北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

風見しんごさんと「六験」

2007-01-26 23:40:24 | 古典から
 今日は一転して快晴。うっすらとした雪が冬らしい朝でした。

【六験】
 最近テレビを観ていて心を痛めたのが、タレントの風見しんごさんの長女で十歳の「えみる」ちゃんが交通事故で亡くなったという話。

 突然愛娘を失った悲しみに暮れながらも、「娘のために加害者を憎まない」と言った彼の姿を立派だと思ったのは私一人ではないはずです。

 悲しみや憎しみ、怨み、妬みなどの負の感情を回りに振りまくことを慎むという美学がいつしか失われ、そんな様子をテレビなどのメディアが平気でばらまく今日、なにが美しく何が尊いのか、という価値観は、よほど自らがしっかりと持っていないと、品格は育たないことでしょう。

 そういう風潮にあって、風見しんごさんの態度を私は本当に美しいと思ったのです。

    *   *   *   * 

 ところで、そのような悲しみにどう立ち向かうべきか、という価値観がどこにあるかと思っていて、またまた安岡正篤先生の「十八史略」(PHP文庫)を思い出しました。

 このなかで『呂覧』の中に『六験』ということが書かれている、という紹介があるのです。

 『六験』の「験」とは「ためす」と読んで、思わぬ出来事にあったときに人がどのように振る舞うかをためす、六種類の人間観察の方法です。

 その1は、『之を喜ばしめて、以てその守を験す』です。
 喜びというものは、我々の最も本能的な快感で、人間は嬉しくなるとついだらしがなくなり、羽目をはずすものです。しかし我々には外してならぬ枠があるのであって、これが守なのです。喜んだときに羽目をはずすかどうかで人間が分かると言うことです。

 その2は『之を楽しましめて、以てその僻を験す』
 喜と楽には違いがあって、喜は本能的な感情で、これに理性が加わったときにこれを楽という。理性が加わるとそこにそれぞれの癖が出てくるもので、これを僻(へき)という。僻する人はいろいろのことに障害が多いものです。

 その3『之を怒らしめて、以てその節を験す』
 怒りというものは、非常に破壊力を持っている。感情の爆発だからそれをこらえる節制力を持っているのかどうか、ということを験す。

 その4『之を懼(おそ)れしめて、以てその特(独)を験す』
 特は独に同じで、絶対性・主体性・独立性を意味する言葉です。単なる多に対する孤独の独ではなく、脅かされておそれおののくと、誰かに頼りたくなるもので、そのときにどう自分自身をしっかりと生きるか、ということが験されます。

 その5『之を苦しましめて、以てその志を験す』
 苦しくなると理想や志を投げ出してすぐに妥協してしまうものですが、その志の強さを苦しませることで験すのです。

 そして最後にその6『之を哀しましめて、以てその人を験す』
 悲哀はその人柄全体をよく表すもので、小人には小人なりの悲しみ方があり、大人には大人なりの悲しみ方があるものなのです。

 人生の中の困難や湧き上がる感情に対して、これらの視点で自分自身を常に視るということを普段から行っていれば、自己の修養に必ずや繋がるはずです。

 風見しんごさんの悲しみ方にすぐれた器量を視るのは、こういう価値観があるからなのでしょう。

 こういう価値観を伝えていきたいものですね。
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【番外編】子育てのお話

2007-01-13 23:22:43 | 古典から
 何気なく手にした本が安岡正篤先生の「孟子」。

 パラパラとめくったところで目に飛び込んできたのが、次の一節。

「父子の間は善を責めず。善を責むればすなわち離る。離るればすなわち不祥これより大なるはなし」

 父というものは、子供に対してあまり道義的な要求を口やかましくするものではない。そうすると子供が父から離れていってしまう。父と子が離れて疎くなるほど祥(よ)くないことはないのだ、という意味だそうです。

 父親が親子という力関係を頼りにして、よかれと思って指導をしたところで、子供の方だって「お父さん、そうは言うけれど、あなただって全て正しいことをしていないではないか」と思うもの。

 父親が真面目で熱心であればあるほど、子供の心とのギャップが深くなってしまうようです。

 そしてそれ故に「親の心子知らず」とばかりに腹が立つ。腹が立つから叱る。叱られるくらいなら子も父に近づかない。

 この関係性の悪循環を既に2千年前の先哲が見ぬいているということに驚きを禁じ得ません。

 古典ってやっぱり時間のフィルターに濾過されてなお残っているだけに、心にぐっと染みいってくることがありますね。

    *   *   *   * 

 「平和の絵本で愛と癒しと」(こちら → http://j15.org/ )という考えさせられるサイトがありました。

 この中に「子供を犯罪者に育てる方法」という、ちょっとどきっとするデジタル絵本があります。

 全編を通じて、私として特に論評はいたしません。「そのとおり」と思うところもありますし、逆に「そうかな?」と思うところもあります。

    *   *   *   * 

 前半の孟子のお話にはその前段があります。あの文章の前に実は「古(いにしえ)は子を易(代)えてこれを教う」と書かれてあるのです。

 昔の親は子供を自ら教えるのではなく、他人の子供と取り換えて教え諭したものだ、というのです。良好な関係性をどう崩さないようにするか、という先賢の知恵がそこにはありますね。

 ぐっと染みいって、ちょっとどきっとするお話。

 どう思いますか?
 
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憤の一字

2007-01-11 23:43:58 | 古典から
 毎日が少し冷え込んできました。冬らしくてこれもまたよし。

【憤の一字】
 外国人が北海道でドライブ観光をするために、どのような備えが必要か、という調査をしていたのですが、その関連の会合がありました。

 今回の調査はシンガポールと香港の人たちを対象にしたものでしたが、総じて好評で、いろいろと面白い結果が出ました。

 一時、外国人観光客を迎えるためには道路標識を多言語化しなくてはいけないのではないか、という議論がありましたが、今回調査に参加してくれた皆さんの意見では、「多言語化する必要はなくて、日本語とローマ字があればよい」というものが多かったようです。

 海外経験の多い人に訊くと、外国では主要な施設では自国語とローマ字を同じ大きさで併記している所も多いのだそうで、そういう目で見ると、現在の日本での標識はローマ字部分が小さいと言えるかも知れませんね。

 もっとも看板はそれとして、外国人がドライブをして自由にすると言うことを可能にするためには、カーナビと地図とのセットが大事なのだそうで、レンタカーでのカーナビの情報メンテナンスや、英語の地図の充実が重要になりそうです。

 今回の調査では、代表的なレンタカー会社2社の献身的なご協力があったために全体の運営が大変スムースにいきました。

 各会社でも商売上からも外国人を大事に扱う、という事が当然必要でしょうけれど、こうした会社を超えた連携にも快く応じてくださることで、北海道のドライブ観光を何とかしたいという、強い志が感じられました。
 「我々も民間ですが、国が行うような調査に関われて勉強になりました」

 実にありがたいことです。

    *   *   *   * 

 こうして自分とは異なる世界の人たちとお話をすると、それぞれの世界でものすごく頑張っている人がいることがよく分かります。

 私などはすぐに「すごいなあ」と感心してしまうのですが、その姿にただ感心するばかりではなく、自ら発憤してその姿を自分のものにしたいものです。


 良く紹介する「言志録」には、「憤の一字は、これ進学の機関なり。舜何人や、われ何人やとは、まさにこれ憤なり」という一文がありました。

 発憤するという憤の一字は、学問に進むための道具である。かの顔淵が「舜も自分も同じ人間ではないか」と言ったことは、まさに憤ということなのだ、という意味です。

 村田清風という人が詠んだ歌に

 来て見れば さほどでもなし 富士の山
     釈迦や孔子も かくやありなん  (村田清風)
 
 …というのがあるそうですが、なるほどねえ、これもまたすごい気概です。

 他人と過去は変えられないけれど、自分と未来は変えられるのですな。

 
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読書とは何か

2006-12-06 23:21:31 | 古典から
 今度の土曜日に予定しているおやじの会の忘年会用に注文していた蕎麦粉が届きました。私の一番好きな江丹別の蕎麦です。
 週末は美味い蕎麦をふるまいましょう。

【読書とは何か】
 「積ん読(つんどく)」をyahooの辞書で検索したところ、大辞林で「『積んで置く』に言いかけた洒落。書物を買い集めるだけで、読まずに積み重ねておくこと」と出ていました。洒落でも、「積ん読」はもはや日常の日本語として認められているんですね。

 私自身は活字中毒者だとは思っていないのですが、「本との出会いは一期一会」という思いが強いのか、ふらふらと本屋さんを練り歩こうものなら、本がたくさん並んでいる姿を見せてもらっていることや、立ち読みのお礼のつもりでつい一冊くらい本を買ってしまいます。

 言い訳として「本は腐らない」とか「休みになったら読む」というのがありますが、挙げ句の果ては「引退したら読む」という超長期的な戦略までが本を買っておくことの理由になっているのです。

 三十代の頃には、若いときにいろいろな経験をしておく意義を、「二十歳で旅行に行けば、八十歳まで生きるとしてあと六十年間もの間その思い出を楽しむことが出来る。それが六十歳で旅行に行ったのならば、思い出を味わえるのは二十年間しかない。だから早い時期にいろいろな経験をしておくと良い」などと言っていたものです。

 読書もまた同じで、早い時期に読んで先達の知恵に触れておけば、先人達と同じ過ちをせずに済むだろうし、書物を読むということは、時代の違いで会えなかった人達に会えると言うことだから、進んで書を読むべし、と思っているのです。

 しかしながら、何事につけ一つの道を行こうと思えば、基礎から発展、応用という順を追わなくてはならず、それにはまた一定の時間もかかるものですし、読書も又しかり。

 日本語の基礎を身につけ、単語を覚え、言葉をとりまく歴史や文化、背景などを身につけるには相当の読書あるいは人間を磨く訓練をしなくてはなりません。

 幾ら「この本が良いでしょう」と良書を勧められても、それらの訓練を経ないと理解が深まらないということもあるのです。そう思うと全く今生の人生は短い。

    *   *   *   * 

 さて、そんな私が最近やっと巡り会って、日々わくわくしながら熟読玩味しているのがいつかもご紹介した佐藤一斎先生の「言志録」シリーズ全四巻です。

 その言志録の第二巻に相当する「言志後録(川上正光訳注 講談社学術文庫275)」に「書は選び熟読すべし」という項がありました。佐藤一斎先生は読書をどう考えているのでしょうか。

 曰く「余は弱冠前後、鋭意書を読み、目、千古を空しゅうせんと欲せり」つまり「自分は二十歳前後の頃に、一生懸命読書をして千古以来の本を読み尽くしたいと思った」と言います。

 以下意味だけ抜き出すと「三十歳を過ぎて、そのやり方を反省して、外にばかり思いを馳せることを戒めて、内に省みるようにした。するとこのやり方の方が聖賢の学に背かないことを覚った」とあります。

 さらに「今はもう年老いた。少壮時代に読んだ本は半分以上も忘れてしまい、ぼうとしてまるで夢のようである。少しばかり心に残っているものも、まばらでまとまっていない。そう考えるとますます半生を無用なことに力を費やしたことを後悔している」とあります。

 そして「今になって考えてみると、書物はむやみに読んで良いものではない。必ず良く選択して、熟読するがよい。ただ肝要なことは、読書して得た知識を一生涯十分応用することである。後世の人たちよ、私の経験した失敗を繰り返す勿かれ」と続きます。 
 佐藤先生をもってしても、このように考えるのならば、凡百の私たちは一体どうなる事やら。しかしこれもまた立派な先達からの時空を越えたメッセージでしょう。

 ある人が言った言葉に、「良書を読むな。最良の書を読め」というのがあるそうです。

 深いですね。さて、積んである本は最良の書であったかどうか。うーむ…
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三省堂の由来

2006-11-22 23:42:23 | 古典から
 ついについに、夜から本格的な雪が降りました。明日からは天気が荒れ気味とのこと。注意しなくては。
 
【三省堂の由来】
 佐藤一斎先生の「言志後録」という本を読んでいたら、次の一節に出会いました。

 曾子の三省として、「曾子(そうし)は『論語』の学而篇に『我れ日に三たび、我が身を省みる』とて『人のために謀って忠ならざるか、朋友と交わって信ならざるか、伝えて習わざるか』とある」

 つまり、①人のために謀って、心底を尽くして残るところがないようにやれたかどうか、②また朋友と交わって、互いに相背くようなことがなかったかどうか、③そして師についてこれを自分に習い、自得する事が出来たかどうか、この三つを省みる、というのです。

  …と、この一節を目にして、「もしや?」と思い、本の販売や出版で有名な三省堂のホームページを見てみました。

 すると社名の由来として、「社名の「三省堂」は中国の古典『論語』の「学而篇」の一節「吾日三省吾身」(われ日にわが身を三省す)という言葉から採られたもので、「不忠、不信、不習について、日に幾度となくわが身を省みる」という意味です。『論語』の「三省」は「さんせい」と読みますが社名は1889(明治22)年までは「SANSHODO」と表記していました。1890(明治23)年以降は「SANSEIDO」と表記しています」と書かれていました。

 なるほど、三省堂という社名の由来はまさにそういうことだったのでした。また一つ思わぬところで良いことを知りました。

 しかし孔子先生、いつも省みておられる。

 我々凡人は、なかなかそこまでできないものですが、たまに振り返るだけでも得るところは多そうです。

 さて、我が身を振り返るとこの本を買ったのは三省堂ではなくて旭屋さんでした。うーむ、反省すべきか…
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春風秋霜

2006-11-20 23:32:59 | 古典から
 今日の古典

 「春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを粛(つつし)む」

 (訳)春の風のような優しさで人に接し、秋の霜のようなするどさをもって自らを律する

 常にこのような態度で接したいものですね。

 (佐藤一斎著 言志四録(二)講談社学術文庫より)
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王陽明「睡起偶成の詩」

2006-11-15 23:33:35 | 古典から
 世の中にははっとする文章に出会うことがあります。今日はそんなお話。

【睡起偶成(すいきぐうせい)の唄】
 王陽明は西暦1472年、明の時代に生まれた政治家であり思想家でもあります。

 最近この王陽明に関する本をいろいろと読んでいたのですが、非常にはっとする考えやら文章に出会うことが多いのです。今日はそんな珠玉の言葉の数々の中から、「睡起偶成の詩」をご紹介します。

  四十余年睡夢の中
  いま醒眼始めて朦朧(もうろう)
  知らず日すでに亭午を過ぐるを
  起って高楼に向んで暁鐘を撞く

  起って高楼に向んで暁鐘を撞く
  尚お多くは昏睡正にぼうぼう
  たとえ日暮るるも醒むるをなお得ん
  信ぜず人間耳ことごとく聾すと

 

  四十数年生きてきたけれど、夢を見ていたようだ
  今やっと目が覚めて朦朧としている
  気がつくとどうやらもうお昼を過ぎているではないか
  起きて高楼に向かって朝の(目覚めの)鐘を撞くのだ

  起きて高楼に向かって朝の鐘を撞くのだ
  しかしまだ多くの者たちはすっかり寝入ったままだ
  たとえ日が暮れたとしても目が覚めるものは必ずいるはずだ
  皆耳が聞こえないなどということがあるはずがない


 この睡起偶成の詩は別名を首尾吟(しゅびぎん)と言われていて、王陽明が五十才になったときに作ったものと言われています。

 四十数年を生きてやっと目が覚めて世の中のことが分かってきた。目覚めたらもう昼過ぎとは随分寝ていたものだ。こうなったら自分がみんなの目を覚ますように鐘を鳴らさなくては…、と王陽明先生にして言っておられます。

 この鐘とは警鐘のことで、なかなか良くならない世の中に対する慨嘆でもあります。そしてこの慨嘆は二番目の詩につながって行きます。

 高い塔に進んで警鐘をならすのだ。世の中の人たちはまだそんなことに気づかないままぐうぐうと寝ているかのようだ。しかし自分が鐘を撞き続ければ誰かがきっと気づいてくれるはずだ。世の中には気づいてくれる人がいると言うことを信じよう。

 この詩は以前書いた「気づいた者の責任」という事にも通じそうです。そして自分が気づいて、「良いなあ」と思ったことを人様に伝えるということの大切さを訴えているような気がするのです。

 こういう漢詩などは徹底的に体にたたき込んで暗誦してしまうのがよいですね。決して知識をひけらかすのではなくて、自分の感性に合致する良いお話を人様に伝えて、相手にも何かが伝わったときに初めてこのお話が自分のものになる、自分の血になり肉になるのではないかと思うからです。
 
 このブログ「北の心の開拓記」の初心を思い出させてくれる一節でした。
 
 ここまで生きていて、はっとする文章にたどりつくように出会える年齢になったということでしょうか。縁尋の機妙がここでも生きています。
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