賢治の「雨ニモマケズ」に謳われた「寒さの夏はおろおろ歩き」
と謳われた東北大凶作は、1905年(明治38年)のことである。
岩手県花巻に生まれた賢治が9才の時である。
平年に比べて1~3割の収穫しかない大飢饉である。
全く収穫のない村もあった。
弱いものは生きていくのさえ困難になってしまった。
十次はこの飢饉が始まる直前に、この飢饉を予期するように、
無制限収容主義を発表していた。
1906年(明治39年)2月、真冬の最中にすでに被災地では食
料が尽きていた。
食い扶持を減らすために女子の身売りや捨て子が続出した。
十次の救済が始まる。
もちろん、財政的裏付けのない、傍目には無謀な救済活動で
ある。福島、仙台、岩沼(宮城県)の3ヶ所に仮収容所を
つくり、東京に中継所をつくった。もちろん、児童を長躯、
岡山へ運ぶための準備である。
十次を支える人々のネットワークもすでに全国に広がっていた
はずである。
この未曾有の救済劇は、全国的に注目を集めたことであろう。
当時の山陽新報の記事に詳しく書かれている※。
第1陣(児童242名と付添10名)は3月20日に各収容所を出発、
1週間をかけて岡山にたどりつくことになる。児童達の移動に
寄り添うように、支援の輪が広がり、食料が提供された。
岡山についても食べきれない食料を孤児院まで
人力車で運んだという。
第2陣 4月4日 120名
第3陣 4月11日 67名
第4陣 4月15日 51名
第5陣 4月26日 72名
第6陣 5月17日 272名
50日余りで、院生は1200名を超えた。
一挙に3倍になったのである。
どのようにして収容したのだろうか。信じられない思いだ。
国内外から続々と支援が届くのではあるが、十次はこの時期、
腸チフスに倒れ、1ヶ月間床から離れることができなかった。
もちろん、辰子の献身的な看護が続いたことだろう。
その病床で十次は夢を見る。
夢は十次の重要な精神世界である。
(十次の夢については、河合隼雄の「明恵 夢を生きる」で
書かれたような研究がぜひとも必要と思われる。
研究者の奮起を期待したい)
「キリストが大きな籠を背に現れた。籠は数百人の児童で
いっぱいだった。なのに後ろに20人ほどの大人がいて、
外に残っている2~300人のこどもを次々と籠に押し込んだ。
全部を入れてしまうと、キリストは、もう済んだのか、という
態度で静かにたち上がった」という。
この夢の話を読んで思い出したのは、聖書の中の有名な
逸話である。
キリストは大勢の群集に囲まれていた。
弟子たちはみんなに食べてもらうパンがないと悩んでいた。
「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の
祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、
二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、12の籠に
いっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人だった」
マルコによる福音書より。
この逸話をもちろん十次は知っていたはずである。
※岡山孤児院物語 山陽新聞社刊 より
と謳われた東北大凶作は、1905年(明治38年)のことである。
岩手県花巻に生まれた賢治が9才の時である。
平年に比べて1~3割の収穫しかない大飢饉である。
全く収穫のない村もあった。
弱いものは生きていくのさえ困難になってしまった。
十次はこの飢饉が始まる直前に、この飢饉を予期するように、
無制限収容主義を発表していた。
1906年(明治39年)2月、真冬の最中にすでに被災地では食
料が尽きていた。
食い扶持を減らすために女子の身売りや捨て子が続出した。
十次の救済が始まる。
もちろん、財政的裏付けのない、傍目には無謀な救済活動で
ある。福島、仙台、岩沼(宮城県)の3ヶ所に仮収容所を
つくり、東京に中継所をつくった。もちろん、児童を長躯、
岡山へ運ぶための準備である。
十次を支える人々のネットワークもすでに全国に広がっていた
はずである。
この未曾有の救済劇は、全国的に注目を集めたことであろう。
当時の山陽新報の記事に詳しく書かれている※。
第1陣(児童242名と付添10名)は3月20日に各収容所を出発、
1週間をかけて岡山にたどりつくことになる。児童達の移動に
寄り添うように、支援の輪が広がり、食料が提供された。
岡山についても食べきれない食料を孤児院まで
人力車で運んだという。
第2陣 4月4日 120名
第3陣 4月11日 67名
第4陣 4月15日 51名
第5陣 4月26日 72名
第6陣 5月17日 272名
50日余りで、院生は1200名を超えた。
一挙に3倍になったのである。
どのようにして収容したのだろうか。信じられない思いだ。
国内外から続々と支援が届くのではあるが、十次はこの時期、
腸チフスに倒れ、1ヶ月間床から離れることができなかった。
もちろん、辰子の献身的な看護が続いたことだろう。
その病床で十次は夢を見る。
夢は十次の重要な精神世界である。
(十次の夢については、河合隼雄の「明恵 夢を生きる」で
書かれたような研究がぜひとも必要と思われる。
研究者の奮起を期待したい)
「キリストが大きな籠を背に現れた。籠は数百人の児童で
いっぱいだった。なのに後ろに20人ほどの大人がいて、
外に残っている2~300人のこどもを次々と籠に押し込んだ。
全部を入れてしまうと、キリストは、もう済んだのか、という
態度で静かにたち上がった」という。
この夢の話を読んで思い出したのは、聖書の中の有名な
逸話である。
キリストは大勢の群集に囲まれていた。
弟子たちはみんなに食べてもらうパンがないと悩んでいた。
「イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の
祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、
二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、12の籠に
いっぱいになった。パンを食べた人は男が五千人だった」
マルコによる福音書より。
この逸話をもちろん十次は知っていたはずである。
※岡山孤児院物語 山陽新聞社刊 より