北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「連れは同級生ですよ」 ~ 看護師さんが驚いたわけ

2024-10-11 22:49:26 | 介護の世界

 

 今日は父が月に一度の病院診療日。

 

 休暇を取って朝から父の診察の付き添いをしてきました。

 

 父は病院の車で送迎をしてもらって診察を受けています。

 

 ドクターと診断結果ややり取りをしているのかもしれませんが、家に帰ってくると病院でどんな話をしたかを覚えていないので診断の細かい情報が分かりません。

 

 そのためたまに私が付き添って、ドクターに最近の父の様子を伝え、診断結果は私が聴くということをしています。

 

 特に今回は、「最近デイサービス施設へ通うようになった」ということと、「血液検査や認知検査の結果のコピーを欲しい」ということ、そして「ちょっと飲み薬が多いので、何か減らせるものがあれば減らしてほしい」という三つの点をドクターと確認したかったのです。

 

 病院へ着くと、少し待たされたところで父は採決と点滴の処置を受けるのに採血室へ案内されてゆきました。

 

 少しするとその部屋から看護師さんが私の元へやってきました。

 

「お父様に、『今日一緒に来られた方はどなたですか?』と世間話をしたら、『いやあ同級生ですよ』と言うのでびっくりしました。息子さんですよね?」

 

 病院へついて隣に座っている間は息子と思われていると思っていたのですが、採血室ではいつのまにか「同級生」になっていたようです。

 

「こういう感じはいつごろからですか?」

「そうですね。半年ほど前から短期記憶が弱ってきていると感じましたが、特にこの3か月は急速に短期記憶の力が衰えていると思います。先月妹が亡くなったのですが、彼女の名前も亡くなったことも覚えていませんし、日常生活では昨日あったことも、午前の事を午後になるともう覚えていません」

 

「ほかに日常生活に異常なことはありますか?怒り出すとか徘徊とか…」

「何かが無くなったと言って怒ることも徘徊もありません。食事もトイレも入浴もできます。日常は穏やかで何事にも感謝することが多くてその点は助かっています」

 

 看護師さんは父の日常の様子を聞きとってから、連絡先として私と母の電話番号をメモしてゆきました。

 

 言っていることの突拍子のなさにさすがに驚いたようです。

 

 

      ◆

 

 

 腕に点滴の処置をして点滴ハンガーに点滴袋をぶら下げた父が町挨拶の席に戻ってきました。

 

 特段何も言うわけではありませんが、会話がやたら丁寧言葉で、見ず知らずの人と話しているようなのは「同級生」と思っているのかもしれません。

 

 

      ◆

 

 

 いよいよドクターに呼び込まれて、私も父と一緒に診察室に入れてもらいました。

 

「特に最近の短期記憶の衰えが激しいと感じています。またデイサービスに通い始めたことで健康状態をケアマネさんなどと共有したいので検査結果のコピーをいただきたいこと、そしてちょっと飲み薬が多いようなので減らせるものがあれば減らしていただきたいのですが」

 

 そんな話をドクターにしました。

 

 ドクターからは「今年の8月に認知機能検査をしたのですが、昨年が24点で今年が20点とやはり数字が低下しています。 脳のMRIを撮りましたが、記憶をつかさどる海馬が小さくなっていて、アルツハイマー型認知症が進んでいることが伺えます」との診たてが示されました。

 

「今は認知症の進行を抑えるために貼り薬をつかってもらっていますが、成分の量を増やして様子を見ましょう。ただ、ほかの内臓数値がよくないところがあるので、薬を減らせるのは…2種類ですかね。これは今後は出さずに様子を見てみましょう」

 

 やはり認知症が進行していることをドクターも感じていたようですが、なにしろその認知症の患者が一人で来るので他に誰にも説明のしようがなかったようです。

 

 今回は私と母の電話番号を登録したので、今後何かあれば連絡がもらえると思います。

 

 人によっては「息子である自分のこともわからなくなってしまったとは…」と嘆き悲しむ人もいるかもしれませんが、そこに感情を出してもあまり建設的ではありません。

 

 認知症とはそういうものだ、と思って、そのうえで日常生活に支障を及ぼさないようにするためにはどうするか、誰に助けてもらうか、を考える方がずっと建設的です。

 

 感情はあまり出さずにおきましょう。

 

 

       ◆

 

 

 私は用事があって、会計と薬をもらう父を残して一旦母のいる実家へ戻ってきました。

 

 そこで「僕のことを同級生と言ったそうだよ」というと母は「うーん、相当だね」とちょっと困り顔。

 

 私からは「認知症と言うのはそういうことだから、何かを覚えていないとかできないとか、そういうことで叱らないようにね。言い聞かせてももうできるようにはならないと覚悟することが大事だと思うよ」と母に言って家を離れました。

 

 

 その後夕方に母に電話をして、「ドクターに頼んであった検査結果のコピーは父さん、ちゃんともらってきたかい?」と訊くと、「うん、持ってきたよ」とのこと。

 

 そのうえで母は、「お父さんに、今日誰と病院へ行ったの?って訊いてみたんだよね。そうしたら『正明だ、良い息子だ』って言っていたよ。そこは思い出せたのかね」とのこと。

 

「なるほど、まだら模様の記憶力だね。でもこれからは今日みたいなことが増えるけど『仕方がない』と思うようにしてよ」

 

 

 認知症の人を相手にすると接する時間の長い母などはイライラするようです。

 

 しかし本人はわざとやっているわけではなく、精いっぱいの事をしてその状態なので、叱り飛ばしたり文句を言ってはいけません。

 

 あくまでもそれで弊害ができるだけでないように言葉を工夫するとか、そうでない場合は受け入れるしかないのです。

 

 一瞬、同級生になった私ですがまた息子に戻ることができました。

 

 これが25年後の自分の姿なのかもしれません。

 
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