「マルハラ」という言葉があると知りました。
何のことかと言うと、チャットやメールで言葉の最後に「。(マル=読点)」をつける文章が、若い世代には「叱られている」ように取られるというのです。
そのため読点の「。(マル)」をつけた文章を見るとストレスを感じて、それがハラスメントになるかもしれないのだと。
なぜか。
2000年前後に生まれた、いわゆるZ世代に代表される若い人たちは、LINEやチャットでやりとりするときに、もはや文章の最後には「。」をつけずに会話をするのだそう。
昭和世代の私などは、レポートや文章を書くときには必ず文末に読点(「。」)をつけるのが当たり前の感覚ですし、どこに句点(「、」)を打つかもかなり考えます。
しかし若い人たちは対話を流れるようにスピード感をもちながらやりとりするのに対して、例えば「分かりました。」という文章を見ると、そこで流れが断ち切られるように感じるらしいのです。
ならばどうすればよいのか。
先日はラジオでもこの問題を取り上げていて、司会に訊ねられた専門家は、「分の最後にビックリマーク「!」をつけるか、「ー」で伸ばすのが効果的」だと言っていました。
つまり「分かりました。」ではなくて、「わかりました!」とか「わかりましたー」となればソフトに感じるのだそうです。
私などはメールでこういう文章は違和感がありすぎてとても書けない感じがしますが、それはつまり若者とメールでのやり取りが難しい世代だということにほかなりません。
自分が変わるべきなのか、若者に「いやいや、ビジネスマナーとしてちゃんとした文章を書くことを覚えなさい」と指導すべきなのか。
下手に指導をするつもりで対応をすると、若い世代はぷいと逃げ出してしまうかもしれませんね。
若者の日常がそういう会話で成り立っているのだとしても、つまりは学校でも家庭でも社会でも若者に正しい(?)、いや美しい(?)、いや品のある(?)文章を書くことを教えていないし、教わっていないということではないのか、と思ってしまいます。
ハラスメントは全て受ける側の感じ方ひとつだといいますが、それでいいのでしょうかねえ。
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最近、金曜日の夜に放映されているドラマ「不適切にもほどがある」にはまっています。
昭和時代の当時のコンプラ感覚を笑いものにしながら、現代のコンプライアンス至上主義への強烈な皮肉が伺えます。
ここでは世代間のギャップを楽しめるのですが、さて日常で世代間のギャップがあるときはどうしたらよいものか。
なんともやりにくい時代になりました。