こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

鎌倉市はそんなに貧乏だったのか

2013年05月16日 | 日々思うこと、考えること
昨晩、驚愕の報道があった。
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鎌倉海水浴場の命名権:鳩サブレーの老舗が獲得
毎日新聞 2013年05月15日 19時00分
神奈川県鎌倉市が売り出していた由比ガ浜、材木座、腰越の海水浴場のネーミングライツ(命名権)について、鎌倉市は15日、「鳩サブレー」で知られる菓子の老舗「豊島屋」(同市)が年間1200万円、10年間の契約で獲得したと発表した。名称は未定で、同社は地元住民などから募って決める。
同社の久保田陽彦社長は15日の記者会見で「『鳩サブレー海岸』にはしたくない」と笑顔で話し、商品名は使用しないことを明らかにした。今年の海開きまでに間に合わないため、現在の名称を継続して使うと述べた。募集方法などは検討するという。(共同)
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これって、いったいどういうこと?
市民はいつ、これを知らされていたのだろう?
急いで、鎌倉市のホームページを開いたら、あった。
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鎌倉市海水浴場ネーミングライツ・パートナーの募集について
鎌倉市では、鎌倉市海水浴場(材木座・由比ガ浜・腰越)のネーミングライツ・パートナー企業を募集します。
目的
ネーミングライツの活用により、民間事業者の支援のもと、海水浴場の持続的な運営と施設の維持管理を行うことにより、市民や観光客へのサービス向上を図ります。
募集する施設
材木座海水浴場、由比ガ浜海水浴場、腰越海水浴場をまとめて一つの施設として募集します。
命名権の範囲
地域の名称のほか海水浴場またはビーチの文字を用いて、企業名や商品名等の名前を付けることができます。
(例:○○由比ガ浜海水浴場、○○由比ガ浜ビーチ、由比ガ浜○○海水浴場など)
契約条件
契約期間
原則3年以上
ネーミングライツ料
100万円以上(年額)
募集期間
平成25年3月27日水曜日から平成25年4月26日金曜日まで
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売り出し最低価格が、年100万とは、これまた驚きではあり、豊島屋の入札価格は破格と言っていいだろう。

豊島屋は鎌倉市を代表する企業であり、大船の資生堂が去ってしまう鎌倉市の危機的状況において、ネーミングライツを獲得することに異論は無い。むしろ、喜ばしい。
おかしな企業により、おかしな名前をつけられることから守ってくれたのかもしれない。
今朝のFM横浜でDJの栗原氏は、“豊島屋に感謝ですね、いっそのこと、本当に鳩サブレービーチにしてもいいような気がします”とまで言っていた。



だけど、由比ケ浜、材木座、腰越まとめて、一つの名前になるということ、不肖コロ健は知らなかった。

今日の朝日新聞によれば、”三つの海岸には昨年、計113万6500人が訪れた。ライフセーバーの人件費などに年間約4200万円かかった”ので、困った鎌倉市がネーミングライツを売り出したとのこと。海の家からの上がりを差し引いたらどのくらいになるのかは書かれていないが、たかが知れているということか。

それにしても、鎌倉市がこれほど貧乏だったとは知らなかった。
これでは、世界遺産登録のために道路を整備しようにもできなかったのもうなずける。
そもそも、鎌倉幕府が倒されてからこれまで、ずっと、さびれていた町だったというのだから、いたし方あるまい。

ところで、夜のFM横浜、豊島屋に感謝企画を放送していたそうだ。
神奈川中が喜んでいた、ということらしい。

コロ健も、もちろん喜んでいる一人である。
あと、鳩サブレーが好物の一つであるのはいうまでもない。


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夜道ですれ違うひと

2013年05月15日 | 通勤・交通・旅行
都内の駅を21時11分という電車に乗ると、乗り換え時間を含めて、鎌倉駅に1時間で到着する。病院から駅まで、40分足らずなので、この電車に乗るため、20時半前に病院を出ることが多い。

乗り遅れたりしないように、夜道を急いで歩いて行くのだが、駅まであと15分ぐらいのところでたまにすれ違う人がいる。

わりと大柄な女性で、いつもヘッドフォンをしていて、スマホをいじりながらこちらに向かってくる。
歩道の真ん中を歩いてくるので、すれ違うときにはどちらかによけてもらわないと困る。

スマホをいじっている人の例に漏れず、すれ違うちょっと前にこちらに気づくようで、微妙に道を空けてくれる。
それが、本当に微妙なタイミングで、いつもイラッとしてしまう。

ついこの間、スマホをいじりながら歩く人のうっとうしさを記事にしたが、スマホをいじりながら周りを見ないで歩くのは大変危ない。ましてや、彼女の場合、ヘッドフォンをしているということは、周りの音も聞こえていないということ。

マナーが悪いということもあるが、いくら治安のいい地区とはいえ、女性の夜道の歩き方としては、ずいぶん無防備ではなかろうか。
注意しようかと思うが、逆に私の方が変に思われることは間違いないので、そんなこと絶対にできない。

せいぜい彼女に遭遇しないことを祈るばかりである。


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人類は、しょせん一つのものなのに

2013年05月14日 | 日々思うこと、考えること
外交問題、とくに東アジアの領土問題、歴史認識の問題というのが難しい局面を迎えている。
立場が違えば、考え方は違うし、時間が経てば、考え方も変わる。

解決には時間と根気が必要だ。

3年前にこんきもで、「地球というパイを食べ尽くしたとき」という記事を書いたが、情勢はその時とあまり変わっていない。
すなわち、狭い地上はくまなく探索されてしまい、今度は、海洋資源の奪い合いとなっている。それにしても、地球の大きさには限りがあるので、早晩、地球のすべてが解明され、取り尽くされてしまうだろう。
そうして全てがなくなったところで、地球にすがるしかない人類は一つになるしかないのだから、さっさと落としどころを見つけてくれればいいのだが、なかなそうもいかないようだ。

早晩、といっても、100年先か、1000年先かはわからない。
少なくとも私の生きている間で無いことは、確かだ。

そういうわけで、地球のすべてが取り尽くされるまでは、あちこちでいざこざが絶えないのだろう。

残念なことだ。

自然科学の分野では、インターネットのおかげで論文は世界中どこでも手に入れることができ、情報に関してはほぼボーダーレスとなっている。情報へのアクセス、すなわち文献検索に差別はほとんど無く、科学者は基本的にはフェアに競争することが可能だ。
ちなみに、全ての人は生物学的に同じに扱われる。
所詮は、同じ穴のむじなである。

人類の知恵、というものが同じ土俵の上にあるということを皆が自覚すれば、ほうぼうで起こっているいざこざも些末なことに過ぎないはずだが、そう自覚するには人類はまだまだ、未熟ということなのだろう。

無駄な血を流すようなこと無く、いつの日か問題が解決することを祈るばかりだ。


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芸能人考

2013年05月13日 | 日々思うこと、考えること
毎週のように週刊誌を賑わせる芸能人のゴシップ記事。
このあいだ昼食時に「みつかったらネタになってしまうのでよせばいいのに、それでもどうして芸能人同士でつき合ってしまったりするのだろう?」というようなことが話題にのぼった。
アイドル女優のイケメン芸能人との熱愛報道、というのがあり、それからそういう話となった。

若者が恋をするのは当たり前なので、誰も好きになるな、などということは難しいだろう。
しかし、特定の異性とつき合わないでいる、ということが仕事の一つともなれば別のような気もしないではない。残酷な道を歩むのが、芸能界、ということなのだろう。
芸能界に詳しい知人にいわせると、ゴシップまでもが芸能人の芸である。といっていた。だから、適当に浮き名を流すようなこともあるのだろう。また、引退した人についてはゴシップ報道というものはほとんどない。“あの人は今”のような記事は仁義にもとる行為である。

さて、それでもまあ人を好きにならずにいるのは大変なようで、記事が尽きることはない。
考えてみれば、何万人もの人に好かれる、見た目だけでも魅力的な人達である。実際に仕事でもで一緒にいれば、情が移らないほうが、おかしい。やむを得ない。

とまあ、この話のきっかけとなった、熱愛報道に落ち込んでいる知り合いをなぐさめたのだが、まったく役に立たなかった。


どうやら、その知人、その報道自体が誤報であることを祈っているようで、私の話にとりあおうとしない。

ファンとは有り難いもので、少々の噂話なんぞまったく意に介さないようだ。
実によくバランスがとれているものだと、妙に納得してしまった。



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それぞれの母の日

2013年05月12日 | 家族のこと
先日亡くなった友人の葬儀があった。
遺されたご家族がお気の毒であった。棺に蓋をする時の息子の名を呼ぶお母様の声がなにより耳に残った。
今日は、母の日、彼も元気だったら、育ててくれたお礼をするつもりだっただろうか。
あらためて、彼のご冥福をお祈りする。

年賀状のやり取りだけになっている、旧友とも再会でき、話すことができた。
二人の友人は認知症になったお母さんの世話の話をしていた。彼女たちがまだ若く、文化祭で、PTAでお団子を売っておられた頃のことを思い出し、つらい気持ちになった。

友人を見送った後、その足で、母の日のプレゼントを探しに都心に向かった。

デパートの屋上の園芸コーナーで、バラの展示をしているはずだからそこで待っていてくれという妻の指示に従って、バラをあれこれ眺めていた。
爽やかな、いい天気だった。

祖母の本命日が偶然母の日である今日ということで、千葉の霊園まで義母を連れて墓参をしてきた妻と合流した。義母と三人で母の日にと昼食をしたら、ずいぶん、喜んでくれた。
昼食後、都内の友人に会いに行くという義母と別れ、妻と一緒に母にプレゼントを買った。

妻が「いいなと思っても、なかなか自分では買えないもの」ということで、
ジャンピングティーポッドとティーウォーマーをあわせて買った。

実家まで届けたら、さっそくお茶を入れてくれた。
父も家にいて、二人で喜んでくれた。
今日が母の日とわかるのだろうか、も横にいた。
今年も元気な母に感謝の気持ちを伝えることができた。幸せなことなのだろうと思う。

我が家に帰ったら、娘が妻のためにケーキを焼いてくれていた。
息子は、夕食の準備してくれていた。

昨日の学会で、講演をしていた米国の先生は、今日が母の日ということで昨日のうちに帰国されるとのことで、講演時間を繰り上げた(結局、そのセッションの最後までおられたが)。お年を召した先生だったが、ご母堂はお元気ということか。無事、よいお祝いができたであろう。

それぞれの、母の日。

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コロ健の長い1日・・・ボロボロの後日談

2013年05月11日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
1月の研究会でボロボロにされた発表の後日談。
今日が、その発表の本番の日だった。

鎌倉は朝から霧雨。落ち着いた気持ちで出かけた。
興味深いセッションが朝一番にあり、それを聴くため普段と同じような時間に出た。
横須賀線では、発表内容にあやふやなところがないか、原稿の最終チェック。
知ったかぶりは禁物である。

8時半には会場に入って、発表を聞く。
勉強である。
臨床系の学会なので、興味の対象が同じというだけだが、視点が違うと興味は倍化し、新しいアイデアが手に入る。
学会参加費は無駄ではなかった。

そんな発表をあちこちで聴いているうちに、私の発表時間が近づいてきた。
発表スライドのファイルはすでに預けてしまったので、今さら手直しはできない。
人気のあるセッションなので、発表者といえどもうっかりすると、席がなくなってしまうので、早めに会場に入った。

すでに、聴衆がいる。
あと30分もすると、この座席すべてが埋まる。毎年、300人近くが集まる。
プリントアウトしておいた原稿を見直して、強調したいところをチェックする。
「この疾患も研究が進み、疾患概念もよく知られるようになってきました」
というくだりがあり、これを「膾炙(かいしゃ)」という言葉を使って表現しようと思ったのだが、正しく使える自信が無くて止めた。
使い慣れない言葉を、カッコつけて使ったりしては何が起こるかわからない。

5演題あるうちのトップバッター。
会場を見まわすとすでに満員。立ち見で後ろの方は膨れ上がっている。
1月の予演会では立ち直れないほど叩かれた発表だったが、立て直して臨んだ今日の発表は大丈夫だったようで、無事終わった。

セッション終了後、座長の先生にお誉めいただいた。
それにしても、この5カ月はつらかった。
たまには、自分にご褒美をと、エキナカにあるお気に入りの食材屋さんで、チーズの盛り合わせを買った。

今夜ぐらいは祝杯を挙げても叱られないだろう。

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医学用語という壁、とくに病理用語

2013年05月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
現在一緒に仕事をしているレジデント君。病理医である。
彼がいうのに、「病理で使う言葉って、難しいですよね。”花冠”とか、最初意味わかりませんでしたから」
というので、私も「観兵式配列、って、軍事パレードにでも見ない限りわからないよね」と答えた。

そもそも、医学用語自体が難しい。
医学教育を受けたことのない人でも胃や心臓、脳であればイメージも湧くが、胆嚢、副腎、脳下垂体とかなってくるとなんだかわからなくなる。さらに、医学部で教育を受けなければ、それらの細かい働き、とくに協調的な作業についてまではなかなかわからない。
医学教育を受けた人間と、そうでない人の間にある障壁の一つが医学用語だと思う。解剖学的な用語だけでもたくさんあるうえ、診断法や治療法などにも様々な名称がある。

そのなかでも、病理で使う用語というのは難しい。
病理医と臨床医の間の壁として存在しているように見える。

なぜ難しいのか考えてみた。
すると気がついたのは、病理で使う用語というのはすべての領域に通じる標準語のようなもので、定義があるからということ。
腫瘍とか炎症とか、そういったものには定義があって、それら定義を持った用語を組み合わせて診断を行う。だから、それらの定義を正しく知って、正しく使わないといけない。
自分で使っていて、心配になることもままある。
だから、“花冠”にしても“観兵配列”にしても形と意味を正しく知った上で使わないといけない。せめて、普段よく使う今風の言葉に置き換えていく必要があると思うのだが、難しいだろう。

ある臨床系の研究会で病理所見の解説を行ったら、質疑応答の時に、「いつも思うんだけど、こういう(病理所見の説明)時、病理の先生に難しい言葉を並べられて、わからなくなっちゃうんですが、もう少しわかりやすくなりませんかね」と言われたことがあった。

よく、専門用語ばかり並べて患者さんを煙に撒く臨床医がいるというのを一瞬思い出したが、相手は医者である。そのときは、適当に返事をしておいたが、意見を述べるのであれば、それなりに勉強しておいて欲しい。

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とても難しいことだけど、変わることにする

2013年05月09日 | 生き方について考える
この半月で学生時代の友人二人が亡くなった。
一人は、学生時代のつきあいはさほど無かったが、年賀状のやり取りはしていた。会えば世間話をしたし、一緒に飲んだこともあったが、私の生き方にそれほど影響は無かったように思う。
だけど、思い出はそれなりに多くあるし、彼の生き方をふと思い出すことはあった。

もう一人は、つい先日亡くなった友人だ。学生時代、仲が悪いというわけではないが、生き方に対して考え方が私とずいぶん違っていた。そして、彼からはずいぶん生き方に影響を受けた。その内容など、もうどうでもいい。
おそらく、私も彼の生き方に多少は影響を与えただろうと思う。
それは、ことあるごとに私に突っかかっていたことを思い出せば、明らかだ。
社会人として立派になった頃には、私のことなど克服して生きていただろうと思うし、そうであって欲しい。

関わりの度合いに多少はあったが、私は彼らから何かを与えられたし、私も少しは与えた。

不肖コロ健、生まれてきて、彼らにかぎらず誰かと出会うたびに何らかの影響を与えてきたのだろう。
直接会わないでも、ブログのようなこれまでに無かった情報伝達手段が現れ、新しい形での人との関わりも生まれ、そこで関わる人にも何かしら与えているに違いない。

そろそろ、自分のことを肯定的に捉えたらどうかと思う。
どのような形でもいいから、私はいるだけで、周囲の人に何かを与えているのだし、こんきもを通しても誰かに何かを与えている。

人間、突き詰めていえば自己の存在を否定することはできない。
言い方を変えれば、自己の存在は肯定されなければいけない。

これまで自分は自己肯定感が乏しいと思ってきたが、生きていくということは、自分を肯定しているからこそできる。
だから、自分が周囲の人と関わるときには、その度合いの程度によらず、自分を肯定的に捉えた上でなくてはいけない。

私にとっては難しいことだけど、亡くなった友人達が残してくれたものと思って、そう変わりたい。



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生まれたときから別れは始まり

2013年05月08日 | 日々思うこと、考えること
人が亡くなり、残された人間がつらいのはそこに別れがあるからだ。

別れの前には、出会いがある。人は、生まれたときから様々な人と出会う。

「こんにちは赤ちゃん」であり、生まれたほうからすれば、「こんにちはみなさん」だ。
そして、人生が始まる。


生まれてからしばらくの間は、出会いの方が圧倒的に多い。
次から次へと出会いが訪れる。「友達100人できるかな」の状態だ。

成長とともに、いつの間にか、別れは始まっている。

親戚、祖父母が亡くなる。そして、友人の誰かがぽつりと亡くなる。
死というものが、永遠の別れであることを知り始める。

もっと一緒にいたかったのに、話したかったのに、と思う間もなく、死は意外と早くやってくる。

人間、生きれば生きるほど出会いは増え、その分、別れも増える。
別れというものがつらいものであっても、出会いを防ぐわけにはいかない。
人が生き、出会いを通じて成長していくということは、多大な自己矛盾を内包している現象だと思う。

人は、死に向かって生きているというのは、いつも考えていることだけど、そんな人が矛盾だらけの存在だということを、実感する。

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仕事に戻った

2013年05月07日 | 日々思うこと、考えること
今年の連休はいろいろあった。
父の個展は成功裏に終わり、その打ち上げでは両親の金婚式のお祝いができた。
その疲れでぼうっとしながらも、今週末の学会の予演会で教室の先輩のお世話になり、発表内容もなんとか形になってきたような気がする。
連休後半は高一の娘の友達をわが家に招くということで、二日かけて家と庭の掃除、がらくた整理を行い、5月5日のこどもの日を迎えることができた。
娘がみんなと仲良くしている姿を見て、とてもうれしく、安心した。みんなに対しても、良い友達で会って欲しい。

連休は毎日、穏やかな天候だったし、オンコールの当番日に病院から呼び出されることも無かった。
しかし、連休最終日の昨日は強い風が吹いた。そして、友人の訃報。
昨日は、一日動くことができなかった。疲れもあったのだろうが、体がしびれたようにだるかった。
とくに、腰が重く、割れそうだった。

それでも、今朝はいつも通りに出勤できた。

職場に来てしまえば、仕事はすんなり始められる。
仕事に戻って、取りかかってしまえば、やることは決まっているので、休み前と変わりはない。
同僚達も、ゆっくりリフレッシュができたようだ。ここに来て1ヶ月、いろいろな疲れもたまっていただろう。


せっかく戦力が増えたのだから、これからは診断、研究の質を上げていかないといけない。
虚脱した気持ちを立て直して、明日も頑張らないと。

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友人の死

2013年05月06日 | 生き方について考える
友人が、事故で亡くなった。

私と同い年で、今年、50歳になるはずだった。
親友というわけではなかったが、いろいろな意味で私の生き方に影響を与えた男だった。

相手が生きていれば、いろいろと書くこともできようが、亡くなった人にはお悔やみの言葉を手向けることしかできない。

私とはずいぶんかけ離れた生き方をしていた男だったが、時間ができたらゆっくり話したいと思っていた。というか、私なりには、そうすることができる仲だと思っていたので、もう二度と会うことができなくなったのがとても残念だ。



死ぬまで仕事をしていそうな奴だったので、果たして将来、語り合う時間ができたかどうかはわからなかったが、亡くなってしまっては、そういうことを想像することすらできない。
もう、彼はいないのだからもう、語り合うことはできない。

死ぬということをよく考えるが、親しかった友人の訃報に接すると、実際に死んだことのない自分は何をどう考え、どう生きていけばいいのか、よくわからなくなる。

一度でも死んでしまうと、もうその人はどうやっても帰ってこない。つらいのは残された方だ。
去年亡くなった、私淑していた先生の思い出もなかなか消せないでいるので、つらい。



災害、戦争、テロ、病気、事故。人生にはいろいろな終わり方がある。
私の人生がこの先どれほどあるのかわからないが、いつか終わりがくる。
だが、どんな終わりかたかなど、誰にもわからない。そもそも、私がどんな最期を迎えようが、それは私個人の問題であり、死んだ後のことを考えても仕方がない。

だが、死ぬまでは力を尽くして生きていかなければならない。そう、思うのだが、親しい人の死に接すると、そういう気力が削がれてしまう。



私の人生という一つの閉ざされた時間の中で、この先どれほどのことが起きるのかわからない。

その中には人との出会いと別れもあるだろう。年齢的にはこの先は別れが増えていく一方であろうと思う。
だからこそ、再会を含め、人とのつながりを、絆を、大切に生きていかねばならないということか。



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女子高生、来訪

2013年05月05日 | 家族のこと
高1の娘が部活の友達5人を我が家に招待した。一応、女子高生6人。

コロ健としては娘に恥をかかせるわけにはいかない。
家の中は妻と息子に任せて、私は外の掃除。

玄関周りからはじめて外回りは全部、一応頑張った。

そうこうするうちに、みんな来た。
何が楽しいのか、笑い声とともに我が家の前の坂道を歩いてきた。

「こんにちわー (^□^)」
「お邪魔しまーす (^0^)」

鎌倉駅は混んでいて大変そうということで、娘は北鎌倉でみんなを出向かえ、山を越えて鎌倉に入ってきたとのこと。さすが、我が娘、賢明である。

12時少し前に我が家に、ご一行様ご到着。



それにしても、楽しそうだった。

箸が転がるだけで笑ってしまうというのはこういうことかと納得した。

楽しい時間はあっという間に過ぎて、結局帰ったのは午後8時。



で、それだけいたけれども、私がきれいにした玄関周りを見てくれたのはせいぜい3分。
準備にかかったのは、今日、昨日そして一昨日。

まあ、庭がきれいになったのでよかったとしよう。

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世界遺産落選後初の連休中の鎌倉

2013年05月04日 | 鎌倉暮らし
先日の記事の写真があまりにも内容とかけ離れていたので、市役所と、駅前と、でこぼこだらけの小町通りの様子を撮ろうと、妻とフラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に出かけた。
八幡宮の周囲には朝からすでに多くの人。
裏駅のスタバでコーヒーを飲もうと思っていたのだが、8時を過ぎていても閉まったまま。地元は相手にしていない。その向かいにある市役所、そして鎌倉駅と小町通りの写真を撮った。
ナイトは黒犬で毛深いので、太陽の日を浴びるとあっという間に体温が上昇してしまう。さっさと家に帰ることに。

昼間は庭の手入れ。
部活から帰ってきた娘が、
「鎌倉、すごい人(出)。江ノ電(の鎌倉駅)は封鎖されていた。」とのこと。
午後1時に、よく、鎌倉駅で降りることができたものだ。
自転車で帰ってくるのも一苦労だったらしい。

夕方になってナイトの散歩に出かけた。

八幡宮の周囲は相変わらずの人出。
ナイトのような大型犬はなるべく人出の少ない時を選んで散歩させているのだが、日のあるうちには歩きたい。それにしてもこんな時間にこれほどの人とは、犬の散歩すら、ままならないとは。
妻が知り合いから聞いた話では、江ノ電に乗るのに、駅に入るのに1時間並び、駅に入ってから30分待ちだったとのこと。
まるでお正月のような状態だったようだ。

渋滞も解消されておらず、裏駅前の交差点では、車がどっちにも動けないでいた。
明日の子供の日もいい天気になるらしい。

世界遺産落選後初の連休であるが、落選がかえって評判を呼んだのか、それとも多くの人が訪れたい街なのか。
少なくとも、世界遺産落選の影響は全くなさそうである。


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忘れられないあなた

2013年05月03日 | 電脳化社会
コロ健もLINE(ライン)を利用している。
といっても、もっぱら「コロ健家のLINE」で家族間のやりとりをするのと、妻との連絡に限られる。しかし、友達はいつの間にかたくさんいる。たくさんといっても、30人くらい。これまでに私の携帯の番号を教えた人で、LINEをやっている人の数(らしい)。

そんなことはどうでもいい、問題はその”友達”に、今では友達でない人の名前を見つけてぎょっとすることがあることだ。Facebookでも似たような経験があるが、どうして今頃この人と再会してしまうのだろう、という感覚だ。
とくにLINEでは別れた相手の電話番号を後生大事にとっておいたりすると、友達として復活してくる可能性がある。
別れるというのは、たいがいすったもんだの末なので結構いやだったこと、恥ずかしかったこと、後悔することを思い出すことになる。
携帯の番号が残っていなければいいのだが、いまの時代、残そうと思えば死ぬまで残せる。
なかなか忘れることができない。

久しく会っていない名前を見つけるたびに、私が若かった頃、携帯が無くて良かったと思う。
今の人は、別れたりしたらどうしているのだろう、と心配になったが、本当に別れる必要のある人は携帯の番号を変えるのだろう。

私の周りでも、ときどきそんなことかなと思う人がいるが、もちろん、詮索するようなことはしない。


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いつのまにやら引き込まれる・・・2013年4月の読書記録

2013年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術
ベストセラー2冊。
村上春樹の作品は読むたびに心に化学反応を引き起こす。
ビブリアは、鎌倉をストレートに扱っていてうれしい。
どちらも、読む前は期待していなかった(『色彩を・・・』は薄っぺらだし、『ビブリア・・・』はそろそろマンネリかと思っていた)のだけど、いざ読み始めてみると、いずれもそれなりに引き込まれてしまった。

不思議なものだ。


読んだ本の数:2冊
読んだページ数:709ページ
姉妹の家はこれ以外にない、というほどぴったりの家が私の家の近くにある。今回も、鎌倉の描写が丁寧で、とてもうれしかった。こういう、バックグラウンドの話、いくらでも転がっていそう、というか転がっているのが、鎌倉の面白いところ。今回も楽しかった。&鎌倉人にとって、都会というのは横浜です。(東京は、横須賀線でワープして行く仕事場で、下車駅は新橋、東京。繁華街とは新橋から銀座までを指す。)読了日:4月28日 著者:三上 延


抱えていたものは、つくるくんだけの悩みではなく、私の悩みであり、ほかの誰もの悩みだった。私は20年以上かかっても癒すことのできない傷をいまだに抱えている。私だけではなく、とても多くの人がいろんなことを一生抱えながら生きていき、抱えたまま死んでいく。だから、ある意味で、つくるくんとその友達がとてもうらやましく思えた。読了日:4月22日 著者:村上 春樹


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