目覚ましが朝を知らせてくれる少し前に目が覚めた。起きようと思っていた時間まであと20分ほどある。カーテンを開けて外を見ると東の空は雲間がほの赤いだけで、まだ暗い。あっという間に、日の出の時間が起床時間に追い越されてしまったようだ。「もうちょっと寝ていたいな」と、昨日の散歩で少しだるくなった足と背中を寝床の中で伸ばしながら思う。目をつぶっても、そんなに簡単に眠りに戻ることはできない。それより、今日一日の段取りの方が気になって目がさえてしまう。
やがて、「もう少し、職場が近かったらたくさん眠ることができるのに。」などと考え始める。遠距離通勤は希望してのことなのに、ふと不満な気持ちが湧き上がる。これをきっかけに、次々といろいろな不満が湧き上がる。現状に対しても、これまでのことに対しても、この先のことに対しても。あれが欲しい、これも欲しい。ああしたい、こうしたい。もっとお金があれば、時間があればと、一度不満が頭をもたげ始めるとキリがない。
そうこうするうち、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。そしてこれが人間の欲望というものか、と気がついた。目標に向かって日々慎み深く生き、努力を重ねて、目標が達成できたらそれで満足なのに、そこでまた新たな目標が生じる。目標に向かって努力することが満足であればいいけれど、目標を達成できないことが不満足の原因となってしまってはしょうがない。
『足るを知る』という言葉がある。読んで字のごとくなのだけど、私にはなかなか実践が難しい(『日の出、月の出』2014年11月14日)。
自分自身が生きてきた道、現状に満足していないからだろうか、いつも欲ばかりが多くなって不満が募る。これまで成してきたことを人と比べる必要などなくて、現状に満足することこそが幸せだと知れば、不満はなくなるのにそのことを忘れてしまう。それに一体、そもそも誰と人生を比較しているのだろう。あそこはこの人のここ、ここはあの人のそこ。そんな風に全ての人と比べていけば、自分は完璧にならなくては不満なのだろうか?
未来というものが持つ可能性を信じて、実現できそうなものに向かって一歩ずつ進む。それが私の生きる道。
たとえ、目の前のチャンスの芽が摘み取られても、生きている限りは次がある。体が動く限り、命ある限り前に進んでいけるのだと考えたら、不満はなくなる。人生に対しては常に満足して生きることが幸せだし、不満足を抱えていては幸せにはなれない。
欲得にまみれぬ心で生きる