「ちょっと聞いてよ」
いつもの実家の買い物サポートに行くと、母がそう言って先日あったことをおしえてくれました。
「お父さんがお風呂に入ったときなんだけど、デイサービスで頭を洗ってもらっているから私は洗ってあげることがないと、一人で入れたんだよね。そうしたら30分経っても上がってこなくてさ。
(どうしたかな)と思っているうちに1時間経ってもお風呂から出てこないのさ。
いよいよ心配になって見に行ったら、お風呂の中で寝ていたんだよ、1時間も!」
「ありゃりゃ、今度からは豆に見に行かなくちゃダメってことだね」
「いやあ~、もう大変だわ…」
そんな考えられないほどの長風呂になるとは、苦しくならなかったのかな、とも思いますが、認知症が進むといろいろな感覚が鈍ってくるということなのかもしれません。
買い物から帰ってきて父に、「昨日はずいぶん長風呂だったんだって?」と訊くと、父はちょっと恥ずかしそうに笑いながら「いやあ…、覚えてないよ」といいます。
母が横から「もう~、死んだかと思ったよ」と口をはさむと、「はは、私こと94歳になりまして。百まで生きようかというところでそう簡単に死んだりはいたしません」と笑いました。
なんでも笑って済ませられるというのは幸せなことです。
◆
買い物をしながら母は、「もうお父さんに今のしょっぱいドレッシングを出すのをやめようと思うんだ」と言って胡麻ドレッシングを買い求めていました。
私が「もう好きなものを食べさせてもいいんじゃないの?」と言うと、「いやあ、腎臓が悪いって言われているんだから、体に良くないでしょ」と反論。
まだまだ父の健康には気を遣う母でした。
このレベルでの暮らしが続くならそれはそれで一つの幸せの形なのかもしれません。
◆
奇しくも今月号の札幌市広報の特集は「認知症と向き合い、笑顔で暮らす」というものでした。
認知症への理解が進んで、一人でも多くの人が知識を深めてサポートに回れるような社会になればよいと思います。