岡山孤児院を創った石井十次 教育法です。
2005年に書いた記事ですが、毎年今の時期に検索されます。
たぶん、社会福祉を学ぶ学生さんが検索しているのでしょう。
私にとっては 4月の風物詩です。 . . . 本文を読む
岩清水日記は2004年から書いています。
その当時書いた記事はほとんど忘れているのですが、
検索してくれる方がいて、私も読み返すことがあります。
石井十次に関しては図書館に通って調べてみました。
地元ということもあり資料に恵まれました。
この記事はその一つです。 . . . 本文を読む
5月17日記事から啓発を受けて。
岡山県高梁市にある吉備国際大学は、順正学園の運営です。
この「順正」は、明治10年代に設立した順正女学校の名を継承しています。
創設にかかわった福西志計子さんや木村静さんはキリスト者であり、新島襄や留岡幸助、山室軍平、石井十次とも
深くかかわっています。
高梁は、幕末に幕閣として活躍した板倉氏の居城があったところでもあります。
保守の気風が色濃く、明治初年当 . . . 本文を読む
この教会も石井十次に関係があると思われる。
十次は、岡山の医学校に入学する時に、教会に寄宿しようと考えていた。
プロテスタントの岡山教会では金森牧師不在で門前払いにあい、カソリック教会で受洗し寄宿した。
その教会が岡山カソリック教会だと思われます。
もちろん、十次はその後、プロテスタントに再受洗したのですが。
さて、岡山カソリック教会ですが、とても素晴らしい教会です。
今日も聖堂を覗いてみたので . . . 本文を読む
岡山一番の繁華街の一角に岡山教会がある。
今は写真のようなビルになってしまい、敷居が高くなった思いがする。
本日も、外からの礼拝となった。
高校生時代にはこの教会の日曜学校に通ったことが懐かしい。
その時代には、ふつうの小さな教会だった。
岡山教会のホームページに当時の写真が掲載されていた。
この教会の初代牧師は、金森通倫氏、2代目は安部磯雄氏です。
当ブログにも書いています。
石井十次の . . . 本文を読む
岡山寺社仏閣教会30選の最終日は日曜日となりました。
日曜日といえば教会ですね。
まず「岡山博愛会教会」を訪問しました。
1891年に設立しています。
日清戦争の前です。
この年、アリス・ペティ・アダムスがアメリカンボードの宣教師として岡山にやってきます。
彼女の活躍は、当ブログにも書いています。
近くには、博愛会病院もあります。
. . . 本文を読む
市内御成町にある圓常寺には石井品子と孤児のお墓があります。
操山の麓です。
近くには池田家ゆかりの玉井宮と護国神社もあります。
護国神社は、地域との繋がりが少なく、参拝者は多いながらも異質な神社です。
地域の人々に守られてきた社(やしろ)とは違います。
今回も違和感がありました。 . . . 本文を読む
岡山市内 門田屋敷にある三友寺は、石井十次が岡山孤児院を開設した寺です。
孤児院発祥の地です。
今では当時の建物は山門があるのみです。
山門左手の石碑には、ピンポン伝来の地とあります。
この寺に寄宿していた英国人ガントレットが山田耕筰にピンポンを教えたのが、
最初とのこと。
岡山県卓球協会が記念碑を建ててます。
びっくりしました。
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本日は家を空けられない事情がありました。
で、都大路で繰り広げられる高校駅伝をテレビ観戦。
京都にいる時は見に行きましたね。
ラストスパートの速さと、タスキを渡した選手がすべての力を出し切って倒れこみ、
そのまましばらく立ち上がれない姿を見ていました。
テレビの画面では映らない激しさがありました。
午後3時過ぎにお役御免となり、散歩に出ました。
今日は操山まで行くことにしました。
この操山は . . . 本文を読む
10月2日の朝日新聞文化欄に、宗教学者 山折哲雄氏の表題の文章が掲載された。
賀川豊彦が、紙面に登場するのは珍しいのではないだろうか。
彼の名著『死線を越えて』が発行されたのが1920年。
この小説は、彼が神戸新川のスラム街での体験をもとに書いたベストセラーだが、
その新川のスラム街に身を投じ年が、1909年(大正9年)であり、今からちょうど百年前に
なるという。
『死線を越えて』を最近やっと . . . 本文を読む
児島虎次郎美術館は、旧倉敷紡績工場の建物を改装して作られています。
アイビースクエアの敷地内にあります。
実はいつも前を通過しながら、入ることのなかった美術館です。
とにかく目立ちません。
美術館に入ると、ほとんど見学者がいません。
係の男性が一人おられるだけです。
それだけにゆっくりと作品を観ることができます。
そして、彼の世界に圧倒されました。
今の私の力では、彼の絵画の世界を理解するこ . . . 本文を読む
山陽新聞社 1999年
最近、『児島虎次郎』を手元に置き、少しずつ読んでいます。
児島虎次郎は、岡山県中部の町成羽町出身。画家として一家をなした人であり、
大原美術館の珠玉のコレクションの収集にわが身を削って尽くされたことでも
知られています。
大原家とのつながりが深く、大原家の美術監督的役割も果たしています。
結婚に関しても、大原孫三郎が媒酌人であり石井十次の娘をめとっています。
この伝記の . . . 本文を読む
岡山中区・円常寺
6月7日15時1分配信 毎日新聞
◇児童福祉の先駆 記念碑も完成
全国初の孤児院「岡山孤児院」を創立した石井十次(1865~1914)の妻品子(しなこ)(1866~1895)と、孤児院で亡くなった子供たちの墓の整備が6日完了し、円常寺(中区)で初披露された。「この子等の願い天までとどけ」と刻まれた記念碑も建てられ、関係者約70人が集まって除幕式を行った。
石井十次は1887 . . . 本文を読む
10月2日8時7分配信 産経新聞
岡山石井十次顕彰会設立準備会は1日、岡山で死んだ十次の妻、
品子や疫病で死んだ「岡山孤児院」の子供たちの記念墓地を
岡山市御成町の円常寺敷地内に整備すると発表した。
今年12月末、完成を目指し、完成後の来年4月、顕彰会設立を
予定している。
石井十次(1865-1914)は明治20(1887)年、
岡山市に日本で初めての孤児施設「孤児教育会」(後の岡山孤児院) . . . 本文を読む
秋の夜長の時間つぶしの作業と思わないでください。
上の写真は、明治期の岡山孤児院内の学校です。
下の写真は、おおよそこの辺りかなと見当をつけた現在の写真です。
まだ正確とは言えませんが、遠景の山(操山)の形が、同じ形に見えますね。
方向は間違いないでしょう。後は遠近ですね。
当時の地図と現代の地図を比べていくことで同定できると思います。
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