岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

「65歳で障がい者を差別するな」訴訟の原告 浅田達雄さん。

2013-11-28 21:30:34 | 「65歳で障がい者を差別するな」浅田訴訟
2013根円11月27日の第1回公判で代読された浅田原告の意見陳述書が支援する会の資料にありました。

公判では、浅田さんご自身が支援者を代読者に指名、読み上げられました。
原文は浅田さん自身がパソコンで打ち込まれています。
その全文が資料集に掲載されているのですが、文章をそのまま掲載してよいのかどうか、判断がつきません。
そこで要約という形で掲載させていただくことにしました。

浅田さんは1948年2月16日生まれです。(私事になりますが私の兄も1948年2月生まれです。いわゆる団塊世代の先頭です。同じ岡山県出身で同じ時代を生きたきたわけです)

陳述書には生い立ちが細かく書かれています。箇条書きにさせていただきます。

1.1948年、岡山県真庭郡月田村市場上(現:真庭市月田)に生まれた。生まれながらに上下肢に障害があり自力歩行は困難だった。

2.5年遅れで小学校に入学。たまたまクラス編成に人数が足りなかったため入学できた。家族の支えがあって欠勤はほとんどしなかった。

3.1966年、中学2年の夏休み前に担任から「たっちゃんは高校に行ける学力はあるが受け入れてくれる学校がない。一緒に岡山養護学校に見学に行かないかと言われ見学に行った。そして転校することになった。
※とても通えませんから寮生活をされたのでしょう。

4.1968年3月養護学校中学部を卒業する。
同じ年生まれの人たちはすでに大学に進学している年です。20歳になっていました。

5.同年4月 更生施設県立甲南荘(現:旭川荘のぞみ園)に入所 2年間機能訓練を受ける。

6.1970年 広島「太陽の町」に入り、「縫製の中で襟えぶのアイロンかけ」に従事するが作業が遅れ気味ということで半年で辞めざるをえなくなる。

7.実家に戻り割箸入れの内職をする。

8.1973年旭川荘に重度障害者療養施設「竜の口寮」ができる。入所する。

以下、続く。




最新の画像もっと見る