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80番手からの浮上(田中達也)

2008-08-04 20:43:52 | 浦和レッズ
鹿島戦、同点ゴールの田中達也選手を、遅れ馳せながら話題にします。田中達也は、レッズに入団した当初からサッカーセンスの高さが光っていた選手ですし、高校時代も1年生からレギュラーでした。正直、あの重傷を除けば、あまり苦労しないで天性のサッカーセンスでここまで来た選手だと思っていました。

そのため、テレビCMで、高校時代は、最初は100人中80番目の選手だったという事実を知ったときはびっくりしました。自分がこのままでは通用しないという危機感が、あの驚異的な運動量の原点だったのです。しかし、田中達也の良さは、初めて見た2001年5月の磐田戦で十分わかりました。

このとき、1点リードされていた浦和は、アドリアーノを下げて田中達也をFWに入れてきました。当時のトップ下は小野伸二でした。この日、田中達也をすごいと思ったのは、小野伸二のパスの出し方を十分把握して、パスが出たらすぐに走りだせる体の向きをしていたことと、ポジショニングが良く、磐田ゴール前にあったわずかなスペースを見つけていたことです。

まだ当時の田中達也にシュートを打つ思い切りが足りなかったのでゴールにはなりませんでしたが、負け試合の中で強烈なインパクトを残しました。そんな田中達也が大きく飛躍したのは、2003年から2005年にエメルソンと2トップを組んでいた時期でした。ときには強引と言われようと、シュートで終わるエメルソンの意識の高さを見て、田中達也もシュート意識が飛躍的に上がりました。

その結果、代表にも呼ばれるようになりました。しかし、2005年の重傷は、間違いなく選手生命の危機だったはずです。スピードが武器の田中達也は、足が遅くなったら契約してもらえないという危機感はあったでしょう。しかし、医学の進歩と本人の努力で、2006年に復帰したときには前と同じプレースタイルを取り戻していました。

この年はまだ骨折部にプレートが入っていたので、本来のプレーという訳にはいきませんでしたが、それでも田中達也の元気な姿はサポーターに勇気を与えてくれました。今年はエジミウソン、高原と即戦力のFWを二人も補強される苦しいシーズンでしたが、ここ数試合のプレーを見れば、浦和のFWの軸は田中達也にすべきと多くのサポーターが思ったことでしょう。

負傷に気をつけながらになってしまうでしょうが、それでも田中達也の能力が完全に開花したらどこまで行くのかという楽しみはあります。そんなベストの田中達也をいつか、レッズでも代表でもいいから見てみたいものです。
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