北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「一人でできる?」と聞かれたけれどできなかった記憶

2024-11-22 22:45:35 | 介護の世界

 

 まだ3歳だった時に、長期出張中の父の宿泊所に私一人だけが連れられて行ったことを覚えています。

 はじめは父の職場にいたのですが、宿泊所に帰るときに父は「一人で帰れるかい?」と私に聞きました。

 たぶん私は「うん」と答えたのだと思いますが、そこで父と別れて私は一人で宿泊所に向かいました。

 後から母に聞かされたのは、「お父さんはたぶん麻雀に行ったんだよ」とのことでした。

 一方「帰れる」と言った私は、曲がるべき道を間違えて迷子になってしまいました。

 一人寂しく道路で泣いていると、それに気が付いた女性が家に招き入れてくれたようで、私は寂しいのも忘れてそのお家で遊んでいました。

 そこで父の名前を言ったのかどうか、どうしたのかは覚えていないのですが、やがて血相を変えた父が玄関を開けて、私は引き取られていったのでした。

 父から「一人で帰れるかい?」と訊かれたけれど結局できなかった私。

 まだ3歳の頃の苦い思い出です。


      ◆


 今日はその父の月に一度の通院日で、私は休暇を取って父に同行しドクターから父の診断書をもらうことにしていました。

 病院では毎回少し待たされた後に、腕に点滴の針を刺して袋2つをローラーのついた点滴スタンドに吊り下げ、さらに待たされたところでドクターの診察を受けます。

 父と一緒に診察に入れてもらって、父の問診を終えて血液検査結果を聞いたところでドクターは「ではお願いされていた診断書も出しておきますね」と言いました。

 そこで「ありがとうございます。それで、診断書の病名は何になるのでしょうか?」と訊くとドクターは、「まあ、脳血管性とアルツハイマーの混合型の認知症なのですが…」と言いましたが、後で受け取った診断書には「アルツハイマー型認知症」となっていました。

 診察を待つ間も、「こんだけ点滴の量があると、30分はかかるかなあ」という父に、「うーん、もっと2時間くらいかかると思うよ」「2時間か!じゃあお昼を過ぎちゃうなあ」という会話を5回くらい繰り返しました。

 なので診断書にも驚きはありません。まあそういうことで。


      ◆


 診察が終わっても、点滴が終わらなければ父は帰りの送迎バスに乗るわけにもいきません。

 その間に事務の方がやってきて、「小松さん、処方箋も出ていてお会計もできますけど」と言われたので、「じゃあ、僕が行きます」と私が父の代わりに会計を終えて処方箋を受け取りました。

 以前からここまでやれば用は足りて、後は父に任せれば薬をもらって帰りの送迎バスに乗り込んで家まで帰ってこられます。

 なので、私は一足先に母のいる実家に帰っていることにしました。

「処方箋はこのバッグに入れてあるからね。薬はもらって帰ってこられるよね?」

 父は一瞬ぽかんとしましたが、「ああ、うん」と言い、私はそこで父を病院において帰ってきました。

 実家では母を買い物に連れて行き、それが終わったところで私の家まで帰ってきました。


 すると家についてから1時間くらいしたところで母から電話がありました。

「お父さん、薬をもらわないで帰ってきちゃった。処方箋がバッグの中にあるの」

 (ああ、失敗した)と思いました。

 何のことはない、点滴を待っている間に私が薬を取りに行ってしまえばよかっただけのことで、父に任せなければ良かったのです。

「わかった、じゃあもう一度行くよ」

 結局、もう一度実家へ立ち寄って処方箋を預かって薬を受け取ってきました。

 これから先もこんなことがあるのかな、と思いながら、私には冒頭の昔迷子になった時の記憶がよみがえりました。

「一人で帰れるかい?」と訊かれてできなかった私。
 
 それが今は「薬をもらって帰れるかい?」と私に訊かれた父はもうそれをできなくなっていたのです。

 
 実家に薬を届けると、母は「ごめんねー、二度手間にさせちゃって」と言いますが、失敗したのは私です。「いや、僕が薬を取ってきちゃえばよかっただけさ、かえってすみません」

 今回はこんな失敗ですみましたが、さてさて次回の通院からはどうなることか。

 早く成年後見人の手続きを進めようと思います。

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