北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

【特別編】人間力を感じる会話

2008-05-05 23:55:55 | Weblog
 連休前のある日、案内の葉書が届いていた知人の女性芸術家Kさんの個展に行きました。

 京橋のこぢんまりとしたビルは、地下から二階まで各階がギャラリースペースになっています。部屋へはいるとお目当てのKさんの姿は見えません

 (会えなければ勝手に見てあとで感想をお伝えしようかな)などと思いながら名前と住所を記帳していると、後ろから「あら、ありがとうございます」という懐かしい声。

「あ~、ご無沙汰しています。お懐かしい」
 Kさんとは私が松本に住んでいたときに初めてお会いして、お互いに子供が一時不登校だったということで意気投合したのですが、Kさんのほうは画家としてすでに独自の世界を切り開いている実力派の芸術家なのです。

 この間、年賀状でのやりとりは続いていたものの、実際にお会いするのは約10年ぶりのことです。しかし一度会えば、これまでの会っていない時間はたちまち埋まってしまうものです。

「文化庁の在外派遣事業でオランダに行っていらしたそうで」
「うん、3ヶ月の短期だったんだけど、なんか適当な試験にパスしてね、ふふふ」

「その短期派遣は国から何か求められるものがあるんですか」
「それが2千字のレポートでいいのよ。まあ自分の目が肥えればいいかな、と思って」

 個展ともなると大作が中心となるだけれど、Kさんには小品もあってそちらの絵もすてきな作品ばかり。さりげなく書いたスケッチに心が動きます。

  *    *    *    *    *

 最近のこと、オランダのこと、犬が死んだこと・・・、幸い他にお客さんがいなかったので長話が出来ましたが、会話のリズムがとても心地よいのです。

 それ以来、会話が心地よいというのはどういうことだったのかを考えていたのですが、どうやら相手のこととともに会話のバランスを考えながら話しているからではないか、と思うようになりました。

 こちらからの質問にはツボをはずさない答えをしてくれて、それが頃合いになると今度は私への質問になり、それに答えるとまた次の話題に自然に転換してゆくのです。

 決して自慢ではなく謙遜が過ぎるのでもなく、自分だけが話すのではなく相手にだけ話させるのでもない。会話の流れの中で、そろそろこういうタイミングで自分がこういう話題をこれくらいのテンポと長さで話すのが心地よい、というバランスを考えているような感じです。

「昔の絵を自分で見ていて、今はこういう色を出せないと気づくのよね。でもその瞬間は自分の中からそういうはっきり明るい色が出てきたの。そのあとにはおとなしい色使いの時期が来て、振り返って比較するとここにこういう色が必要だっていう気持ちが出てくるものね」

 画家としての絶妙な空間のバランス感覚が会話の中にも生きているような気がします。

 Kさんとは小山利枝子さんという方。彼女のホームページの中には創作に対する芸術家の素朴な心情が載せられています。

 http://www003.upp.so-net.ne.jp/kaigakan/contents.html

  *    *    *    *    *

 不定期の日記もあります。

「・・・花のなかでもシャクヤクは花弁がものすごく多くて写実的なデッサンは物理的に大変だ。他の雑用に追われることのないアムステルダムでの時間だからこそシャクヤクのデッサンにじっくり取り組む事が出来た。

日本画の価格でボタンの絵は高くなるという馬鹿馬鹿しい話を聞いた事があるが、それはある意味わからないわけでもない。一定以上の技術がないとかけない花だ。しかも手間がかかる、、、、だからといってそれが良い絵であるという事とは全く別 問題である。

形をそのままなぞるだけの絵で満足できたらどれだけラクチンだろう。何年も絵を描いていれば形を写 すというレベルでは上達するだろう、でもそんな事を求めているわけではないのだ。あ~~~形におさまらないものを形に置き換えなければならないのだ。だからこそ絵においては形こそすべてでもあるのだ」
 (2008.2.8の日記から)


 久々に会話の心地よさを感じる、すごい人間力を感じるひとときでした。 
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