こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

身体感覚の急激な速さでの拡大

2013年01月22日 | 電脳化社会
すべてのことは雑然と、同時に進行している。3ヶ月ほど前にそんなことをぼんやり考え、一日をやり過ごした。その時の気持ちは、遠くアフリカのアルジェリアの地で起こった悲劇によって、より鮮明に実感された。

通信技術の発達によって、世界の、日本のどこか、すなわち私の身体感覚の届かないところで起こっている様々な現象があたかも目の前で起こっているように実感できるようになってきた。
かすかな記憶にある、浅間山荘事件。弟のボーイスカウトの手伝いに行った先で知った日航ジャンボ機墜落事故、自分が乗っていたかもしれない丸ノ内線を降りてから知った地下鉄サリン事件、そして、帰宅したらテレビで放送されていた9.11。すべてのことが、“同時に”起こっているということを身体感覚として実感するようになってきた。
東日本大震災では、東京も揺れたということもあったが、テレビを通して流される津波の映像が、現実であるということを受け入れるのに、困難はなかった。

今回の事件でも、刻一刻と入ってくる情報を、政府はおそらくそれほど隠さずに公開したのではないだろうか。もちろん、プライバシーに関わる問題を明らかにする必要は無いし、機密に属する情報があるのも致し方ない。その上で、私たちはテレビやラジオそしてネット上のニュースで経過を追った。事件は最悪の事態となって、終息しつつあるが、事件はこれで終わりというわけにはいかない。事件を生んだ社会状況も続く。アラブ世界での若年者の失業率は20パーセントにのぼるという。仕事をしたくても、仕事すら無い、という人々が数百万人いるという現実が今、地球上のどこかで進行している。

そもそも、“どこか”という表現が不適切とも言える。スケールの問題では、人間個人の身体感覚の及ばないところは、“どこか”になってしまうが、通信技術の発達によって、人間個人の身体感覚は無限に解放されつつある。
”誰かが”そこに存在する、もしくは一度でもそこに到達して、そこに通信機器を設置してしまえば私たちの感覚はそこまで到達していることになる。それは、人間でなくてもいい、通信機器だけをその場に移動させておけば、可能なことである。

従って、私たちの身体感覚は急激な速さで拡大しているということになる。その結果、大量のデータが一時に雑然と流入してくる。
私のような中年でも、そういった事象に今のところ、なんとか追いついているが、いつ脱落してもおかしくないスピードだ。

とくに問題になると思うのは、情報だけが流入してくることによる精神的な整合性をどう調整していくか。今回の事件のような悲惨な出来事が起きた場合、それを私たちは知っているにもかかわらず、何もできない。このようなことを知って、義憤を感じても、それに対して何もできない。そして、ただいたずらに自分のふがいなさを感じてさらに無力感を感じる。
私たち人間の技術の行き先は、一体どこにあり、それは果たして私たち人間に幸せをもたらしてくれるものなのだろうか。

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