
今日は、アムダで講義を受けていた。
「アムダの思想」についてである。
アムダは原理原則がとても明確なNPOだ。
なぜ、原理原則を明らかにしているか。
それは国際的援助活動をする団体だからである。
多言語、多文化の中で活動するためにはこの「組織哲学」が欠かせないのだ。
タイトルの「不言実行に価値があるかと」いう問いは、国際社会での価値のことである。
この「言と実行」という熟語には組み合わせが4つある。
1.有言実行
2.不言実行
3.有言不実行
4.不言不実行
日本文化の価値観ならば、
不言実行>有言実行>不言不実行>有言不実行
黙っていて行動する人が一番。最近では有言実行も評価も高い。
が、有言で不実行はどうしようもない、と考える人が多いのではないだろうか。
もちろん、私もそのように考える典型的な日本人だ。
では、国際社会ではどうだろうか。
もっとも評価されるのは、
やはり、有言実行 (言ったことはやる人だ)
では、次はと言えば、
なんと、有言不実行!
言うことは言うがやらない人も評価が高いのだ。
3番目はなにか。
不言不実行。言わないし、やらない人。
そして、評価が最も低いのは、なんど
不言実行!
有言実行>有言不実行>不言不実行>不言実行 という順になる。
どうして?と言われるかもしれないが、納得する方もおられるのではないか。
私は納得した。
海外で、よかれと思って不言実行をした際の反応は以外なものだった。
「なにを考えているのかわらない」
最悪は「なにをするかわからない人」という評価である。
よいことだと考えて行った行動がまったく評価されない、それだけでなく誤解されてしまう。
「不言実行」は、同じ文化の中でしか通用しない行動価値なのだ。
「有言実行」でいきましょう。
※不言実行に近い文章が『知行合一の旅人 宮本常一』長岡秀世
155pに吉田松陰の言葉として紹介されている。
「真に人の師たろうとすれば、ただひたすらに己を修め身を尽くし言葉でなく実行をもってするほかなし」
「不言実行」ですね。
本人が書いたものは
何も残されていない。
エピソードのようなもの
聞き語り集があるだけ。
権力を背景に威張った発言をするのを
嫌う文化でもあります。
国際社会・・つまり社会では
貴記事の指摘されるとおり
発言のないものは無ですね。
「無」とは存在しないもの。
これに語学の問題がある。
日本語でどれだけ声高に叫んでも
国際社会ではおおむね「無」ですね。
今日
貴記事を読んだおかげで
「西郷を見習おう」的記事を書きそうでしたが
もう一度
原点から考え直すことに。
*「アムダ円卓会議」のこと拙ブログ(介護)でリンクさせていただいています。
コメントありがとうございます。
国際社会への発言、発信の弱さは日本人の最大弱点だと思います。
歯がゆい思いです。
有言不実行について考えています。
有言不実行は、発言者にとってはマイナス部分が
多いかもしれませんが、社会的には例え不実行でも大いに価値があるように思っています。
このあたりも少し掘り下げたいと思います。