私の人生は、数学でいう積分のグラフ上に描かれた曲線とX軸、Y軸によって囲まれたエリアというイメージだ。
微分されたその一つ一つの瞬間の人生の局面を示す、ほぼ点のようなものによって描かれた曲線によって占められる面とでもいったらいいだろうか。
自分自身の一瞬一瞬の存在によって描いた自らの軌跡によって人生の積分値がきまる。
人生についての考え方には原因論と目的論とがある。
詳しいことは専門書に譲るとして、簡単にいうと原因論は、出自にはじまり自分が生きてきた中でさまざま経験したことにより、今の自分が形成されているということで、これに関するトラウマなどがあるとなかなか厄介なことになる。
私のこれまでの人生もいろいろな向きの接戦を有する”ほぼ”点のようなものの連続からできていることはいうまでもない。
そして、私の人生の曲線によって囲まれた面積こそが私がこれまでに生きてきた証となる。
原因論的な考え方を推し進めると、この先の人生もこれまでの人生により規定されてしまいこの先も動かしようがないということになる。
性別、生まれた国、家庭、学歴などなどそういったものがこの先の人生を決めてしまっていると考えていいのだろうか?
そんなことはない。
人生なんて一寸先は闇、何もわからない。
一寸先どころか世界は暗闇に包まれている。
真っ暗なトンネルの中で私たちは生きているのだ。
人生には過去がある。
私は過去を否定するつもりはないけれど、すべての人にとって過去は同じではない。
戦争で勝ったアメリカやソ連(今のロシア)によって国土の一部が占領されているという状況を見たらそんなことは簡単にわかる。
彼らの過去と私たち日本人の過去(歴史)は違う。
それでも、過去という時間は厳然としてある。
だからこそこれまでの人生は積分によって表される。
そして、この先の人生は自分がその瞬間瞬間に方向を決めて選び取っていくものだ。
それこそが人生というものではないか、そしてその結果として得られるものも人生の積分値だ。
この先の人生の積分値をどうするかは、それぞれの人の意思による。
その局面局面で一生懸命生きることはとても大切だし、ぼーっとすることもの大切だけど、何よりも大切なことは、常に自分が生きていることを実感することなのではないかと思う。
人生とは選び取り切り拓くもの