見開き広告の中心に書かれていた文章は
お読みいただきありがとうございました。 . . . 本文を読む
オリンピックの熱狂にかき消されてしまった8月6日でした。
パリ五輪は平和に寄与しているのでしょうか。
五輪期間中の停戦さえできない世界になり果てたようです。
パンとサーカスとはよく言ったものです。
人間の愚かさを象徴する言葉です。
といっても諦めるわけにはいきません。
昨日は自宅で黙とうをしました。
ヒロシマから長崎まで423kmをランナーたちが走っています。
もも . . . 本文を読む
以下は、丸木美術館のホームページの年表の1970年を掲載しました。
1970地元・東松山の有志から旧本陣小高家の書庫「小高文庫」が寄贈され、移築原爆観音堂を建立栃木県野木町より古民家「野木庵」移築
2階にある「小高文庫」に上がります。
南側から見た美術館です。奥の二階建ての建物の2階部分にあたります。
確かに書架です。
旧本陣小高家の建物だけに太い木組みです。
夫妻が健在な . . . 本文を読む
美術館の入口です。
企画展として 『ピカドン』とその時代 が開催中でした。
『原爆の図』は2階に展示されています。
横7メートル余りの図が壁面いっぱいに飾られています。
作品に合わせて展示室を設計したとのことです。
照明は天井からの自然光です。原発も原爆も同じだということで必要な電力は太陽光発電だそうです。
『原爆の図』
圧倒的です。立ち尽くします。どのように観ればいいのでし . . . 本文を読む
2023年12月10日午後1時30分より
倉敷市公民館にて、神田香織さんによる『はだしのゲン』の講談がありました。
おかやま「被爆2世・3世の会」の主催、倉敷市人権啓発活動費補助事業です。
倉敷市公民館に初めて行きました。美観地区の真ん中です。
周辺には大勢の観光客が訪れていました。
大原美術館のすぐ傍です。
皆さん、厚手の上着を脱いで季節外れの暖かな日を楽しんでいました。 . . . 本文を読む
それでは宇品港ターミナルから宇品の街を歩いていきます。ブルーマーカーになぞって
左下から右上です。
↓ 宇品港市電ターミナルです。立派!
鉄道マニアにはたまらないのでは。
波止場近くの焼肉屋さん
広島海運社宅です。昭和でも30年代かも。
昔はここが終点だったのかも。
電車道を北上します。残っていますね。昭和です。
市電が追い抜いてい . . . 本文を読む
2023年9月18日、午前4時起床してヒロシマを書き進めようと思ったのですがラグビーの日本-英国戦が始まってしまいました。
2時間釘付け。日本チームよく食らいついたのですが英国チームの攻撃力が上回りました。実力に差があったように思います。
さてヒロシマの続きです。
原爆投下直後の広島の地図です。オレンジのラインは平和公園から御幸橋まで
私が歩いたルートです。
御幸橋に立ちました。
. . . 本文を読む
※見出し画像は御幸橋を渡る市電です。
元安川の堤防を川下に歩いていきます。
現在の航空写真です。左の中州を南下しています。右の中州は大きな病院、大学、図書館などが並んでいます。
下の被爆後の写真では上の中州の右端が相生橋で左に歩いていきます。
なにもなくなっています。木造の建物が多かったのでしょう。
中央の大きな中州は建物が残っています。コンクリート造の建物が多かったことが分かり . . . 本文を読む
今回の広島訪問では1945年8月6日午前8時15分の原爆投下直後、大勢の方が爆心地近くで被爆されました。
人びとは火傷や負傷し大変な思いで避難されたわけですが(もちろんさらに多くの方が瞬時に命を絶たれました)、その距離的な感覚を理解しようと思い平和公園から南下しました。
まだ爆心地にいます。
四方八方に避難されたと思いますが、私は南に逃げていきます。
現在、右上の平和大橋の . . . 本文を読む
昭和20年8月6日午前8時15分。
爆心地の地表温度は3000~4000度に達し、ものすべて解けてしまいました。
爆風は、爆心地で秒速440mと推定、最強台風の7倍の風速です。
原子雲(きのこ雲)は14000mの成層圏まで達したのは前回の写真の通りです。
地表温度の3000~4000度がいかなるものか、鉄さえ溶かす温度です。
例えるなら、スイッチオンされた電子レンジの中にいるようなものだ . . . 本文を読む
相生橋の西詰まで来てから横断します。
相生橋から平和記念公園と原爆ドームを望みます。
被爆直後の相生橋です。
真上からの爆風にコンクリートが吹っ飛んでいます。風速でいえば秒速200mほどだったのではないでしょうか。
右上は被爆前のドームです。広島県物産陳列館ですね。
映画『この世界の片隅に』にも描かれていましたね。
主人公がはしけに乗って太田川を上ってきたように . . . 本文を読む
広島城内を通過して南下しようと思いました。
階段を降りていくと足の不自由な高齢の女性が休んでおられました。
声掛けをすると、「念願かなって登ることができました。展示物が多く勉強になりました」と。
ならばサボるわけもいかず入城することにしました。
来城者の半数以上は外国の方です。モデルコースなのでしょう。
入口から先は撮影禁止です。広島の歴史、古文書や兜や刀剣が各階に展示されて . . . 本文を読む
9月11日、まず午前中の目的地、広島地裁です
広島駅前は工事中です。高層ビルの圧迫感が半端ではありません。
被爆前と直後の広島駅です。『被爆の記録ヒロシマ』中国新聞社刊より 以後同じです。
栄橋まで来ると空間が広がりほっとします。
陸橋から北を望みます。
高層マンションが林立しています。
広島女学院前までやってきました。この空間は貴重です。
南向き . . . 本文を読む
原爆詩人 峠三吉の直筆書簡が見つかりました。
中国新聞に掲載されました。
読みやすいように分割しています。
かえって読みにくいかもしれません(-_-;)
広島の米軍による被ばく報道統制、そして朝鮮戦争によるレッド・パージ。
当時の恐怖が伝わってきます。
お読みいただきありがとうございました。
💛ウクライナに平和を💛 . . . 本文を読む
例年の8月は、戦争に関するドキュメンタリーがNHKを中心に多いのですが、
今年は忘れ去られています。
首相まで読み飛ばす始末です。
今夜、見直していたのは被爆70年の時に創られた『ヒバクシャからの手紙』。
6年前にすでに80歳を超えておられたヒバクシャの方々の後世に残したい思いが込められた手紙です。
残された貴重な手紙です。
私はこのドキュメンタリーを途中までしか観ることができませんで . . . 本文を読む