なぜか疲れがどっと出て午前中はぐったり。たまにはこういう日もあるのです。
【友引は迷信?】
今日の北海道新聞札幌版に「友引の市営火葬場休業~『迷信だ』NPOが稼働陳情」という記事が載っていました。
内容を要約すると、市内のNPO法人が市営火葬場を「友引」稼働させるように求める陳情を市議会に提出し、議会の厚生委員会で審査されたということなのです。
***(以下、北海道新聞からの引用)***
友引は「葬儀を出すと、他人の死を誘う」とされるが、○○(記事では実名)代表は委員会で、由来は中国の占いで、宗教とは関係のない「迷信」であると指摘。火葬場が休業している現状について、
①葬儀を友引後にするため、遺体を安置する会場の費用や葬儀参列者の宿泊費用がかさむ
②遺体の痛みが進む
などと問題点を挙げた。
これに対して市保健福祉局の大津英三生活衛生担当部長は、友引も稼働していた1978年から82年までの一日の平均火葬数が1.9件と、それ以外の26.5件を大きく下回っていたことから「友引は利用が多いとは思えない」と説明した
***(引用終わり)***
この背景には火葬場の改修に伴う一時的な不足への不安があるようです。現在札幌市には火葬場が二カ所あるのですが、そのうちの一カ所が改修のために二年間閉鎖されることになっていて、改修の始まる来年4月からは集中による混雑が予想されるとのことです。
一部の議員からは「現在と当時の市民の意識には変化があるのではないか」という意見もあったようですが、市側は「稼働すれば人件費などで年間4千万円程度の支出増になり利用料値上げにつながりかねない」と稼働の考えはないと強調した、とも書かれていました。
ところがこのNPOの調べでは全国の15政令都市で友引に休業しているのは札幌市のほか、川崎市など4市で、道内では函館市が稼働している、のだそうです。
私は、迷信や風習、文化が経済とどのように関わるのか、という点で極めて面白い問いかけだと思いました。
風習や文化、伝統的な考え方ということがらは「世間の常識」に由来するものですからもちろん法律や条令などにそのことを根拠として書き込むことは適当ではありません。
世間の常識が変化すれば対応が変化しても構わないわけで、それを伝統の破壊と呼ぶか、時代の変化と見るかは判断の分かれるところです。私はなにか問いかけがあったときには、世間の常識を問いただしてみることは正しいアプローチだと思います。
今回の件では、実際に友引に稼働させたときに収入に見合う利用が見込めるのかどいうことがとりあげられていますが、現実にはそれほどの利用は期待出来ないと思います。
逆に友引も稼働させている他の自治体の例を見て、それらが今現実に友引の日にどれくらいの稼働率であるのかを調べる方が先のような気もします。NPOもそこまで調べたならば、「友引でも利用率は他の日と遜色がない」というくらいのデータを出せるならば力強い意見になるのでしょうが、そういうデータがなかったのでしょうか。
更に言えば、現在稼働している自治体であっても、友引の日の利用率が少なければ稼働をとりやめるくらいの判断があっても良いのかも知れませんね。
今回は、経済的理由を前面に出してその効率性を問うていますが、私自身の生き物としての感覚から言えば、何事につけ「一定の割合で休憩を取ることの自然さ」を大切にしたいものだと思います。
例えその根拠が迷信や風習だとしてもです。
施設の管理を携わる身から言うと、施設には点検や補修などもあるわけで、稼働することだけが行政サービスなのではなくて、稼働すべきときに安定した稼働を約束するということだって質の高いサービスの重要な要素だと思うのです。
短絡的に考えると「伝統的な考えを破壊する不埒なNPO」や「楽をしたい安易な行政運営」という批判もあり得そうですが、一方的な視点ではなく、経済的、道徳的、心情的、伝統的など様々な角度からの合理性を十分に斟酌して総合的に判断していただきたいものです。
私ですか?個人的には稼働しなくてもよいのではないか、と思いますが、皆さんはいかがですか?
【友引は迷信?】
今日の北海道新聞札幌版に「友引の市営火葬場休業~『迷信だ』NPOが稼働陳情」という記事が載っていました。
内容を要約すると、市内のNPO法人が市営火葬場を「友引」稼働させるように求める陳情を市議会に提出し、議会の厚生委員会で審査されたということなのです。
***(以下、北海道新聞からの引用)***
友引は「葬儀を出すと、他人の死を誘う」とされるが、○○(記事では実名)代表は委員会で、由来は中国の占いで、宗教とは関係のない「迷信」であると指摘。火葬場が休業している現状について、
①葬儀を友引後にするため、遺体を安置する会場の費用や葬儀参列者の宿泊費用がかさむ
②遺体の痛みが進む
などと問題点を挙げた。
これに対して市保健福祉局の大津英三生活衛生担当部長は、友引も稼働していた1978年から82年までの一日の平均火葬数が1.9件と、それ以外の26.5件を大きく下回っていたことから「友引は利用が多いとは思えない」と説明した
***(引用終わり)***
この背景には火葬場の改修に伴う一時的な不足への不安があるようです。現在札幌市には火葬場が二カ所あるのですが、そのうちの一カ所が改修のために二年間閉鎖されることになっていて、改修の始まる来年4月からは集中による混雑が予想されるとのことです。
一部の議員からは「現在と当時の市民の意識には変化があるのではないか」という意見もあったようですが、市側は「稼働すれば人件費などで年間4千万円程度の支出増になり利用料値上げにつながりかねない」と稼働の考えはないと強調した、とも書かれていました。
ところがこのNPOの調べでは全国の15政令都市で友引に休業しているのは札幌市のほか、川崎市など4市で、道内では函館市が稼働している、のだそうです。
私は、迷信や風習、文化が経済とどのように関わるのか、という点で極めて面白い問いかけだと思いました。
風習や文化、伝統的な考え方ということがらは「世間の常識」に由来するものですからもちろん法律や条令などにそのことを根拠として書き込むことは適当ではありません。
世間の常識が変化すれば対応が変化しても構わないわけで、それを伝統の破壊と呼ぶか、時代の変化と見るかは判断の分かれるところです。私はなにか問いかけがあったときには、世間の常識を問いただしてみることは正しいアプローチだと思います。
今回の件では、実際に友引に稼働させたときに収入に見合う利用が見込めるのかどいうことがとりあげられていますが、現実にはそれほどの利用は期待出来ないと思います。
逆に友引も稼働させている他の自治体の例を見て、それらが今現実に友引の日にどれくらいの稼働率であるのかを調べる方が先のような気もします。NPOもそこまで調べたならば、「友引でも利用率は他の日と遜色がない」というくらいのデータを出せるならば力強い意見になるのでしょうが、そういうデータがなかったのでしょうか。
更に言えば、現在稼働している自治体であっても、友引の日の利用率が少なければ稼働をとりやめるくらいの判断があっても良いのかも知れませんね。
今回は、経済的理由を前面に出してその効率性を問うていますが、私自身の生き物としての感覚から言えば、何事につけ「一定の割合で休憩を取ることの自然さ」を大切にしたいものだと思います。
例えその根拠が迷信や風習だとしてもです。
施設の管理を携わる身から言うと、施設には点検や補修などもあるわけで、稼働することだけが行政サービスなのではなくて、稼働すべきときに安定した稼働を約束するということだって質の高いサービスの重要な要素だと思うのです。
短絡的に考えると「伝統的な考えを破壊する不埒なNPO」や「楽をしたい安易な行政運営」という批判もあり得そうですが、一方的な視点ではなく、経済的、道徳的、心情的、伝統的など様々な角度からの合理性を十分に斟酌して総合的に判断していただきたいものです。
私ですか?個人的には稼働しなくてもよいのではないか、と思いますが、皆さんはいかがですか?
私の住んでいる旭川の火葬場は数年前に移転してから、札幌と同じように友引の日を休むようになりました。
この件に関してはいろいろ意見があると思います。新聞に書いている以外の意見で言えば『伝統と言ってもそれは旧暦から新暦に変わった明治以降ではないか』とか、『本来の六曜では「共引」と言う字であったが日本の大好きなダジャレから「友引」に変わった。本来の言葉に戻せば関係ない』とか・・・。
実はこの問題はすでに数年前に京都でも議論されています。
今で言うNPOの方々が京都市役所に対して、市の火葬場が友引の日に休業になることは市民に迷信を強制するものだから(火葬場休業だと友引を信じない人も友引の日の葬式をとりやめざるを得なくなるので)友引休業をやめるようにと申し入れ、京都市側は善処すると約束したとのことです。
結局現在は「月に3回の休業」ということで落ち着いたそうです。(月に一回は友引でも稼働する)
日本人の大好きな”あいだ”をとったと言うことでしょうか・・・。
札幌市は利用が見込めないから休業するんだと言いますが、しかしこれは”将来的”なことで話せば「行政は市民が友引の日も葬儀を出すようにするという環境」に持って行くべきだと私は思うんです。
その理由は10数年前の古いデーターで申し訳ないが、私の読んだ野村総合研究所の資料によると団塊の世代が亡くなる頃は、現在の4倍の葬儀の数になるそうです。つまりただでさ「友引明け」に葬儀が殺到し二時間待ちになることさえある現状を考えると、20数年後は恐ろしいことになるのです。(もちろん火葬場の改修もその対応のための増築改築だと思うが)
ですからよくよく考えたらたら「神道」でも「仏教」でも「キリスト教」でも「イスラム教」でも「ユダヤ教」の教えでもなく、明治のある人が ダジャレ で言ったことがここまで来たということが問題なのであって、この友引の問題は私たち日本人にはそれほど大切にする文化ではないかと思います。つまり友引の日も火葬場を運営してほしいというのが私の意見です。
大きな火葬場であっても、日によっては暇なときもあります。
その暇なときに使わないところの点検や補修をすれば問題は解決します。
実際に友引の日も火葬場を運営している市町村はそのようにしていますし、数年前までは旭川もしていたのにね。(^_^;)
私は仏教は浄土真宗ですが、真宗はあまり迷信を信じるな、という立場ですから、そういうことから言うと、友引も気にすべきではない、ということになるかもしれません。
しかしながら、ここが風習や文化の難しいところで、論理的にすぱっと切れないのですね。
友引に葬儀を出すとなると「なんとなく気持ち悪い」ということもあるでしょうし、親戚から白い目で見られるのではないか、ということもあるかもしれません。
日本の文化風習は気にしないという宗教の方ならどうでも良いことかも知れませんが。
また、将来葬儀の数が4倍になるとのご指摘ですが、それくらい激変するのなら、友引の運用だけではすまず、新しい施設の建設が当然必要です。小手先の対応ではなく、需要に見合った施設づくりが実行されなくてはなりますまい。
一般には火葬場は地域にとっては迷惑施設ですが、せっぱ詰まってからの対応ではなく、中期的な展望を持って地域と話し合わないと行けません。これまた行政上の大きな課題です。
また、メンテナンスは使われないときに行えばよいと言われますが、メンテナンスを予定しても葬儀が入ってしまえばできないということもあるでしょう。安定的な計画を立てる上では、計画的な稼働が必要だと思います。
いずれにしても、貴重なご意見をありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
そもそも、普通の人は、今日が友引だとか大安だとかいうことを気にせずに生活しています。
火葬場が休むから「友引」が頭に入るし、「なぜ友引に休むの?」と質問した子どもに「友を引くから」などという嘘を教えた親が迷信を広めることになる。
新暦が導入される前は、六曜でなく干支がつかわれていたはずで、「伝統」というほど長い歴史はありません。
おおかた、葬儀業者がぬけがけを防ぐために協定で休む日をこじつけたんじゃないかと思います。(土葬の時代にはそんなことは言ってられないし)
「友引翌日」の稼動を維持しようと思えば、他の日には半分ちかいカマが遊んでいるわけだから、メンテナンスは順番にやれば可能。
職員も、曜日に関係ない六曜にあわせるのはどっちみち「不規則休日」だから、毎日稼動させて交替で休んでも同じ。(消防署みたいに)
図書館みたいに、水曜休みでも、1/6が休みより1/7のほうが稼働日数は増える。
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199812.html
↑によると、「友引の葬式」より「仏滅の結婚式」のほうが忌避率は低いようです。
結婚式は本人の都合でずらせますが、死ぬのはずらせませんからね。(それでも、結婚式は仏滅がどうより、土日の出席しやすいほうが優先だと思う。)
個人的にいえば、月曜日の葬式は大変。うちの母親が連休初日に亡くなって、職場に連休明けの特休届を連絡するのに苦労した記憶があります。
とくに冠婚葬祭事は、自分だけではなく周りの人たちの意見も十分に聞いて、和を乱さないように行うのがよいと思うので、意見が異なると困りますね。
ご意見、ありがとうございました。