辰子が孤児院に来てから3年が経った。
1895年、品子と十次に病魔が遅い、品子には炭谷小梅が
付きっきりで看病し、十次の収容先である離病院には二人の
看護婦が付き添った。そのひとりが辰子だった。
そして十次のみ生き残ることになる(2月21日号掲載)。
その時のことを、小梅の講演録から引用してみる。
少し長いが、大切な内容なのでお許しいただきたい。
石井氏は3人の実子と300人(1895年現在)の孤児を連れまして、
あちらかもこちらからも「おとうさん紙をください」、
「毛糸を下さい」というように、皆石井氏に取りつくように
なりました。これを見ては私もたまりませんでしたが、
私には親もあり、また身体も丈夫ではありませんでしたから、
ずうーと入りこむ事ができませんで、毎日朝行っては夜分に
帰るというようなことを致しておりました。
それでありましたからして石井氏にはよい後妻を得させたい
と思いました。ところが中々困難な仕事でございますから、
石井氏の性質を取りたてて行くというような人はまれで
ございましたが、只今申し上げました吉田という人は誠に
感心な性質でありました。
なくなられた石井夫人におとらぬ人物でございましたから
して、私はこの人こそ適当と存じ、どうか石井氏に後妻に
なって下さらぬかと申しました。
ところが「私は生涯看護婦で世を終ることに決心をいたし
ました事でありますから、どうぞ清くすごさせて頂きたし」
と申しました。
また石井氏の方へその事を申しましたところが、
「彼の人は命がけで私の看病をしてくれ、また孤児院の
ために大いに力を尽くしてくれる人でありまして、
あれほどの人物を私の妻として仕舞うのはいかにも惜しいと
思いますからあれはあれとしておいて、またその内に相当な
婦人を見つける事ができるでありましょう」と申されました。
けれども私は両方を説き付けまして、終には両人とも承諾を
してくれました。
火の玉宣教師「炭谷小梅」の面目躍如という思いである。
いったん決心したふたりは、回りのさまざまな雑音にも
戸惑うことなく、新たな「院のお父さんとお母さん」に
なって行く。
小梅の次の一言が印象的である。
「これは20世紀の石井氏のために神がこの夫人をあたえら
れたのであろうと私は信じております」
「20世紀の石井氏」、なかなか素晴らしいことばである。
それは十次の活躍を知っている講演会の参加者には、まったく
腑に落ちることばであっただろう。
1895年、品子と十次に病魔が遅い、品子には炭谷小梅が
付きっきりで看病し、十次の収容先である離病院には二人の
看護婦が付き添った。そのひとりが辰子だった。
そして十次のみ生き残ることになる(2月21日号掲載)。
その時のことを、小梅の講演録から引用してみる。
少し長いが、大切な内容なのでお許しいただきたい。
石井氏は3人の実子と300人(1895年現在)の孤児を連れまして、
あちらかもこちらからも「おとうさん紙をください」、
「毛糸を下さい」というように、皆石井氏に取りつくように
なりました。これを見ては私もたまりませんでしたが、
私には親もあり、また身体も丈夫ではありませんでしたから、
ずうーと入りこむ事ができませんで、毎日朝行っては夜分に
帰るというようなことを致しておりました。
それでありましたからして石井氏にはよい後妻を得させたい
と思いました。ところが中々困難な仕事でございますから、
石井氏の性質を取りたてて行くというような人はまれで
ございましたが、只今申し上げました吉田という人は誠に
感心な性質でありました。
なくなられた石井夫人におとらぬ人物でございましたから
して、私はこの人こそ適当と存じ、どうか石井氏に後妻に
なって下さらぬかと申しました。
ところが「私は生涯看護婦で世を終ることに決心をいたし
ました事でありますから、どうぞ清くすごさせて頂きたし」
と申しました。
また石井氏の方へその事を申しましたところが、
「彼の人は命がけで私の看病をしてくれ、また孤児院の
ために大いに力を尽くしてくれる人でありまして、
あれほどの人物を私の妻として仕舞うのはいかにも惜しいと
思いますからあれはあれとしておいて、またその内に相当な
婦人を見つける事ができるでありましょう」と申されました。
けれども私は両方を説き付けまして、終には両人とも承諾を
してくれました。
火の玉宣教師「炭谷小梅」の面目躍如という思いである。
いったん決心したふたりは、回りのさまざまな雑音にも
戸惑うことなく、新たな「院のお父さんとお母さん」に
なって行く。
小梅の次の一言が印象的である。
「これは20世紀の石井氏のために神がこの夫人をあたえら
れたのであろうと私は信じております」
「20世紀の石井氏」、なかなか素晴らしいことばである。
それは十次の活躍を知っている講演会の参加者には、まったく
腑に落ちることばであっただろう。