夜行バスは予定より早く仙台駅に到着した。
レンタカーの予約は12時だから、まずは朝食をカフェでいただく。
それでも時間は過ぎていかない。
11時から借りてやろうとトヨタレンタカーへと向かう。
受付のお兄さんに聞くと、まったく問題なく1時間早く手配してくれた。
私はレンタカーの料金についてまったく知識がない。
なんとか安く借りれないかと一応考えてみた。
宿の予約と同時に申し込むと割引になると「る . . . 本文を読む
4月18日 午前 母をショートステイに見送った。
前日までに登山用60Lサイズのリュックと小さなデイバックに必要なものを詰めた。
デイバックは車内持ち込み用だ。
4月の東北は寒いという亀山兄のアドバイスで冬山に行くような装備になってしまった。
この忠告は大正解だった。
東北訪問中には、4月には珍しい雪や冷たい大雨に遭遇した。
温暖な岡山では考えられない厳しさだった。
岡山からは午後2時すぎの山陽 . . . 本文を読む
東北に行く前に読みたかったのですが間に合わず本日届きました。
留守中に届くとまずいので帰ってから注文しました。
石巻市立雄勝病院の震災時を取材したドキュメンタリーです。
私が雄勝病院訪問時には、すでに解体が始まっていました。
まさに雄勝湾に面する「海の見える病院」でした。
この本の内容は、雄勝町の記事を書くときに触れたいと思います。
辰濃哲郎さんは大震災直後から被災地で取材を続けているそうです . . . 本文を読む
山田町船越から町の中心にある高台(御蔵山)に戻ってきました。
人々の命を救った高台です。
その2に書いています。
この高台は人工で作られたのか自然の丘だったのかはわかりませんが海岸近くの平地に高台があることで度々襲う津波から人々を守ったことは確かです。
先人の思いが形となって今も村に伝わっているのですね。
津波から命守るためには一歩でも1mでも高い所へ「津波てんでんこ」※で避難する。
と . . . 本文を読む
小谷鳥集落を訪問した後、船越に戻りました。
船越は、鯨と海の科学館があるところ。
ここも津波の襲われた。
船越は、船越半島の根元にあたる地区です。
外海と山田湾を隔てる陸地は標高が低く、外海からの津波は易易と山田湾まで乗り越える。
東日本大震災でも突き抜けた津波が甚大な被害を及ぼした。
写真の下から上の山田湾に津波が抜けていきました。
山田町は、この方向(南方)からと山田湾の入口(東方)から . . . 本文を読む
被災された地区を訪問しました。
写真の下の部分が、船越(顔写真がある地点)、船越大浦(船越の右)、船越小谷鳥地区(大浦の南、地名記載なし)です。
外洋に面した船越は、土地が低く山田湾にも面しています。
大きな津波が襲えば、外洋から山田湾に津波が津波が突き抜けていきます。
東日本大震災も同様でした。
壊滅的な被害を受けました。
小谷鳥地区も外洋に面した美しい浜を持つ良港です。
今までの津波でも例外な . . . 本文を読む
※八重丸の前の亀山兄
亀山さんという書き方もなにかよそよそしいので、勝手に「お兄さん」にさせていただきました。アニキですね。
お家でコーヒーを頂き、いよいよ町を案内させていただくことになります。
その前にトイレを借りました。
実は、前日までの3日間相当寒かったのですが、尿意がほとんどありませんでした。
後から考えると車の運転で座ったままの姿勢で運動もほとんどしていないのが悪かったようです。
体内 . . . 本文を読む
少し横道にそれます。
明治の三陸大津波について書いておきたいと思います。
山田町訪問の記事は次回以降続けます。
前回の文章末尾に、過去の震災時の山田町の死者数を書きました。
驚いたのは、明治三陸大津波の山田町の死者数(2950人)の多さです。
明治三陸大津波全体の死者数は、約2万6千人と言われています。
山田町の死者はその一割以上です。とんでもない死者数です。
調べてみると、釜石町(当時)の死者 . . . 本文を読む
亀山さんご夫婦が暮らす仮設住宅にやっとたどり着きました。
お家にお邪魔し、いろいろお話をお伺いました。
NHK東日本大震災アーカイブスより
中央左4のあたりが町の中心であり港となります。
山田湾に面した天然の良港です。
湾の中に浮かぶ大島は、オランダ島とも呼ばれ、江戸初期に難破したオランダ船がたどり着いたそうです。
村民は彼らを篤くもてなし、送り出したと言います。
しかし、再度難破して漂着し . . . 本文を読む
※山田町の漁師 亀山さんの船です。釣り人来たれ!
現地4日目。
前夜は宮古市浄土ヶ浜にある国民休暇村に泊まった。
復興支援の人を優先的に泊めるということで、駐車場には工事用車両も停まっていた。
これは被災地のどの宿泊施設も同様だった。
観光客と思われる人もおられたけれど、復興支援には違いない。
どんどん来てもらいたい。
被災地に近い宿泊施設は数が限定され、泊まれればそれでいいという思いだったけ . . . 本文を読む
東北に行ってきました。
4月18日に岡山を立って翌19日午前に仙台到着。
レンタカーで
1日目(4月19日)仙台市→多賀城市→塩釜市→松島町→東松島市→塩釜市→石巻(泊)
2日目(20日)石巻市→女川町→石巻市雄勝町→南三陸町→気仙沼市(泊)
3日目(21日)気仙沼市→陸前高田市→大船渡市→釜石市→大槌町→山田町→田老町→宮古市(泊)
4日目(22日)宮古市→山田町→大槌町→笛吹峠→遠野市(泊)
. . . 本文を読む
東北から帰ってきて、岩清水日記も再開です。
今日は4月25日。
慰霊の日です。
尼崎に行きました。
8年が経ちましたが、遺族の方々の時間はあの日から止まったままです。
このブログでは、80数本の文章を書きました。
当時のJR西日本の安全への意識は薄れていました。
営業が優先されていたのです。
規制緩和の負の一面が表面化した大事故でした。
信楽鉄道事故以後、被害者遺族が原因究明や再発防止へ取り組 . . . 本文を読む
佐藤雅彦さんが直面されている困難です。(2)佐藤雅彦さんは自らの病である若年性認知症を理解をしてほしいという気持ちを強くお持ちです。病状・症状がどのようなものか、詳しく書かれています。以下に転載させていただきます。...>続きを読む
※岩清水は旅をしております。
更新が滞ると思います。ご容赦ください。 . . . 本文を読む
その初回の文章ですね。
佐藤雅彦さんは今年も元気に活躍されていますよ。
私より皆さんがご存知ですね。
若年性認知症の当事者・佐藤雅彦さんが書かれた文章です。佐藤雅彦さんから「添付ファイルの文章をfacebookにのせてください」とのメールを受信した支援者の前田隆行さん(神奈川県相模原市在住)が自身のfacebookに掲載されました。...>続きを読む . . . 本文を読む
岩清水日記 第一日、2004年11月4日は世界の歴史の分岐点でした。
ブッシュが2期目の当選を確定していた。
これは現国務長官のケリー氏が敗北を認めたことによる。
大接戦だった。
「極僅差」の選挙結果にアメリカは大揺れでした。
結局、ケリーが矛を納めた。
イラク戦争の真っ只中。今も現地で支援活動する高遠菜穂子さんらがファルージャで拘束された年だ。
あのバッシングはなんだったのか。
その後、高 . . . 本文を読む