北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人に選ばれるということ

2010-11-09 23:48:41 | Weblog
 市職員採用の面接試験がありました。高校卒業者採用と社会人枠の採用試験です。

 来春高校を卒業する予定の受験者は地元の高校の生徒さんが多く、どの子もしっかりとした応対ぶりに感心。

 試験官の一人から「他機関の採用試験の受験状況と合否を教えてください」という質問をすると結構な確率で他の機関の一次が受かっていて二次の結果待ちだという子が多いのでした。今回はレベルが高いです。

 高校生の次は途中退職者の補充などのための社会人採用枠の面接。面接をしてみると、社会人の合否を決めるより高校生の面接のほうが判断が難しいことに気が付きます。

 それは、就職を真剣に考えている高校生の場合は面接のための対策練習もたっぷり積んでいて差がつきにくく、社会人の場合は社会での人生経験がそのまま表れてしまうからなのかもしれません。

 社会に出て長く人生を歩んだ人たちの方が、なにかとその差が見えてくるというのは怖いことで、それだけ一日一日のほんの少しの積み重ねの集大成が今の自分であるということなのでしょう。

 昨日とそれほど違わない自分のはずなのに、もし少しでも努力を積み重ねていれば、それが年月とともに現れてくるのです。

 二宮尊徳先生は「積小為大」といって、こつこつと小さなことを積み重ねたものが大であるということを強くおっしゃっています。

 またあるところでは「良いか、一文の柿でも二文の梨でも、人はみなそれを買うときは真のまっすぐな傷のないものを選んで取るだろう。また茶碗一つを買うときも、色や形の良いものを選び撫でてみたり鳴らしてみたりしてえりにえらんで買うものだ。ましてや婿や嫁、立身出世のために人に選ばれようというものはわが身を反省してよく考えなくてはならない」と若者たちを諭したりしています。

 人を選ぶのも難しければ、人に選ばれるのも難しい。

 わが身を振り返るよすがにしなくては。


    ※     ※     ※     ※     ※


 京増弘志さんというかたのメルマガに、面白いお話がありましたのでご紹介します。

 京増さんとお孫さんとの日常会話の面白話で、今日は「給食のシシャモ」というとても良いお話でした。思わず笑みがこぼれます。


---------------≪ 以下引用 ≫--------------

【まごまごじぃじ】  「給食のシシャモ」

 ジンの爪切りをしようとしていた時の事。

「ジンの爪切ったら パキィーン!! っていうよ!!」
「なんで??」
「だって昨日お給食で、シシャモいっぱいおかわりしたんだもん♪」

「そっかぁ(笑)」(カルシュームがいっぱい取れたんだね)

「シシャモね… みんな、お顔食べないんだよ…
だから、箱の中に、いーっぱいお顔が入ってるの。
なんか、かわいそうだったょ。」

「なんで可哀想なの?」

「だって、みんなのお腹の中に体しか入ってないから、
バラバラになっちゃうじゃん!!」

 バラバラって(笑)

 みんながそんな思いなら、給食の食べ残しも少なくなるのかも。

---------------≪ 引用ここまで ≫--------------


 シシャモ君、日本の子供たちの爪や骨のために頑張ろう!

コメント
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