北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「あした死ぬ幸福の王子」を読む ~ 妹の四十九日が過ぎました

2024-10-27 20:51:11 | 本の感想

 一昨日の金曜日は9月に亡くなった妹の四十九日でした。

 残された者たちには一つの区切りですが、やはり寂しいことに変わりはありません。

 いろいろと「死ぬ」ということについて考えてみたくもなるというものです。


        ◆


「あした死ぬ幸福の王子~ストーリーで学ぶハイデガー哲学」(飲茶 著 ダイヤモンド社)を読みました。

 「単語の使い方からして難解」と言われるマルチン・ハイデガーの「存在と時間」を小説仕立てで分かりやすく説明するという試みです。

 そういえば高校の時に文学青年だった友人が読んでいた、と聞きましたが内容について考えたこともありませんでした。

 「あした死ぬ…」の本のほうの内容は、サソリに刺されて余命が1か月以内と宣告された王子が「自分の人生とは何だったのか」と絶望するところから始まります。

 王子は憂さ晴らしのために王家の所有する森へと狩りに行き、そこに迷い込んでいた物乞いの女を怒りに任せて蹴り飛ばしますが、やがて正気ではいられなくなり自暴自棄に。

 こんな状況に耐えられないと狩場を抜けた森の沼に身を投じようとしたその時に、見知らぬ老人から声を掛けられます。

「そこの若いの!何をしている」
「うるさい、私はもう死ぬと言われたのだ」

 そういうと老人はこう言います。
「ほう、そうか、自分の死期を知らされるなんてお前はとてつもなく幸福なやつだな」


 そんな会話は従者たちが来たことでそこまでになったのですが、王子は翌朝、昨日老人から言われたことの意味が気になって仕方がありません。

 再び沼へと向かい、老人に会ってその言葉の真意を尋ねます。

 すると老人は「多くの人間は死について考えることもなく死んでゆくのに、おまえは死について考える機会を与えられたのだ。それが幸福でなくてどうする」と言います。

「なんだと、死に怯えるよりは死など考えず生きる方がマシではないか」
「ほう、そうか。ではお前がいま楽しげにやっていることは死期を知らされた今もやって楽しいか。楽しいならそのままやっていればよい」

 王子は「…いや楽しくない」と言い、王子は裕福な暮らしをしていますが、『明日死ぬかもしれない』と思うと全てが無意味で虚しくなってしまいました。

 老人は「おまえはそんな無意味なことで限りのある時間を過ごしていたということに気が付いたのだろう。私はそれを幸福だといったのだ」

「しかし絶望に変わりないではないか」
「そうかな、その絶望に気が付くことで、おまえに『人間の本来的な生き方』に至る道が開かれるかもしれないぞ」

 そして老人はその考え方が「これはハイデガーという哲学者の受け売りなのだ」と種明かしをします。

 そしてここから、哲学とは『…とはなにか』を考える学問であること、そしてハイデガーはそのなかでも『存在とはなにか』を考えた哲学者であると言うと、王子はこの老人に「その哲学について教えて欲しい」と乞い願います。

 そこから毎日、王子は老人のもとを訪ねて、死期が迫る中、ハイデガーの著した『存在と時間』の中身についての問答が繰り返されるというのが本書の内容です。


        ◆

 

 ハイデガーが著書の中で"現存在"と言い表しているものがあります。

 それはつまり「人間」のことで、それは必ず死んで無くなり、無くなるまでの存在だ、と言います。

 そして必ず死ぬのだから、いつも死ぬことを考えてそれまでの間に意味のあることをするが良い、ということに導きます。

 やがて時間論については、「過去とは自分ではどうにもできない、他から押し付けられたもの」であり、「未来はどうなるかわからないが一つしか選べず他の選択肢を排除する世界」だと語り、そして「現在とは、そうわかっていても思い通りにならず虚しく過ぎてゆく無力さを感じる世界なのだ」と言います。

 
 問答を繰り返す中で王子は、裕福でわがままに暮らしていた自分の過去を振り返り、死期が近付いてゆくなかで、「人間本来の生き方とは何か」に少しずつ気が付いてゆくことになります。

 読者もこの物語を通じて改めて「自分もいつか必ず死ぬ存在だ」ということに気が付くことでしょう。

 それは数十年後かもしれないし、明日かもしれない。

 必ず死ぬ存在ということに気が付いて、人は何かを変えることができるでしょうか、変われるでしょうか。

 

      ◆

 

 私はこの物語を読んで、スティーブ・ジョブズが2005年にスタンフォード大学の卒業式で語ったスピーチを思い出しました。

 彼はスピーチの中で「自分の死を意識することで人生の選択に対する視点が変わった」と語りこう言いました。(以下「日本経済新聞」の記事より)

「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。

「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

 自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

 本当に大切なことしか残らない。自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです」
  (以上、「日本経済新聞」の記事より)

 
 スティーブ・ジョブズはこの時すでにすい臓がんを患っており、それが死について考えるきっかけになったと述べています。

 人生には限りがあって、その限りある時間をどのように使いますか。

 後悔しない人生を生きるにはどうすればよいでしょうか。

 
 肩の凝らない哲学書のようなものです。

 妹に導かれた一冊です。

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