北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

お礼参り

2009-09-20 22:10:39 | Weblog
 今日の東京は抜けるような秋晴れ。そんななか、9月から東京で働き始めた娘と一緒に神田明神へお礼参りに行ってきました。

 前回は八月の上旬の、明日が就職の二次試験だという時にやはり御茶ノ水駅で待ち合わせて、神田明神まで歩いてお参りに来たのでした。

 拝殿で挨拶を終えると娘が「どうしよう、参拝の仕方を考えていたらお願いをするのを忘れちゃった」と言うので、「それでいいんだよ、本当はお願いをするものじゃないから。東京での出来事は、江戸総鎮守の神田明神にご挨拶をしておけばいいのさ」と言った覚えがあります。

 それから一ヶ月の間に、就職が決まり、家探し、転居、引っ越し、家具購入…とまあいろんなことがありました。


「一ヶ月前に来た時と今では運命が大きく変わったよな」
「うん」


 縁があって東京で働くことになったのだから、ちゃんとお礼に行かなくては、とずっと思っていたのですが、やっと今日それが果たせました。良かった、ずっと気持ちが悪かったのでほっとしました。

    ※    ※    ※    ※

 その後は秋葉原で電化製品のお買い物。娘と東京でデートをすることになるとはねえ。

 歳を取るはずです、はい。 
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自転車で「谷根千」巡り

2009-09-20 20:16:10 | Weblog
 昨日は久しぶりの江戸東京自転車巡り。一応一通りは回ったような気がしているので、随分ご無沙汰してしまいました、半年ぶりくらいでしょうかねえ。

 11月に高校の同窓生で、自転車巡りをする企画があってその幹事をすることから、少し下見も兼ねての予行練習というわけです。

 いつも通り文京区春日の駐輪場で自転車を貸りましたが、どこへ行くかはあらかじめ決めていませんでした。

 駐輪場を出発してから、「谷根千」と呼ばれる谷中・根津・千駄木周辺を回ってみようと本郷あたりを走り始めました。地図を見ると、このあたりには以前も巡ったように、近藤重蔵や最上徳内など18世紀に蝦夷地を探検して北方領土までいった冒険家たちのお墓があるのです。

 そう言えば前回もお彼岸の頃に偶然に彼ら探検隊の墓参り自転車ツアーをしていたのでした。今年もまたまた同じタイミングで巡るとは、呼ばれているのかなあ。


    ※    ※    ※    ※

 最上徳内は、Wikipediaによると、『最上徳内(もがみとくない、宝暦4年(1754年) - 天保7年9月5日(1836年10月14日))は、江戸時代中後期の探検家であり江戸幕府普請役。出羽国(後の羽前国)村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)出身。父は間兵衛で長男。妻はふで(秀子)、子は2男3女』

『実家は貧しい普通の農家であったが、学問を志して長男であるにもかかわらず家を弟たちに任せて奉公の身の上となり、奉公先で学問を積んだ後に師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷地(北海道)調査に随行、後に商家の婿となり、さらに幕府政争と蝦夷地情勢の不安定から、一旦は罪人として受牢しながら後に同地の専門家として幕府に取り立てられて武士になるという、士農工商の身分制度に厳しい江戸時代には珍しい立身出世を果たした(身分の上下動を経験した)人物でもある』と紹介されています。

 蝦夷地には何度も渡りましたが、寛政10年(1798年)の大規模な蝦夷調査では、徳内は7度目の蝦夷上陸をし、幕臣の近藤重蔵の配下として、択捉島に領有宣言を意味する「大日本恵登呂府(だいにっぽんえとろふ)」の標柱を立てています。

 北方四島にロシアが南下し始めた頃の領土確認の最前線で活躍していた一人が最上徳内というわけです。 

    ※    ※    ※    ※

 彼のお墓は千駄木の手前の向丘にある蓮光寺というお寺にあります。リュックを背負って墓所へ向かおうとすると、彼岸に併せて線香の守番をしている女性から声を掛けられました。

「あの、どちらまで」
「最上徳内さんのお墓にお参りに来た者ですが、お線香も分けて頂けますか」

 お線香は二束で2百円で販売しているのですが、それを買い求めるとこの女性がお墓の近くまで案内をしてくれました。

「最上徳内さんのお墓を訪ねてくる人なんているんですか?」
「結構いらっしゃいますよ。最近は区の歴史案内のチラシなどにも載っているとかで、それを見た歴史好きな方が無断でどんどん入っていってしまわれるんです。あなた様のように、お線香まであげるという方はほとんどおられませんね」

「そうですか、私は出身が北海道なものですから、近くを通りましたのでこれもなにかの縁かと思って手を合わせに参りました」

 家に帰ってきてから調べてみたところ、前回は二年前の9月23日に偶然個々を通りかかっていたのでした。

 二年前と全く同様に不思議に同じ時期に招かれたような気がします。どういうご縁があるんでしょうねえ。

  (前回2007年9月23日のブログ)http://blog.goo.ne.jp/komamasa24goo/e/d207f0655c9d9743d91b3aebe1897310
 
 
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