朝方は雨が降っていて、(今日はまち巡りはできないかな)と思ったのですが、9時前に上がり今日も自転車巡りをすることができました。
考えてみると梅雨の季節を通じて、週末に雨が降ってまち巡りが中止になったということがありませんでした。お天気の神様に見守られているようです。
自然霊のお稲荷さんにご挨拶をしておくことにいたしましょう。
※ ※ ※ ※
今日も文京区春日の貸し自転車場で電動自転車を借りてまち巡りに出発。よくよく調べてみると、春日という地名は春日局が拝領した土地からきているのだとか。意外なところで歴史にふれることができるものです。
今日まず見に行ったのは、文京区の播磨坂と呼ばれる延長約500mの区間の道路です。ここは戦災復興時に環状3号線として計画を去れたのですが、ここだけができて桜並木として有名になったものの、その前後が全く整備されていない現状にあります。
「東京都市計画物語」の著者である越澤明先生は「この道路こそ、東京復興計画の挫折を象徴する情けない現実の姿である」と断じています。
実際に見に行くと桜の木が大きくなり、地域の花見の名所として愛されているということは分かりますが、道路の機能としてはそれは徒花(あだばな)であって、人流や物流をになう都市インフラとしては全く機能していない現実がよく分かるのでした。
インフラ整備はお金だけではできませんが、現在の東京都のような景気の良いときにこそ子々孫々のための百年の計にたった都市整備が求められることでしょう。
その象徴をまさにここに見ることができました。
※ ※ ※ ※
続いては東京大学付属植物園である小石川植物園。
入り口に「入園券は向かいのタバコヤで買ってください」とあるのが面白い。自ら券売をする手間を省くという意味では近隣のお店と連携するというのは面白い方法です。
さてこの植物園、遠く歴史をたどるとその事始めは将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」に遡ることができます。
その後八代将軍徳川吉宗の時代にはここに「養生所(あるいは施療院ともいう)」が設けられ、その井戸の跡が今でも残されています。明治10年からは東京大学付属植物園として管理されていますが、植物学上の幾多の大発見がここでなされているのです。
関東大震災時にはここへ避難してきた人も多く、最後の居住者が退去して復興がなされたときの記念碑が今でも残されています。探せば災害の痕跡というのはあちらこちらにあるものです。
※ ※ ※ ※
そこから池袋方面へ向かって護国寺へ行きました。こういうところも思い立たないと案外行かないものでしょう。
雑司ヶ谷の墓地にも行って、小泉八雲のお墓を探しましたが残念ながら見つけられませんでした。次こそ。
雑司ヶ谷には庶民の信仰を集めた鬼子母神があります。なんだか神様なのか仏像なのかがよく分からないままに信仰を集めているようすが伺えて、神仏習合時代の有様が想像できました。
でも今はお寺としてお参りするのが正しいのです。
鬼子母神は、他人の子供を食う恐ろしい鬼でしたがお釈迦様に自分の子供を隠されて、子を失う親の悲しみを知り、それからは子供を守ることを誓ったのだとか。
そのため、恐ろしい鬼ではないことから「鬼」の漢字から角を取った文字で表されているのだそうですよ。
※ ※ ※ ※
あとは池袋~早稲田~大久保~神楽坂などを通って帰ってきました。訳も分からず毎週走り回っていますが、そろそろいろいろな土地が有機的に結びついてきました。
やはり継続は力なりですね。
考えてみると梅雨の季節を通じて、週末に雨が降ってまち巡りが中止になったということがありませんでした。お天気の神様に見守られているようです。
自然霊のお稲荷さんにご挨拶をしておくことにいたしましょう。
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今日も文京区春日の貸し自転車場で電動自転車を借りてまち巡りに出発。よくよく調べてみると、春日という地名は春日局が拝領した土地からきているのだとか。意外なところで歴史にふれることができるものです。
今日まず見に行ったのは、文京区の播磨坂と呼ばれる延長約500mの区間の道路です。ここは戦災復興時に環状3号線として計画を去れたのですが、ここだけができて桜並木として有名になったものの、その前後が全く整備されていない現状にあります。
「東京都市計画物語」の著者である越澤明先生は「この道路こそ、東京復興計画の挫折を象徴する情けない現実の姿である」と断じています。
実際に見に行くと桜の木が大きくなり、地域の花見の名所として愛されているということは分かりますが、道路の機能としてはそれは徒花(あだばな)であって、人流や物流をになう都市インフラとしては全く機能していない現実がよく分かるのでした。
インフラ整備はお金だけではできませんが、現在の東京都のような景気の良いときにこそ子々孫々のための百年の計にたった都市整備が求められることでしょう。
その象徴をまさにここに見ることができました。
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続いては東京大学付属植物園である小石川植物園。
入り口に「入園券は向かいのタバコヤで買ってください」とあるのが面白い。自ら券売をする手間を省くという意味では近隣のお店と連携するというのは面白い方法です。
さてこの植物園、遠く歴史をたどるとその事始めは将軍職に就く前の徳川綱吉の白山御殿の跡地に徳川幕府が作った「小石川御薬園」に遡ることができます。
その後八代将軍徳川吉宗の時代にはここに「養生所(あるいは施療院ともいう)」が設けられ、その井戸の跡が今でも残されています。明治10年からは東京大学付属植物園として管理されていますが、植物学上の幾多の大発見がここでなされているのです。
関東大震災時にはここへ避難してきた人も多く、最後の居住者が退去して復興がなされたときの記念碑が今でも残されています。探せば災害の痕跡というのはあちらこちらにあるものです。
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そこから池袋方面へ向かって護国寺へ行きました。こういうところも思い立たないと案外行かないものでしょう。
雑司ヶ谷の墓地にも行って、小泉八雲のお墓を探しましたが残念ながら見つけられませんでした。次こそ。
雑司ヶ谷には庶民の信仰を集めた鬼子母神があります。なんだか神様なのか仏像なのかがよく分からないままに信仰を集めているようすが伺えて、神仏習合時代の有様が想像できました。
でも今はお寺としてお参りするのが正しいのです。
鬼子母神は、他人の子供を食う恐ろしい鬼でしたがお釈迦様に自分の子供を隠されて、子を失う親の悲しみを知り、それからは子供を守ることを誓ったのだとか。
そのため、恐ろしい鬼ではないことから「鬼」の漢字から角を取った文字で表されているのだそうですよ。
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あとは池袋~早稲田~大久保~神楽坂などを通って帰ってきました。訳も分からず毎週走り回っていますが、そろそろいろいろな土地が有機的に結びついてきました。
やはり継続は力なりですね。