北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

たとえ信号がなくっても

2018-09-09 23:44:45 | Weblog

 

 厚真町を震源地とする胆振東部大地震が発生した直後から、道内は大停電に見舞われて、地域内は混乱に陥りました。

 被災初日の9月6日に、自転車で出勤する道すがら、コンビニやホームセンター、大手薬局チェーン店などには開店前の朝8時頃から、長蛇の列ができていました。

 おそらく、水や食料、燃料などの生活必需品を求めての買い物の列だったでしょうが、どこも整然としていました。

 また、停電直後のためにほとんどの交差点では、通信号が点灯していませんでした。

 さすがに交通量の多い道路どうしの交差点には警察官が交通整理をしてくれていましたが、一カ所に数人の警察官がいて、歩行者の安全まで配慮しているせいか、随分効率が悪くも感じました。

 多くの人たちが車で出歩くことを自粛したこともあったでしょうが、交通量が普段に比べてずいぶん少なく、小さな交差点ではお互いが注意しあったり、譲りあったりして、交通事故やトラブルは全くありません。

 皆が、今日は信号がついていない、ということを前提に行動しているので、信号による強制的な秩序制御がなくても、お互いの呼吸で自制的に秩序を保っていられました。

 お互いに注意をしないといけない状態では、車の運転手も歩行者も自転車もバイクも、皆が注意をするのは当然です。

 交差点制御には、日本語で「環状交差点」または「ロータリー」、英語では"roundabout(ラウンドアバウト)"という、信号のない交差点があります。

 北海道には、旭川と釧路にしかないようですが、片方が交通量の少ない道路などでは、信号を使わずにお互いが注意をすることで効率的に交通制御ができそうに思いますが、一方で安全面が心配で踏ん切りもつかないようです。

 停電や節電をきっかけにして、ドライバーの安全意識にもっと信頼を寄せて、省エネで交通制御ができるように環状交差点を増やすことにはならないものか、と、信号の消えた道路を自転車で走りながら考えました。

 大規模停電で、まだまだ節電を求められる北海道ですが、私たちの暮らし方を省エネや自助努力を増やすように、見直す機会にできればよいのですが。

コメント
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