岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

どう考える。山崎社長起訴(福知山線脱線事故)。

2009-07-09 21:05:28 | JR西福知山線脱線転覆事故&安全
私のニュースを聞いた印象は。
「起訴するんだ。でも山崎社長一人を?」

この事故は、事故当日からブログに書いてきました。
特に気になったのは、JR西の首脳陣は、安全を優先順位の下位に置いていたことです。
収益重視、収益優先のためは、関西の私鉄との競争に勝つことが不可欠でした。
そのためには、高速化、路線の相互乗り入れ、車両の軽装化、見た目のよさ、駅舎の改装、楽しめることの優先。

このように事業を進めるための人材配置に傾斜していきました。
山崎氏は、当時、鉄道本部長でしたが、私の印象では、JR西の中では発言力は
低下していたようです。
経営陣トップには、費用を削減すべき部署と見られていました。
そのような部署ながら、安全の責任を問われる立場になります。
今回の起訴は、その部署の長としての責任を問われたわけです。
もちろん、もっとも立件しやすい立場です。

一方、90年代から当時までの経営トップは不起訴になりました。
本質的な意味ではこのトップが最も責任があります。
しかし、立件しても有罪にできる見込みがないと判断し(もちろん政治的判断も)、1名に絞ったわけです。

ところで、検察について少し本を読んでみると、確実に有罪にできなければ検察は立件しません。
有罪率99%以上ですから確かです。
しかし、今回の1名のみでも確実性をかなり犠牲にしています。

無罪になる可能性もあると思われます。
なら、検察らしくない今回の起訴の背景は何か。

それは、被害者の方、遺族の方への配慮でしょう。
検察は、国民を味方につけなくてはならないのです。
強大な権力を持っているだけに、国家権力の横暴とか、国策調査といわれることを
最も嫌います。 

国民が味方にならなければ、裁判員制度では検察はやっていけません。
また神戸地検は、明石花火横断橋圧死事故での対応を今でも批判されています。
同じ轍を踏むわけにはいきません。

検察は、起訴なくしては終われないところに追い込まれたわけです。
山崎社長のみの起訴となった事情はこのようなものだったと思います。

裁判が始まります。注目はそちらに移りますが、
本当の犯人は起訴されていません。
追及されない犯人が、裁判の中で裁かれるとは思えないのです。

※桃スタを望む。

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