今朝、大手の経済新聞を読んでいたら、「格言で斬る『子育て支援金』」という記事がありました。
今の政府が進める「異次元の少子化対策」に向けて必要財源を確保するための法案が審議されていることに対する批判的な記事です。
記事の趣旨は、負担増にならないと言いながら健康保険料に上乗せして徴収する「子ども・子育て支援金」に対して「制度的欠陥を浮き彫りにする」ということ。
ただ凝っているのが、いくつかの格言をテーマに掲げて、その切り口で批判的に論じている点です。
例えば、「◆風が吹けば桶屋が儲かる」を引き合いに出して、少子化対策の費用を(税ではなく)保険料に上乗せして集める論法は、『対策で子供が増える→保険料を払う若者人口が増える→保険財政にプラス→健康保険制度の持続性が高まる』という理屈だが屁理屈だ」という批判を展開します。
同様に「◆人のふんどしで相撲を取る」を引き合いにして、『負担は増えない』というのは、民間の創意工夫と生産性向上を当て込むもので詭弁だ」と断じます。
あとは「◆捕らぬ狸の皮算用」を出して、最後に「◆よらしむべし知らしむべからず」を持ってきて、格言シリーズのコンプリートです。
しかし残念なのは、この最後に持ってきた「◆よらしむべし知らしむべからず」の部分です。
「問題だ」と批判しているのは、「官僚が経済団体や労組団体などを回って『反対せぬように』と根回しをしていたことだ」と言い、制度を決めるのは国会の熟議と言う民主的な統制を及ぼすべきで、"審議前から反対するなと言いくるめる"ような、「よらしむべし知らしむべからず」はごめん被る、と締めています。
ここでは明らかに「よらしむべし…」の格言を「民はただ法律に従わせておけば良くて、意義や道理を理解させる必要はない」という解釈で構成しているように見受けますが、これは誤った解釈である、とはよく知られたところです。
「よらしむべし…」の格言の本来の意味は、「為政者が定めた法律によって民を従わせることはできるが、その本来の意味や道理を理解させるのは難しい」とされています。
「可し(べし)」と読むこの部分は現代語では「…であるべき」ですが、古くは「可能・推測」の意味で用いられていて「…できる」という意味。
「知らしむべからず」は「知らせることはできないものだなあ」という為政者の嘆きにほかなりません。
この手の誤った解釈はマスコミが政府批判をするときに用いる常套句になっていて、そのたびに「解釈が違うよ」という声が上がるのですが、署名入りの記事でありながら(それも織り込み済みのわざとなのかなあ)と思ってしまいます。
インターネットを開いて論語のこの一節を検索すればすぐに本来の回答が出てくるのですが、まさに「知らしむべからず=わかってもらえないものだなあ」と残念に思いました。
記事の中には、「負担と給付の関係は明確に」という原則に反すると述べられた部分がありました。
この新聞もたまには、子供対策の給付をよしとするならば負担についてこそしっかり論ずるべきだ、というトーンの記事も見受けられるのですが、増税しろとは言えないんでしょうか。
まあせっかく格言縛りで論じていただいたのですが、解釈も論調もちょっと残念だったな、という話。
間違いも女子アナの口が滑った「ショウタニ・オオヘイ」なら笑えるのですがね。