北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

日本はイギリス病になってしまうのか

2009-09-07 23:43:51 | Weblog
 友人とちょっとした勉強会を開催しました。

 話題は次第に新しい政権の話しになり、これまでの政治のやり方と何が変わるのか、というテーマになりました。

 Aさんの主張は、これまでの高度成長期の経済運営は、社会全体の需要が拡大するという期待が続いたために、公共事業を代表とする間接的な社会への投資によって社会の利便がまして新しい経済が興り、同時に企業が潤い企業に勤める社員が潤い、家族が潤うという資金の循環が繰り返されてきたのではないか。

 そこで未来への希望が続いているうちは貯蓄に励むよりも実生活を充実させることにお金も使うことにためらいがなかった、というのが過去の分析。

 それに対して、人口が減少局面に入り、同時に社会資本が充実するに連れてこれ以上の過度な経済成長、経済拡大に対する期待はしぼみ、収入があっても国民は将来の不安によってお金を使わずに貯蓄に回すという行動を取るようになる。

 すると間接的な投資がなされてもそれが内需を拡大させるような資金循環がしにくくなる。そのために資金を国内で環流させるために国としては国債を発行して借金をしてでも公的資金を投入して内需を牽引させなくてはならなくなる。

 経済成長を持続させるために借金をせざるを得ないという構図になっているのはそのためなのだと。

 そこで、これからの成熟した日本社会で内需をより一層拡大させるには、個別の手当であっても福祉を充実させてダイレクトに資金が必要なところに回るような施策を取るしかないのではないか。これがAさんの主張でした。

    ※    ※    ※    ※

 それに対してBさんからは、確かにそういう面があるけれど、それはメリットだけではなくてイギリス病と言われるような経済停滞からモラルハザードが起きて行く可能性が高いというもの。

 イギリス病とは、経済の長期停滞によって国民が希望を見出せなくなり、労働意欲や向上心を失い、自助努力を忘れて福祉に依存する体質になり、それが経済や社会全体の活力をさらに奪うという悪循環を起こす現象のこと。

 イギリスはサッチャー首相の登場によってニューエコノミーの旗印の下で民営化や労働組合との戦いを実施して新たな局面を迎えましたが、日本の郵政民営化もそうした不効率な官から機動的な民への痛みを伴う転換であったはずなのですが、国民がそうした痛みに耐えられないとなると、構造改革を後押しするような気概はなくなることでしょう。

 どうやら、こうした日本社会の成熟と共に現れた社会現象の悪しき変化は緩和しつつ、良い変化を促すような大きなビジョンが必要な時代である、という認識ではみんな一致しました。
 
 新しい政権がこうした期待をどのように受け止めるのかが注目されるのですが、同時に自分自身の日々の営みの中で、自分自身がどのような備えをしてどう変化していないといけないかを考えるのも大切なようです。

 時代がどう変化しているのかをきっちりと考えましょう。 

 
コメント
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