こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人生は微分と積分・・・人生は微分

2019年03月16日 | 生き方について考える

私は数学はそれほど得意ではない。微分方程式はなんとか解けたので、大学を追い出されずに済んだという程度だ。

だから、微分のなんたるかを一般的に説明できるようなレベルではない。イメージとしては、山あり谷ありの人生の多くのカーブをものすごく短くしてみた、一瞬の曲がりに対する接線の向きが、その瞬間の人生の方向であって、その次の瞬間には上を向いていた曲線が下を向いてしまうかもしれない、というようなもの。

そこで人生が普通の数式と違うのは、接線の向きというものは自分で変えることができるということ。数学の問題だと、なんだかよくわからない曲線が数式とともにすでに引かれているのだけど、人生は自分でどんどん曲線を引いていくことができる。

その時々の極限、もうこれ以上細かくできないというところの連続というのが、時間であって、私たちすべてのものがその中にいるのだ。それを一瞬といってもいいし、Δと表現してもいいし、それこそ”今、このとき”といってもいいかもしれない。

その、直前はすでに過去であり変えることはできない。

そしてそれはすべてのことに通じる。

その、直後のことは未来でありそれを変えることはできる。今、このとき、未来を変えることができるのだ。

未来は予測可能かどうかはわらかないけど、変えることはできる。それが微分という概念に繋がる。

人生には一瞬一瞬絶えず変化する方向がある。その場にいる限りではその方向はわからないけれど、次の瞬間を決めることはできる。

ベクトルがどこを向いているのかはわからないかもしれないが、それがその人それぞれの人生の方向だ。その方向を自分なりに決めていくのが人生であるともいえる。

 

 

火事の夢を見た

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人生は微分と積分・・・イントロダクション

2019年03月15日 | 生き方について考える

またなんとも悩ましい言葉がブログのテーマとして頭に浮かんでしまった。原稿だの講演の準備が詰まってきてしまっているこの時期に、このテーマは大きすぎる。全てを一気に書くのはやめておいた方がいい。かといって、備忘録的にタイトルだけ残しておいてもボツ記事(お蔵入り)になってしまう可能性が高い。思い立ったが吉日、テンションが高いうちに書き切らないと訳が分からなくなる。

ということで、4回に分けて書くことにした。4日ぐらいならテンションも途切れないだろう。

でも、第1回目の今日はイントロダクション。

なんでこんなことを考えるようになったかを書き留めておく。

しばらく前からアドラー心理学関連本を読んでいるのだけど、その中に”今を一生懸命に生きる”という言葉があり、これが”微分”という言葉に結びついた。

”微分”の先は”積分”ということになる。生き方を数学的に考えるということは、合理的なことであると思い、このタイトルに至った。

イントロダクションは、ここまで。

この週末、何かおおごとがなければ、明日微分、明後日積分の話をして、最後にサマリーとしてまとめてみようと思う。

ちょっとずつ考える

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ピエール瀧のコカイン使用による逮捕はとても残念

2019年03月14日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

電気グルーヴの”Shangri-La”はお気に入りの曲の一つ。カラオケでも何回か歌ったことがある。ただ、電気グルーヴというユニットをそれほど知っていたわけではなく、電撃ネットワークの逆モヒカンのおじさんが歌っているのだとずっと思っていた。そのわりに、電撃ネットワークが歌を歌うところをみることがなく、いつも芸をやっていたのが不思議だったが、今回の事件報道でやっとそれらのことが解決した。

それはさておき、電気グルーヴのピエール瀧は最近よく出ているなと思っていた。大河ドラマにもよく出ていて、容姿も申し分なく、これから俳優として伸びていくのだろうと思っていた矢先のコカイン使用による逮捕。51歳というと、俳優としては脂ののった時期でもありこのブランクはとても残念だ。この逮捕を機に是非立ち直って欲しい。そのためには周囲の協力も欠かせないのはいうまでもない。

      

コカインが深刻な健康被害をもたらすということはもちろんだけど、麻薬中心の生活になってしまうというのも深刻なことだ。これは、タバコでも同じで、喫煙者は常に喫煙所(喫煙可の飲食店)と自販機(およびタバコの購入可能な売店)を確保しながら生きている。

薬物で幻覚症状を得て精神的に自由になる、ということは一切なくて、逆に生活は縛られてしまう。

他人、すなわち薬物を使用していない人、に対して薬物使用を隠してビクビクしながら生活しなくてはならなくなる。そのストレスから、余計に摂取量が増えてしまうという悪循環にも陥る。そして最後には廃人となる。廃人となる前に逮捕してもらえたら幸いかもしれない。

金栗四三の足袋がどうなっていくのかとても心配だ(いだてんIDATEN〜東京オリムピック噺〜)。芸能人は金回りも良く、近づいてくる良からぬ人も少なくない。どういうきっかけで薬物に手をだすことになったのかはこれからの捜査を待たなくてはいけないが、こういう話をきっかけに芋づる式に他の誰かが捕まったという話を聞いたことは、残念ながらない。この話もこれで終わってほしくないのだが、どうなるだろう。

人間は弱い。ちょっとした好奇心で薬物に手を出してしまうことが絶対にないとは言えない。薬物中毒者は、犯罪者であると同時に、被害者でもある。社会全体で麻薬を撲滅することに努めなくては、つぎの被害者をだしかねない。

力を合わせ

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子育て費用の軽減化に思うこと

2019年03月13日 | 日々思うこと、考えること

る子育てにはお金がかかる。

同じ家に代々住むとか、隣近所の互助意識とか、そういったものが消失してして久しい。若い親はその親世代を頼らずに子供を生み育てなければならなくなった。そんなに大変なら地元に残って家のローンなど抱えないでやっていけばいいじゃないかと思う人もいるだろうが、産業構造が変わってしまったのだから仕方ない。いまさら核家族化を止める手立てはない。

少子化の論議になると、子供のいない人、子供を持つことのできない人からは、それが不公平に結びつくのではないかという意見が出される。でも、それはまだ、子供の数が十分回復できそうだと思われていた頃の感覚で、この国が日本生まれの人間だけでは立ち行かなくなりそうになってきた今はその考え方は通用しない。

       

子供なんて放っておいても大丈夫、勝手に育つから、なんていうのも昔の地域社会が機能していた頃の話だ。いじめが蔓延するのは、子供が変わったからではなく、地域の目が失われてしまったからで、その延長で学校での注意の目の感覚が失われてしまったのではないかと思う。

国会で、幼保無償化法案が議論されることになった。低所得世帯を対象とした施策となるようにきちんとした制度設計をしてほしい。子供が生まれたら、集落中でお祝いするという風習があるのを何かのテレビでみたことがある。若い人一人がいたら、その社会には希望が生まれ活気が出る。

そのことは今の日本社会全体に言えることで、日本に希望をもたらしてくれるように、子供には増えてほしいし、そのための施策をたくさん考えてほしい。

 

 

 

 

いじめ対策もしっかりと

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平成はWorld Wide Web(WWW)とともに

2019年03月12日 | 電脳化社会

今日はワールド ワイド ウェブ、WWWの誕生30周年だそうだ。奇しくも平成はWWWの創成期であったということで後世に語り継がれるかもしれない。

 

ワールド ワイド ウェブ誕生 30 周年 

ということは、”ネット環境”なるものに巻き込まれたのは、私がちょうど仕事を始めた頃ということになる。

原理、というかそういうのはよくわからなかったが、とにかくPCをケーブルに繋ぎ、それからIEを開く。そうするとそこからいろいろな文書にアクセスできるようになった。

 

その頃はもっぱらPubMedで文献検索をして研究の参考になりそうな文献のabstractをいくつか読んで、その中からよさそうなもののコピーを図書館でとったものだった。あとは、遺伝子解析。シーケンスが終わったDNAの配列をネット上の解析ソフトにかけて、それがその疾患のDNAであるかとか、そんなことを調べていた。残念ながら、新規のDNAの発見には至らなかった。

 

インターネット環境は世界の隅々まで行きわたり、だれもが世界共通の情報に接することができる。先日、産地の人がバニラの実勢価格を知って、値上げを要求し、世界的に値段が高騰したという話を聞いた。こういうのは、ネットがいい方向に進んでいると言える例だろう。一方、悪いことを考える人は引きも切らず、犯罪の温床となっていることは言うまでもない。

今や世界中の人がWWWの網にかかわり、その上を自由に動き回る人もいれば、絡みとられて身動きできなくなっている人もいる。この技術の進歩は、AI技術の進歩と相まってまだまだ発展していくだろう。

人々がバベルの塔を作ろうとして、神の怒りを買い、塔は壊され人々の言語は混乱させられて世界中散り散りになってしまったという。WWWは果たして第二のバベルの塔となって神に変わる存在になることができるだろうか。そこにはなにが待っているだろう。

 

 

 

人類の急速な進化はなにをもたらすか

 

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備えることと不安は違う

2019年03月11日 | 自然災害・事故・感染症

3.11

あの日、帰宅困難にはなったけど、知っている人が亡くなったというようなことは幸いなかった。知り合いには原発事故の影響で家を失ったという方がいる。話を聞くととても気の毒だ。

私の住む鎌倉市は三方を山に囲まれた、地形の険しい要害の地で、多くの家が崖下のようなところに立っている。一方、平らな地面は海続きだからこれはこれで海抜は低く、津波被害に遭う可能性がある。でも、あれこれ嘆いていまさら不安がっても仕方がない。そもそも鎌倉だけでなくて、日本列島がそいういう地形なのだから仕方がない。

  

いつ、何時でも災害が来るかもしれないということは、日本人なら誰でも知っている。でも、災害が来た時にどれほど落ち着いて対応するか。被災者が助け合って生きるということの準備はどれほどできているかはわからない。

私自身、ほとんどのその覚悟はできていない。

この時期になると、災害に対する不安が募る。でも不安がってばかりではいけない。私たちがしなくてはいけないことは、3.11を風化させることなく、日本人には災害に常に備えるという意識を持ち、日本に住む人の意識に刷り込むことをしていく必要がある。

 

海外からの観光客にも周知を

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グリーンブック

2019年03月10日 | 読書、映画、音楽、美術

典型的なロードムービー。善人二人が主人公の、色々な意味でいい映画だった。

 

私は1963年生まれ。この映画の冒頭でこの話が1962年とでたのでびっくりした。私が生まれる1年前だ。

私はアメリカで生まれた。その頃の米国がこんなだったというのは話ではわかっていたけど、実際こんなだったのかと思うと泣けてきた。

父は身重の母と一緒に海を渡って、私と弟をもうけた。

両親から差別を受けた話を聞いたことはない。それが北部だったからかもしれない。でも差別はあったはずだ。私が留学した時も、”これって差別されてる”と思うことはあった。


日本にも根深い差別がある。ただ単に、肌の色、出自が違うというだけで深く交わることなく差別している。一緒の目的に向かって何かしたら、そこには連帯とか友情とかが生まれてくる。そういったことがないまま区別するということが差別であって、全く意味のないことだとつくづく感じる。人種という区別に意味がないのではないかと考えさせてくれる映画だった。

大ヒットにも納得

 

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私の人生は父の人生か

2019年03月09日 | 生き方について考える

何かの困難に直面したとき、それに立ち向かって頑張るか、それとも逃げるかということには大きな違いがある。

立ち向かう、ということは困難を突破することがその時の目的であって、その目的を達成するために不平、言い訳をしないで向かっていくということ。

一方で、逃げる場合、さっさと尻尾を巻いて退却するならまだいいのだけど、言い訳をしながら退却するというのは良くない。

  

自分で責任をとらず、責任を誰かに転嫁するということ。

私は、自分の人生が今こうあることの多くを父の責任にしてきた。

何か決めなくてはいけない時になると、急に父が出てきて私の人生の進路を決めた。

私はその都度、ささやかな抵抗を試みたものの、それを打ち破るほどの気概も、さらには自分の主張を納得させるだけの努力もせず、父の言うがままにしてきた。

父以外の人との関係においても、私は他人が強いる人生を歩いているような気がする。

だから、人生がそれほど楽しいものではなく、悩んでいるだろうか。

  

中学受験で、徹底的に順位至上主義、偏差値至上主義を叩き込まれ、自分の価値が数値化されているかのような錯覚に陥り、自己肯定感を失い、自信をなくし、自分自身で人生を選んでいくことができないできたように思う。

自分の可能性は(それほど高くもない)偏差値の範囲内にしかなくて、偏差値を超えたところには自分の人生は及ばない、そう思って生きてきた。

なんだか、随分残念な生き方をしてきたものだ。

遅まきながら、これからでも自分の人生というものを取り戻すことはできるだろうか。

いつでもここがスタートライン

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講演、診断業務、聴講

2019年03月08日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

久しぶりの青空。朝起きて、ベランダへのドアを開けても出ることのできない日が続いていたけど、やっと東の朝焼けの写真を撮ることができた。雲は一つもない。

  

午前中に、ある学会に呼ばれての講演があって、そこへ直行。いつもよりもゆっくり出ることができたのは嬉しかった。冬の間は朝晩暗い鎌倉の街しか知らなかったので、気分も明るくなる。

  

昨日、桜の開花予想があったけど、上野の桜は22日ごろらしい。鎌倉もそれぐらいで、楽しみ。

二の鳥居の横の動物病院があったところの桜の木が切られてしまったのはとても残念。工事は5月からとのことで、今年、もう一度咲かせてあげられたのにと考えるとちょっと悲しい。

  

午前中の私の講演会場は東京駅の近く。講演が終わったら、すぐに大学病院に。ルーティンワークは山積みだ。

 

夜は教授がコメンテーターを務める研究会があって、お供で出席。この研究会の会場も東京駅の近く。この研究会のコメンテーターは先日私もやったものだ(昨日の私の発表に対するご意見20181215 )。あっという間だ。他に参加していた先生たちと一緒に一杯やったら随分遅くなってしまった。終電近くの電車は混雑して、あまり好きでない。ラブラブカップルだけならまだいいが、酔っ払った乱暴なおじさんも少なくない。

  

 

今日の講演が終わったので、少し溜まってしまった書き物に取りかかることができる。ブログはちょっと控えめにしないといけないな。

あれもこれもはできない故に

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北風びゅうびゅう

2019年03月07日 | 日々思うこと、考えること

昨日は啓蟄だけあって、多少暖かだったけど、今日は朝から北風が吹いて寒い。雨も降っていて、最高気温もずっと下がるようだ。

ここのところの雨つづきで、インフルエンザは下火になるだろう。花粉もそういってほしいところだけどどうだろう。布団から出たら、花粉が舞ったのか鼻がムズムズする。

ちょっと前の天気予報で、三寒四温は正確な表現ではないと、寒暖の変化を報告していたが、実際は一日二日で気温はめまぐるしく変わるようだ。

そもそも季節の移り変わりを数値化しようというのが土台無理な話で、風情が無いとその時思った。”ああ、昨日一昨日は暖かだったけど、今日は少し寒いな”なんていうのが、三寒四温の表現になるのだろう。

ブログも、ここのところ頑張りすぎだったので、今日のところは三寒四温、このぐらいにしておきます。

明日は晴れ?

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花粉症よりタバコの副流煙

2019年03月06日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

病理の切り出し室に入ると、ときどきタバコの匂いがする。私が思うに、裏が駐車場で、病院の敷地内というのに隠れて吸っている不届きな人がいて、その煙が流れ込んできているに違いない。火のないところに煙は立たない。もちろん、普通ならそんな匂い、窓を閉めていたら入ってくるわけがないのだけど、どこかに隙間でもあるんだろうぐらいに考えていた。それにタバコの匂いはどこからでも入ってくるのが常だ。

昨日は切り出し当番だった。雨が上がって暖かくなり、朝からたくさんの花粉が飛ぶだろうと警戒していたが、通勤中も診断室に入ってからも特に問題なかった。だが、いったん切り出しを始めた途端に鼻水が出始めた。あれ、おかしい。さっきまで平気だったのに。この部屋に入ってからだ。マスクは部屋に入ってから間違えないようにつけた。念のため、鼻のところの金具の向きを直してよりぴったりくっつくようにしたけど、その後もなかなか止まらなかった。

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部屋にいた臨床検査技師に聞いた、「この部屋って、陰圧?」「そうですよ、この部屋は陰圧ですよ」。

陰圧、ということは外気がこの部屋に入ってくるということ。ああ、そうか。病理の切り出し室は環境汚染に配慮して陰圧になっているから、以前タバコの匂いが入ってきたのだ。そして、花粉も。花粉の大きさは2050μm程度なのに対して、タバコの煙は1μm以下。これならタバコの匂いが陰圧状態の部屋に流れ込んでくるのは当たり前だ。それにしてもタバコの副流煙も花粉以上に飛散しているものとは考えていなかった。

うっかりしていた。

よく、外から帰ってきて部屋に入るときには衣服に花粉が付着しているので、それを落とすようにと言われるが、タバコのけむりはもっと、ということになる。電車やバスでとなりにタバコの匂いをプンプンさせている人に座られてほとほと困ることがあるが、そんな人はタバコの副流煙の粒子をばらまいているということだ。副流煙の怖さは以前から言われている(副流煙というタバコの罠20181226 )。でも、なんだか当事者(ニコチン中毒の人)には、周りに、アレルゲンをばらまいているという意識が乏しい。花粉症とリンクさせて考えたらもう少し考えてくれるようにはならないだろうか。

タバコの煙は一年中

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天は二物も三物も?

2019年03月05日 | 日々思うこと、考えること

理Ⅲ(東大医学部)の学生が、ミス日本に選ばれたという話が医療者向けのネットで話題になっていた。驚いたことに先日など林修のクイズ番組(?)でも取り上げられていた。テレビで放映されているのを観たら、聡明かつ健康そうな非の打ち所がなさそうな女性だった。よく、才色兼備とか、天は二物を”与えた”などという表現で、人のことを誉めることがあるけど、彼女などまったくそういう感じだ。でも、こういうことをテレビとかで取り上げるのは、ほどほどにしておいたほうがいいように思う。

優れた人を称賛することは悪いことではないけれど、こと教育となるとちょっと様相が違うように思う。案の定、彼女も都内の一流進学校から林修の講義を聴きながら受験勉強できるという環境に育っている。それだけの教育を受けさせることができる家庭というのがこの国にどのぐらいあるかという根本的な問題については何一つ触れられないまま、格差の再生産をそのまま映しているだけだ。せめて、そういう学生が国際的な学術コンクールや論文を書いたとかいうのなら取り上げていいだろうけど、ただ、才色兼備というだけで取り上げるのはどうだろうと思った。まあ、林修が出ているということでそもそも教育産業の宣伝みたいなものだから、仕方がないのかもしれない。

人間にはそれぞれが持っている素晴らしい素質があって、それは他の誰もとって代わることはできないもの。本来そうあるべきなのに、世間というものは互いの嫉妬心、虚栄心を煽り立てて、それを商売に結びつけていく。それこそが資本主義というものなのだろう。テレビなら視聴率だし、塾、学校を含めた受験産業では進学実績。もちろん、こういったことに関する情報は公開されるべきで、名門私立中高の学費が偏差値同様馬鹿高いということも公開されているので、調べたらすぐにわかる。だから、なかなか答えは見つからない。

付け加えておくと、その番組の中で良かったと思われる情報もあった。

彼女の家では、”家に帰ったらスマホはリビングに置いて、自室には持ち込まない”、”家に帰ってきたら、ずっと家族のいるリビングで過ごす”ということを実践していたそうだ。

たしかに、これはいいこと。でも、これも問題で、そんなことができる環境にない子は世の中にはたくさんいるのだ。

じゃあ、どうしたらいいかということになるが、そういう格差を少しずつ減らしていく、努力を社会全体でしていく、としか言いようがない。

とりあえず、スマホ

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さっさと子離れしたいのに

2019年03月04日 | 家族のこと

昨晩は息子と気まずくなった。まあ、ただの親子ゲンカで、第3者としての妻から言わせたら私が悪い(そうだ)。私としてはいろいろ言いたいこともあるけど、息子と同じレベルで言い合いをするということ時点で、親としての私が悪い。ある意味、子離れできていないから息子を一人の大人としてみることができていないのだろう。ただの同居人、そう考えたらもっと相手を尊重できるのかもしれないのに、子供だと思うから自分の思うように振舞って欲しいと期待してしまう。そんなところか。

 

それにしても、家族という小さな社会だけでも維持するのは大変だ。時間の経過とともに、それぞれの人間関係が広がり考えることもずれていく。そこそこ上手くやってきたとは思うけど、自分の思い通りにいかないと言い合いになってしまう。今回の場合は、子供というものが一人の自己決定権を持つ個人であるという認識が私に欠落していたということが最大の問題だ。

息子が小さな時から、自分に決めさせる、ということをさせてきたけれど、いくつかのタイミングでは”アドバイス”という形で親としての考え方を押し付けていたのかもしれない。妻に対しては、家のこととか、それこそ子育てのこととかで、思いやって手伝うこともできたが、子供に対しては、生活がほとんど重ならないので、手伝ってやれることはほとんどない。

 

歳をとって、顔をあわせる機会が減って、会話の時間もほとんどない。たまにあって、わかったような顔で意見したところで上手くいくわけがない。これを持て、修復が難しいと考えるか、こういう状態になっていくことが親子として自然であると考えるかだけど、それはあきらかに後者だ。親子で接する時間が減ることとは、こういう事態になって行くということなのだ。その辺りのこと、何がどう変化していってるかを見極め、距離を開けて行くことが親としてできる最後のことなのかもしれない。でも、それがなかなか難しい。

すこしずつ離れる

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終電ちょっと前の男と女

2019年03月03日 | 通勤・交通・旅行

昨晩は研究会があり、終わったと先輩病理医と軽く飲んだ。あまり遅くならないうちにお開きにした。終電まであと1時間半くらい、微妙な時間帯。

先輩と乗り込んだ電車で空席があり座ったら目の前で、いきなりイチャイチャしているカップルがいる。
若い者はいいものだ、などと思っていたらキスまで始めてビックリ!なにせすぐ目の前で、目のやり場に困る。次第に混んできたら、キスはやめたが、まあ当てられてしまった。


続いて、乗換駅では、コンコースの中央に微妙な距離で立っている二人。手を握ったり、なんだか変なハイタッチ。
うーん、お互い別れ難いのだなぁと思いながら、横を通り過ぎる。お互い好き合っているのだろうけど、さっきのカップルと違って手を握ってキスだの何だのという段階ではない。まだまだ純情な二人の段階。あの二人、あのあとどうしただろうな。



こんな人たちに会う日だったのだろうか?ホームに並んだらまた微妙な感じの二人が横にいる。男の方が女性にさかんにちょっかいを出している。女性の方は気が無いようだが、男性の方はなんとか彼女を連れ帰りたいみたい。終電までにはもう少し時間があるから、最後のチャンスとなる。うーん、勘違いかもしれないけどね。

というようなことを、帰りに書きながら電車に乗っていたらいつの間にか眠っていた。気がついたら鎌倉駅でドアが開いている。慌てて降りたら、結婚式帰りの一団が騒いでいる。この歳になると、結婚式に呼ばれることもなくなる。若い頃は、寿貧乏、なんて言っていたけど、懐かしいな。

大きなお世話か

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人はみな、同じようなことで悩んでいる・・・2019年2月の読書記録

2019年03月02日 | 読書、映画、音楽、美術

「夫の・・・」は先月読んだ「朝が来る」同様の不妊の話。タイトルは衝撃的だけど、内容はそれほど衝撃的ではなかった。

悩みは、人の数だけある。そう考えただけでも、自分が孤独ではないことがわかる。自分の悩みも取るに足らないのだけど、なかなかそう思い定めて日々生きることは難しい。

 

2月の読書メーター

読んだ本の数:4

読んだページ数:848

ナイス数:56

 

超訳 カーネギー 道は開ける超訳 カーネギー 道は開ける感想

読んでいるうちに、人生をよりよく生きるための格言集だということに気がついた。そして、さらに読んでいるうちに、世の中にはこれほど多くの人が悩み苦しんでいるのだということに気がついた。なんてことはない、みんな悩んでいるのだ。そしてその多くは、考え方を変えさえすれば取るに足らないことになる。自分の失敗を怖れず記録する勇気が持てたらいいのだが。

読了日:0228 著者:デール・カーネギー

 

まんが! 100分de名著 アドラーの教え 『人生の意味の心理学』を読む (まんが!100分de名著)まんが! 100de名著 アドラーの教え 『人生の意味の心理学』を読む (まんが!100de名著)感想

また、マンガで読んでしまった。最近、活字が読めなくなっているような気がして悲しいのだが、こういう時もあるのだろう。アドラーの考えたことを少しでも理解しようと手にとった。アドラーの考え方を少しずつでも日常生活の中で活かしていきたい。自分の課題は自分でしか解決できない、そしてそれがなにかを明確化しなくては生きていけない。

読了日:0217 著者:

 

夫のちんぽが入らない (講談社文庫)夫のちんぽが入らない (講談社文庫)感想

親によって自己肯定感を奪われて育った女性の物語。Looking for Mr. Goodbar、という映画を思い出した。女今太宰、みたいな気もするといったら持ち上げすぎか。そうなるにはこれから先、文筆家として作品を出し続けてもらうことだけど、どうだろう。気分が落ち込むので、次回作を読む気にはならないが、ブログはお気に入りに登録しておいた。

読了日:0213 著者:こだま

 

まんがでわかる 伝え方が9割まんがでわかる 伝え方が9感想

説得術のヒント。日々実践して、自分のものにしたい。

読了日:0211 著者:佐々木 圭一

 

読書メーター

 

悩みを抱えない

 

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