北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

五月の木鶏会~その位に素して行う

2012-05-24 23:45:13 | Weblog
 木鶏の会の5月月例会、新しい会員が二名加わって今日は7名で開かれました。

 人間力を強くする雑誌「致知」5月号の特集テーマは、「その位に素して行う」というもの。

 これは四書五経の中の「中庸」にある「君子はその位に素して行い、その外を願わず」から取られたもので、その意味は「立派な人物は自己に与えられた環境の中で、運命を呪ったり不平不満を言ったりせず、精一杯の努力をしてそれ以外のことは考えない」ということです。

 世間で言う立派な人には実にこの言葉を体現してきた人たちが多いことでしょう。


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 致知5月号が紹介しているのは、「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれ、この人が投げれば必ず勝つという伝説ができた、西鉄ライオンズ時代の稲尾和久投手のエピソードです。

 稲尾選手は高校三年生の時にスカウトされ、卒業前からキャンプに入りました。

 卒業間近になって先生から「お前のために特別の卒業式をやってやるから帰ってこい」と言われ、監督に相談したところ、「そうか、帰りたいだろうな。しかし、お前は過去の思い出に生きるのか、未来に生きるのか。どっちだ、自分で決めろ」と言われたのだそう。

 この言葉に十八歳の稲尾さんは帰るのを止めてキャンプに残りました。

 「過去に生きるか、未来に生きるか」と問うた当時の三原監督も立派ならば、未来に生きる選択をした稲尾さんも立派ですね。




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 そのキャンプで稲尾投手は自分よりもはるかに高額の契約金と年棒でスカウトされた同期が二人いることを知りました。

 自分は打者が撃つ練習をするために黙々と投げ続ける打撃投手なのに対して、その二人はコーチが付いたりして遥かに条件の良い練習待遇。

 しかしここで腐らないのが立派な投手の所以です。

 打撃投手はストライクを投げて打者に打たせるのが仕事ですが、それでもストライクばかり投げると打者も振り続けなくてはならずに疲れて嫌がるということに気が付きました。

 そこで四球に一球、ボールを投げることにしたのだそう。

 四百八十球投げるとすれば百二十球は自分のための投球練習ができると頭を切り替えました。

 そこでそのボールにする一球に精魂を込めて、高め、低め、内外角と投げ分ける練習をして無類のコントロールを観につけていきました。

 おかれた立場を最大限に生かして自己を高めるこの精神こそまさに、「その位に素して行う」のお手本です。

 私たちも素位素行(そいそこう)の精神で人生を歩みたいものです。
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