昨日の友人宅でのスモークサーモンパーティでのこと。
帰りしなに友人が、「そうそう、小松さん、フライのマテリアルいりませんか?少し持って行ってください」と声をかけてくれました。
フライというのは、川などで魚を釣るときに釣り糸の先に着ける虫や小魚に似せた疑似餌のことですが、それを作る材料をくれるというのです。
材料は鳥の羽や動物の毛などで、それを色のついた糸で釣り針に巻いてできるのがフライなのです。
「おお、いいんですか?もらえるのならいただきますよ」
友人は段ボールひと箱から次々にビニール袋に入ったフライづくりの材料を広げて見せてくれました。
「こんなにたくさん、どうしたんですか?」
すると友人は、「いやあ、付き合いのある高名なフライフィッシャーの方がいたんですが、亡くなられましてね。ご遺族の方が、『自分たちが持っていても仕方がない』ということで相談に来られて、譲っていたいただいたというわけです」と言います。
フライって実際に作ってみるとわかりますが、材料って使い切るのが難しいほどなかなかなくならないものです。
それでも多種多様なフライを作ろうと思うと、材料がどんどん増えてしまって、およそ一生かかっても使い切れないほどになります。
亡くなられた釣り人も、そうやって使い切れないほどの材料がたまったことでしょう。
こうして譲っていただいた私も、たぶんもう一生使いきれないくらいの材料に囲まれています。
フライの材料だけではなく、釣り道具なども使うものと使わないものがはっきりしてきました。
やがて死んだときには家族も処分に困ることでしょう。
終活の一つとして、趣味の材料は譲る相手をみつけておくこと、というのも大事なことかもしれません。
逆に、生きていればこそ、という思いで、せいぜいこれからもフライをたくさん作っておくことにします。
しかし材料って、やっぱり手元にないものが欲しくなるんです。
どうしてでしょうねえ。