしても、体罰、暴力に頼ろうとする大人が多くなる。
体罰の場合、指導する内容や躾る内容が限定されるので、それを行う人間とされる人間の間で交わされる契約範囲内でしか有効ではない。したがって、体罰とはきわめて限定的なことについてしか指導していないわけで、その人の全人格を否定しているものではない。

私は息子に手を挙げたことが一度ある。
中学校のとき、息子はバスケットボール部のポイントゲッターで主将だったのだが、あろうことか濃淡二色用意しておかねばならないユニフォームのうちの一色を忘れたのだ。一試合目は淡色だったが、二試合目は濃色を使うことになった。そして、その濃色のユニフォームを忘れた。
ユニフォームが無くては試合には出られない。控えの選手のユニフォームを借りるなどと言うのは学校スポーツとしてありえない。

応援に行っていた私がそのことを息子から言われたのは、二試合目の開始の一時間前。その日はのんびり自転車で応援に来ていたのだが、大急ぎで取りに戻らなければならない。
息子のためというよりは、チームのためだ。
日曜日の休日の鎌倉は自動車が大変混むので、鎌倉市内をタクシーで移動するよりも自転車の方が早いので、私が自宅まで取りに行くこととなった。
中三最後の夏の大会である。炎天下、暑さと膝と腰の痛みに耐えて、気が遠くなりそうになりながらも切り通しの急坂を越えて家にたどり着き、ユニフォームを探し出した。一息つく間もなく、来た道を戻って、なんとか試合開始前に会場に戻ることができた。最後は、走れメロスの心境だった。

会場に着いたら半べそのような顔をして、息子が私のところにユニフォームを取りにきた。

私は息子に「こっちを見ろ」といって、息子のほほを叩いた。けっこう、いい音が出て、周囲が一瞬静かになった。
だが、ユニフォームのおかげで息子は試合に出ることができ、チームは試合に勝った。

私は、自転車を死ぬほどの思いでこいだせいで、膝と腰、とくに腰をだめにしてしまい、ほどなくバスケットボールを止めることになった。

体罰、とくにたたくだのけるということは回数の問題ではなく、一回一回を覚えているくらいの覚悟が必要であろう。
件の先生は、ほとんど毎日選手を叩いていたようだが、その鉄拳のうちのどれだけを覚えていただろうか。

実を言えば、私はあの時息子の頬を叩く必要性があったのか、未だにわからない。単に感情的にそうしてしまったのではないかと、今でも悩む。

体罰をする先生、躾といって子供を殺してしまう親。
そういった人たちはどれだけ叩く子供たちのことを考えていたのだろうか。
今一度、胸に手を当てて考えてほしい。

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