
「65歳で障がい者を差別するな訴訟」原告の浅田達雄さんのプロフィール2です。
1973年、浅田さんが25歳の時に旭川荘に重度障害者療養施設「竜の口寮」ができました。すぐに入寮しました。
自治会を作り、管理者へ考えを伝え実現します。
「子どもの施設ではないから銭を自分でかんりさせてほしい」「ほしいものを好きな時間に食いたい」等々。
「また、例を挙げると、寝たきりに人のために毎日決まった時間にお菓子や・飲み物3人で部屋ごとに売ってあるようにする」
「週に2回ほど喫茶コーナーを食堂の一角で開いたり、家庭でいるようにしたいと思ってやりました」
竜の口寮での生活は7年におよびました。
両親は亡くなられました。
「一人ぼっちになりました」
1980年、親戚の大反対を押し切って「仲間と二人で、ボランティア(主に医学生)の協力を得ながら暮らすようになりました」
1982年、アパートで一人暮らしを始めました。
「市の嘱託人ホームヘルパーが週2回計4時間来てくれて、家事の支援をしてもらいました」
「毎日の食事の用意はだいだい一人でしていました」
「ヘルパーが来ない日はボランティアが交代にきてくれて私の生活を支えてくれました」
1985年、運転免許取得!
「友人の勧めもあり、親せきの大反対を押し切って大冒険をしました。おかげで行動範囲も広がって就職もできました」
1987年、低家賃の市営住宅に入居
「この頃は、ヘルパーさんに週2回2時間来てもらい、残りの家事は自分でやっていました」
「しかし、毎年少しずつ身体が次第に思うように動かなくなって仕事を辞めざるを得なくなりました」
つづく
1973年、浅田さんが25歳の時に旭川荘に重度障害者療養施設「竜の口寮」ができました。すぐに入寮しました。
自治会を作り、管理者へ考えを伝え実現します。
「子どもの施設ではないから銭を自分でかんりさせてほしい」「ほしいものを好きな時間に食いたい」等々。
「また、例を挙げると、寝たきりに人のために毎日決まった時間にお菓子や・飲み物3人で部屋ごとに売ってあるようにする」
「週に2回ほど喫茶コーナーを食堂の一角で開いたり、家庭でいるようにしたいと思ってやりました」
竜の口寮での生活は7年におよびました。
両親は亡くなられました。
「一人ぼっちになりました」
1980年、親戚の大反対を押し切って「仲間と二人で、ボランティア(主に医学生)の協力を得ながら暮らすようになりました」
1982年、アパートで一人暮らしを始めました。
「市の嘱託人ホームヘルパーが週2回計4時間来てくれて、家事の支援をしてもらいました」
「毎日の食事の用意はだいだい一人でしていました」
「ヘルパーが来ない日はボランティアが交代にきてくれて私の生活を支えてくれました」
1985年、運転免許取得!
「友人の勧めもあり、親せきの大反対を押し切って大冒険をしました。おかげで行動範囲も広がって就職もできました」
1987年、低家賃の市営住宅に入居
「この頃は、ヘルパーさんに週2回2時間来てもらい、残りの家事は自分でやっていました」
「しかし、毎年少しずつ身体が次第に思うように動かなくなって仕事を辞めざるを得なくなりました」
つづく