北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人には恩を売れ

2014-05-21 23:45:18 | Weblog

 昨日書いた小林先生のお話にはインスパイアされるところが多くありました。

 地域のことをよく知るというのは生涯学習の基本なので、まずは客観的な自分たちのことがら、つまり自然環境、土地柄、歴史、観光、産物などについてよく知る努力をしよう、ということです。

 そこから一足飛びに、自分たちが幸せになりたい、町を幸せにしたい、ということがあるとすると、どういうことが幸せなのか、という目標像や定義が必要になりますが、昨日の講演会にあったように、「仕事」「暮らし」「楽しみ」という順番で充実を図ることが必要でしょう。

 もし仕事はあるので、NPO的に地域を何とかしたいということであれば、暮らしをどう良くするか、楽しみをどう増やすか、ということになるでしょうし、その延長線上に余所の人を楽しませるという観光の分野にも話が及ぶでしょう。

 そしてそれらのベースとしては、地域のポテンシャルを活かした経済活動が好循環になり、地域の産物が価値を高めて地元の収入に繋がるという形があるべきです。

 昨日のブログを読んだある知人からは、「私は地域の産物を限定的に捉えると限界があると思うので、地域がプロデュースするものを含めて良いと思います」というアドバイスがありました。

 全てを地元産にこだわるのではなく、地元が関わってともに作ってゆけるものは地域の産物としてとらえることで、対象となる幅が広がります。

 例えば地域に農産物はあるが加工場がない、となれば隣町の加工場と一体となって地元の産物としても良いわけで、その逆もあり得ますね。良い考えです。

 そしてそうしてできあがるものを、販路がある既存の企業とマッチングさせることで販路を開拓し売り先が広がるというわけです。

 マッチングには人を介した努力が欠かせませんし、運命みたいなモノもありそうですが、やはりそこに向けて頑張るという「実践」が欠かせません。

 こういう形で経済がうまく回るということは地域の活性化に寄与することは間違いありません。


    ◆     


 先日の話でもう一つインスピレーションがわいたのは、「日本人はコンテキスト(文脈・環境)に生きる民族だから」という言葉でした。
  
 このことは、モノだけでなくそれを誰が作ったかとか、どんな苦労があったかといった背景情報を提供することでシンパシーを感じやすい民族だということです。

 最近は農産物にも生産者の顔写真が貼ってあって、「○○さんが心を込めて作った大根です」なんて書かれると、親しみがわき、このおじさんの笑顔が見られるなら、とつい買ってしまうという効果も期待できます。

 ここに介在するのは人と人との縁です。人がある場所やモノにこだわるのは何かの縁を感じるからです。

 逆に言えば、「縁を感じさせればファンになってもらいやすい」ということですし、それを一歩進めれば「恩を売ればなおファンになる」。しかもそれが特定の誰かとの縁であったり、誰かからの恩という顔の見える関係性ができれば、繋がりはもっと強固なものになるでしょう。

 私自身で言えば、私が数多くの土地を転勤して歩きながら、今でも掛川や釧路に未だに惹かれているのはそこに縁があっただけではなくて、恩を受けたからでもあると思います。

 観光地の多くはもてなしやサービスによって多くの来訪者と触れ合っているはずですが、みすみす通過型観光にしてしまって、来訪者となんらの触れあいもないままに町を離れていってしまう観光客も大いに違いありません。

 あらゆる瞬間を捉えて、縁を結び恩を売るということに、それも顔の見える恩を売り、縁が出来れば、次からは観光ではなく、「友達に会いに来る」という関係性が生まれることでしょう。

 わが故郷に私を訪ねて友達が会いに来てくれるという関係性を多く作ることこそ、地域が活性化する大きな力になるのではないか、と強く思うのです。

 地域には、産物も力になるしそこにいる人も力になる。

 「人には恩を売れ」 これが今日のキーワードです。
 

 

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人口減少でも幸せな町にするために

2014-05-20 22:13:04 | Weblog

 昨日、京都大学経営管理大学院小林潔司教授による「人口減少下の地域政策」というタイトルの講演会に参加しました。人口減少に悩む北海道に住む者として興味があった点をお伝えしようと思います。


【以下小林先生の講演要旨】 
 スイスやスウェーデンなどに行ってみると分かるのですが、(よくこんなところに住んでいられるな)と思うようなところに住み続けるスピリッツが彼等にはあります。

 欧州とわが国が違うのは、欧州は極めて流動性が低いことで、ほとんどの子供たちは親の仕事を継ぐということをあたりまえに使命のように思っています。

 ところが日本では親の職業と子供の職業の相関が極めて低いのが特徴です。今日も「人口減少」というタイトルを使っていますが、人口の流動性を横に置いた言い方だというイメージがあります。ただやはり人口が減ることは問題なので、この問題とどう付き合うかということは重要なことでしょう。


     ◆     

 私もかつて鳥取市という地方都市に住んでいましたが、人口は減っても世帯数は減っていません。つまり家族として一緒に住んでいた余剰の人口が東京など大都市へ出て行ったということで、大阪などでは人口は減っても世帯数は増えています。

 これは結婚しない人が単身生活をしていることが大きな理由ですが、新しい世帯を作れば一通りの電化製品や車などが売れるというので、世帯数の増加とともに経済規模が膨らんだというのが日本の高度成長時代の姿だったと言えるでしょう。しかし子供が減ってきて、そういう力もいよいよ減りつつあります。 

 「限界集落」という言い方があって、ある高校入試で「何が限界なのか?」という設問に対して正答は「住むことが限界」とされたそうです。しかしこれは誤り。

 限界集落は英語では"marginal village"と言いますが、これは「役割を見いだせていない集落」という意味。将来はまた見いだすかも知れません。

 
     ◆    


 さて、地域の経済が成立して持続可能にするためには次の6つの視点を避けては通れません。それは

視点1 住民生活を直接支えている産業とは何か
視点2 域外市場産業として域外マネーを獲得している産業は何か

視点3 各産業で生み出された付加価値は域内に落ちているか
視点4 域外市場産業は持続的・安定的か → 不安定なら地域は暗い

視点5 消費は域内で行われているか
視点6 再投資は域内で行われているか

 という六つの視点です。総務省では自治体の健全度を公債比率や財政力指数などの指数で図っていますが、これでは将来的な持続力を表すものとは言えず、上記のような考え方の方が良いでしょう。

 
 私は鳥取県日南町というところとずっとお付き合いがあって、そこで「30年後のために今何をすべきか」というテーマでワークショップを開催しました。

 そこで『か・き・く・け・こ』ビジネスというところにまとめられました。

 か=かんこう
 き=きょういく
 く=くらし
 け=けんこう
 こ=こうつう

 まあ語呂合わせみたいなものですが、しかしビジネスとコミュニティにはお互いに依存するところがあって、健全なビジネスは健全なコミュニティがなくてはやれないし、健全なコミュニティは仕事を与え地元の剤を購入し税を支払う健全なビジネスに依存するんです。

 これらは、コミュニティに社会的便益を提供し、地域住民が自分たちや他の人々の手助けをするための機会を提供してくれるはずですが、そのためにはビジネスとして健全な収益性をあげることがなんとしても必要です。


 <阻害要因>

 ところがこれらを阻害する要因があって、社会的無理解、社会的貢献の姿が見えない、支援体制が一体化されない、金銭調達が難しい、ものが出来ても販路が確保できない、話が複雑になると調和がとれなくなる…などなど、出来ない理由も多々あります。これらもなんとかしなくてはいけません。

 高村義晴さんという方は、コミュニティ起業を類型化して、

①地域の人材発掘型
②二地域居住者・移転者活用型
③起業の人材・資源活用型
④地域と企業の共同・連携プロジェクト型

 という四つに分類しました。現実には地域にはなかなか人はいないし、二地域居住者ということもマッチングが難しい。

 ③と④がうまく行えれば現実的で、起業に対して二地域就労のようなことでメリットを与えられるような提案を行ってマッチングできると良いし、企業であれば販路を使わせてもらうということもでき、いくつかの成功事例も見受けられます。

 
     ◆     


 さて、人々が過疎中山間地域に住み続け、幸せに生きる行動原理とは何でしょうか。

 社会を支える三つのことは「仕事」→「くらし」→「楽しみ」ということです。

 まず安定的で収入の見込める仕事が地域にあること。次に健康や福祉や教育、買い物などの暮らしを豊かにする社会装置が備わっていること。

 そしてそれらが揃ったとして、日常を幸せにするものは「楽しみ」で、それはつまり「遊ぶ」「遊べ」ということなのですが、現代日本人は実にこの遊ぶと言うことが下手くそな民族です。

 国土計画で「遊び」なんて単語が出てきたことはまずないでしょう(笑)地域でどれだけ遊べるかを考えてみてはどうでしょう。

 
 -----------【講演ここまで】------------------
 

 講演はここまでとして、ここで質疑応答の時間になったので私から「先生は『地産地消』ということをどうお考えですか」と質問をしてみました。

 すると先生からは、「最初は地域のものをよく知ろう、ということから始める手段としてはあるだろうが、そこから先は物以上のものを売ることが必要になってくるでしょう」とのこと。

 その心は、「ある人が世界の国々の国民性を調べたところ、日本人は最もコンテキスト(文脈・雰囲気)で生きる国民だ、と言う結果になったそうです。逆にコンテンツ(事実)で生きる国民の代表はドイツ人とのこと。ドイツ人は面と向かって『愛してる』と言わないと心は通じないけれど、日本人ならばそんなのは態度やあうんの呼吸で分からなくてはならない。
 でも日本人にはそういう国民性があって、それは実は東南アジアの人たちもコンテキスト重視の国民性を持ったところが多いのです。だから、日本人同士ならば物以上にその背景の物語を語ったり売るということがコツですし、アジアへの協力も、現地で共に苦労しながら創って行くということに対するニーズは高いと思います」

 私としては良い答えが引き出せる良い質問だったと思いました(笑)


    ◆     ◆     ◆


 さて、講演を聴いての感想ですが、地域の現状を冷静に分析するとしたらここで出された「六つの視点」のような視点は調べてみると良いでしょう。

 しかし調べたところでうまく行っていないことがわかるだけ、というところも多いことでしょう。

 そういうときは地域をよく知り、地域の産物をよく知り、それらを大手や都会の企業と連携をするようなビジネスに結びつけるということが活性化の道筋ではないか、というヒントが得られました。

 仲間同士で議論し合っているだけでは外に出て行かないし、かといって戦略も無しに外に出ていっても大海に飲み込まれるだけ。まずは地元の特徴や優位性を確認した上で、企業との連携を試みてみる、というアプローチが現実的なように思われます。

 そして産物というモノも、品質だけではなく背景の物語や人同士の貸し借りや恩返しのような心理もコンテキストとして生きることでしょう。

 経営コンサルタントの藤村正宏さんは「エクスマ(=エクスペリエンス・マーケット)」ということを提唱して、「モノを売るな、体験を売れ」と言っているのもこのあたりのことの表現だと思います。

 地域活性化に正解はありませんが、やはり知識と知恵を人材である人が活かすことしか王道はありませんね。

 小林先生、ありがとうございました。
 
 

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賄賂が必要な国

2014-05-19 23:45:40 | Weblog

 韓国のフェリー、セウォル号が沈没して約300人にも上る犠牲者を出し、国を挙げての問題となっているようです。

 この問題は根が深くて、日本の中古船を改造して乗客がより多く乗れるように改造したり、また過積載が常態化していたとのこと。

 その過程でさまざまな賄賂が横行して、安全が守られなかったと国中が嘆いています。


    ◆   ◆  


 これに類する話をどこかの本で読んだ気がしたなあ、と思って調べてみたところ、安岡正篤先生の『十八史略』という本の中で、先生が古代中国の斉(せい)という国の「晏士(あんし)」という名宰相について書かれた下りのところに中国の賄賂とは何かについて書かれていたところがありました。

 ちなみに斉という国は、中国の歴史の中では桓公(かんこう)という王様が覇を唱え、春秋五覇の一人として名をとどろかせたところ。そしてこの桓公から八代を経て「景公」という王様になった時に晏子という名宰相が国を治めました。

 この晏子は、三十年も一枚の狐の皮を着続け、お祭りの捧げものである豚肩が皿を覆わなかったなど、とても質素倹約でつましい生活をしていた、と書かれています。
 そして行政の能力も高く評判が非常に良い政治家なのですが、それでも「斉国の士、待ちて以て火を挙ぐる者七十余家」とされ、彼のおかげで生活をしている身内が七十軒ほどあったというのです。

 このことを指して安岡先生は、「そもそもシナ人は、身内から誰か一人偉い者が出ると一族ことごとくこれにぶら下がり、それは今でもそうだ」というのです。

 そして中国の文化は、そういう一族郎党の面倒を見ないようでは大人と言えず軽蔑されることのだと。そのためシナにおける賄賂は日本人の考える賄賂と非常に違います。

 シナでは福祉制度などが社会制度として充実していないので、昔から偉くなると賄賂を取り、取った賄賂で日本で言う社会福祉費を払って自分に近い一族郎党の生活の安定を図っているようなものなのです。

 日本では賄賂というと悪い意味にしか感じられませんが、シナには賄賂は必要悪としつつ、これにも悪いなりの暗黙のルールがあってそれを「陋規(ろうき)」と言います。

 陋規の《陋》は卑しいと言う意味で、《規》は規律のこと。つまり悪いことなりのルールとか、泥棒仲間にも約束事があるというわけ。

 これに対して、支配階級が発する表向きの規則や規制、正義といった道徳観を《清規》と称すのですが、日本では現在は役人が賄賂を受け取るということについては絶対にいけない、という価値感を持っています。

 そして、日支事変でかつて日本軍が中国大陸を蹂躙し乱暴狼藉を働いたことは困ったことではあるが、長い目で見ると今までシナでは何度もあったことで時がたてば何とか始末ができる。

 しかしどうにも我慢がならんのは『日本人が入ってきてわれわれ民族の陋規を破ったことだ』と言われたというのです。

 賄賂は取るけれども取った賄賂の使い道というのがある。賄賂を取りっぱなしで使うべきところに使わないのはいけない、という風土のある国が日本人と価値観を合わせるのは難しいだろうなあ、と思いました。


 韓国の国柄がどうかというのは良く分かりませんが、今回の事故をきっかけに何かが変わるのか、注目していきたいと思います。

 

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車が「痛い」と言っている

2014-05-18 23:38:54 | Weblog

 午前中に車の点検で日産のディーラーへ行ってきました。

 事前に工場の予約をしていなかったのですが、「夕方4時以降ならお受けできます」とのことで、夕方に再度日産の工場へ行ってきました。

 車の症状は、エンジンをかけた後にメーター類のインパネの中で『電制シフト警告灯』というランプがついているというもの。


 【このマークがつきっぱなしになるのです】

 マニュアルでは「エンジンがかかったら2秒ほどで消える」とあるのですが、ときどきそれが消えずに残っているのです。

 で、それが消えないときはギアが「Pパーキング」から帰ることができず発信できない状態になります。

 一度エンジンを切って掛け直すとかかることが多いのですが、昨日はそういう症状が二度ほど出たのでまずいと思って工場へ行くことにしたのです。


 工場で40分ほど待っているとメカニックの担当の方が来て説明をしてくれました。

「やはりシフトレバーのところのコントロールユニットの接触が悪くなっていました。直すには、部品代と工賃で1万8千円ほどになりますが…」
「仕方ありませんね。すぐできるのですか?」

「部品は取り寄せになりますので、水曜日くらいにご連絡して再度お越しいただきたいと思います」
「わかりました」

 修理の予定はそれとして、最近の車は電子部品ばかりになっていると聞いていたので、そういうときにどうやって具合を見つけるのか訊いてみました。

「それにしても、これだけ多くの電子部品があるのにそこが悪いというのはどうやってわかるのですか」
「はい、電子部品だけに逆にコンピューターを車につないで調べると、不具合のある部品からエラーメッセージが送られてくるんです」

「ははあ、なるほど。でもその部品でもいろいろな種類の不具合があるでしょう」
「ええ、車から送られてくる情報は、人間でいえば『手が痛い』とか『足が痛い』という程度のものです。ただそれでアタリを付けたらそこで電波の波が正常に出ているかとかいった診断をして不具合の正体にたどり着くことができるんです」

「自動車整備というのはもう機械整備の経験じゃなくて、パソコン一台あれば全部わかる時代なんですね」
「いえ、やはりこういうときにはこのあたりかな、というような経験は欠かせません。トータルの技術力はいつの時代でも必要だと思います」


 私の質問にも誠実にてきぱきと答えてくれて、なかなか気持ちの良い青年が対応してくれました。

 故障の箇所が車の側から申告してくれるというのは、体で言うと神経が通っているようなものでしょうか。

 ただし神経が痛みを感じても、そこから病気(故障)の原因が何かを探るにはお医者さんの様な経験と技術が必要のようです。

 体の健康も車の健康も、不具合が出たらすぐに診てもらうのが一番のようですね。良い勉強になりました。

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やるべきことを逃さずに

2014-05-17 23:45:54 | Weblog

 季節外れの寒波で、とんでもなく寒い一日となりました。

 今日の最高気温は9℃だそうで、暖房のスイッチを入れようかと妻と本気で相談。さすがに「フリースを着て我慢しよう」ということになりましたが、足が冷たくてたまりません。

 これで5月中旬とは…農家さんは大丈夫でしょうか、心配です。

 
 明日は知人に釣りに誘われて近隣の川へ入ろうと思っていたのですが、夕方義父母と食事に行った際に車がちょっと不具合と思われる状態になりました。

 ちょっと外出先で動けなくなるようだと不安ですし、いよいよシーズンインなので万全を期して、明日は車のメンテナンスをしてこようと思います。

 どうやら今から6月はほぼ週末の予定が固まりつつあるのですが、部屋の片づけもしなくちゃいけません。

 思いきり遊ぶためにも身の回りのこととのバランスを取らないといけませんね。

 ちょっと残念な週末ですが、気を取り直していまやるべきことを勇気をもってタイミングを外さずにやっておきましょう。

 やらずに後悔はしたくありません。

  

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ミニスキーの思い出

2014-05-16 22:27:31 | Weblog

 人生を振り返ると良かれ悪しかれ、様々なブームがあってそれを知っているかどうかが思い出の共有となることがあります。

 さくらももこさんの漫画『ちびまるこちゃん』を見ていると、山口百恵や西城秀樹など当時のアイドルにまるちゃんやお姉ちゃんが憧れている様子がうかがえて、私の方がちょっと年上なんだけれども同じ世代意識を感じます。

 親の世代が演歌や歌謡曲ばかり聞いたり歌ったりするのを見て、「今だって良い曲はいっぱいあるのにどうして懐メロ?」と思ったのは昔のこと。かつての歌謡曲はもう懐メロになっているのに、そちらに強く惹かれます。

 遊びやおもちゃにもいろいろな流行がありました。

 幼い時にもっとも欲しかったものの一つがコカ・コーラのヨーヨー。赤い胴体にコカコーラのロゴが書かれていて重たいやつを持っている友達がうらやましかったものです。

 ところがそうかと思うと、こういったブームを知らなくて寂しい思いをすると言うこともあります。

 私の友人に、学生の頃にテレビを一切見ずに一年間受験勉強を一生懸命にやったために、その年に流行したものだけぽっかりと記憶がないという人がいました。

 勉強を頑張った結果として今の地位や立場があるのでしょうが、「思い返すと皆の話しについて行けなくて寂しかったり、それが可笑しかったりする」と言っていました。

 
 そんな私も、こればかりはついていけなかったというブームが一つあります。

 心に残るそれは「ミニスキー」です。


【ありましたよねー】

 長さ40~50センチのプラスチック製スキーで、長靴に日本のベルトでしばりつけて、小さな坂を滑り降りるという遊びの道具でしたが、当時子供たちは大喜びでこれを使って冬の外で遊んだものでした。

 私も大いに興味があったのですが、私の場合小学校高学年から足が大きくなってしまい、長靴のサイズが27センチでした。

 ミニスキーは子供用しかなかったために、この27センチの長靴にあうものがなくて、とうとうミニスキーで遊ぶことができなかったのです。

 とても残念な思い出なのですが、今となっては遊べなかったそのこと自体も笑いのネタになっています。

 皆さんは子供の時にブームになって遊んだ思い出はありますか。

 テレビゲームは子供たちの思い出になっているのでしょうかねえ。

 

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講演を予定時間きっちりに終わらせる方法

2014-05-15 23:01:42 | Weblog

 昨日の講演会での知人から、「途中まで聴いていて、(終了予定時間まであと5分なんだけど終わるのかな)と思っていたらぴったり終わったのですごいなと思いましたよ(笑)」と妙な感心をされました。


 私の場合、話をするときは大抵パワーポイントで事前にスライドを作るのですが、プレゼンテーションをするときはこのような形が多いことでしょう。

 おかげさまで大抵は予定時間でほぼ話を終えられるようになりましたが、いろいろと工夫を重ねて今のスタイルになりましたが、ちょっとしたコツなのでご紹介いたしましょう。


     ◆   

 

 さて、まずは話したい内容を大まかに決めて枚数にとらわれずに自由にスライドを作って行きます。

 話のボリュームとして大体こんなものかな、というところでスライドを数え、一枚で2分の話をすると考えます。

 逆に言うと一枚で5分も話をするような濃密なスライドは作りません。絵が変わらないと飽きてしまうと思うからです。

 今回は80分話をするのに45枚のスライドを作りましたので、単純に言えば2分×45枚=90分ですが、ここから一枚ずつ見ていって、1分で終わらせるスライドや3分、4分話すスライドを決めてゆき、その時間を積み上げてゆきます。

 その過程で、どうしても時間が足りなさそうなときはスライドをカットし、余りそうならスライドを足して調整をします。

 できあがったスライドは、A4の紙一枚に9枚のスライドを張り付ける形で印刷をして、各スライドで何分話しをして、その段階の累積が何分になり、終了時刻がいつかのイメージをメモしておきます。

 

 ここまで準備をしたうえで講演に臨みますが、あとはスライドごとに大体の目安時間で話をして、3枚ごとに終わったあたりで時計を見て目標時間と実際の時間との差を計ります。

 すると「ちょっと遅れ気味」とか、「まだ余裕があるな」ということが分かるので、その後のスライドで少しずつ調整をしてゆきます。


【このスライドで3分話すと28分経過して、4時58分になっている予定】

 そうやって最後の一枚のところで残り時間を調整し、時間が来れば、まだ話足りないな、と思っても終わらせるのです。こうすれば時間が狂うことはほとんどなくなります。

 最初は熱がこもって一枚のスライドで何分も話してしまうかもしれませんが、練習の段階でそれが分かればその内容でスライドを二枚に分けてしまえば良いでしょう。

 『まず全体の見取りを作っておいて微修正をする』というやり方は講演だけではなく、いろいろなところで使えると思いますのでぜひお試しを。
 

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報徳についての講演会~日本オリジナルの経済思想

2014-05-14 22:12:35 | Weblog

 日本建設機械施工協会北海道支部の総会で講演をしてきました。

 今回の講演は、機械課長としての職責に関わるものではなくて『自由なテーマで結構ですから』と事前に言われていたので、喜んで「二宮尊徳と報徳思想について」というタイトルで自由にやらせていただきました。

 こういう形の講演会は珍しいのですが、人生の先輩諸氏を相手にしつつも、私が日頃からチャンスさえあれば伝えたいと思っていた報徳について、1時間20分にわたって思いのたけを伝えました。

 
 ところが今日の総会には施工協会の東京本部から辻さんという会長も見えていて挨拶やら中央の動向についてお話をしてくれたのですが、今日はとんぼ返りと言うことで私の話が聞けないことをちょっと残念がっていました。

 そして総会の途中の休憩時間に私のもとへつかつかと歩いてきて、「ところで小松さん、今日はどのようなお話をされるの?」と話しかけてくれました。

 そこで私が「日本にも道徳と経済を融合させた経済思想があるということを教養として知っていただきたいと思います。特に経済至上主義の世間に対するアンチテーゼとしての報徳は生き方としてはアリだと思いまして」と言うと、会長は驚いたように、「実は私の家は近江商人の出なんだよ」とおっしゃいます。

「おお、すると『三方よし』ですね。『売り手よし、買い手よし、世間よし』という商売の価値観はまさに報徳に通じるところがあると思います」
「そうなんだよ、今のような"行き過ぎた価格競争はいけない"ということで品質確保法というような法律もできたんだけど、世間が全体としてそういう機運にならないんだよ」

「おっしゃる通りです。多少迂遠な道ですが、公共事業を直接語ることよりも、報徳思想や三方よしのような価値観念を語り広めるところから始めないといけないのではないかと思います」
「ああ、今日はあなたの話が聞きたかったなあ(笑)」

 辻さんはそこで時間切れでお帰りになりましたが、私の方も今度は三方よしの哲学についてお話を聞きたいと思いました。


      ◆   ◆  


 さて、報徳の方はざっくりいうと、尊徳先生の生涯、その思想、影響を受けた経済人、そして北海道と報徳との関わりという形にまとめて、こちらもフルに80分にわたって存分にお話ができました。

 実は北海道で、まともに報徳について語り尽くした講演をしたのは初めてでした。

 聞かれた方も、二宮金次郎の銅像があることは知っているけれど彼が何をしたのか何を考えたのか、日本社会にどういう影響を与えているのか、などについてはおそらく考えたことがなかったでしょうから、皆さん興味深く真剣に聴いてくださって、こちらも本当に気持ちの良い時間でした。

 終わった後の懇親会で感想を伺うと、

「あ、これは小松さんは思ってなきゃ言えない内容だよな、と思いました」

「講談みたいで楽しかった」

「経営学と言うと、皆ドラッカーやマネジメントの話ばかりするんだけど、なんだ日本にもっとすごいのがあったんじゃないか、と思いました」

「こんな話ができる後輩が開発局にいるとは思わなかった(笑)」

「『お天道様が見ているぞ』と言われたら日本人は背筋が伸びますね。それこそ神道の力なんだな、と思いました」

「(依田勉三や二宮尊親さんがいた)十勝に自主独立の気風がなぜ高いかが分かりました」

 …といった感想の数々。

 やはり心に響いた方は結構いたようで、「お願いしたら外でもやってくれますか?」というので、「休暇を取れば可能ですよ」とお答えをしておきました。

 報徳については、掛川で学ぶことができた私が地域にお返しできる報恩だと思うので、できるだけご要望に応えたいと思います。

 そうか、今日は私を知らない方たちに向かっての報徳デビューだったんですね(笑)

 お聞きいただいたみなさん、ありがとうございました。
  

 

 

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社会が子供を産んでくれる社会にするために

2014-05-13 23:25:56 | Weblog

 政府の経済財政諮問会議の下に置かれている専門調査会が、50年後の我が国の人口を1億人に維持することを目標とする中間整理をまとめたという報道がありました。

 専門委員会は「『選択する未来』委員会」というもので、出生率を高めるため子供を産み育てる環境を整えて「50年後に人口1億人程度の維持を目指す」という数値目標を設定するのは、政府としては初めてなのだそうです。

 報道は報道として、元の資料は内閣府の経済財政諮問会議のホームページに掲載されているので原典に当たる方がより理解が深まります。

 ホームページの中の資料として『これまでの議論の中間整理』というペーパーがあって、これを見るととても表現が柔らかくて役人的でないことが印象的。

 まず『問題意識』として掲げられているのが二点。
・現状のまま何もしない場合には、極めて厳しく困難な未来が待ち受けている。
・制度、政策、人々の意識が速やかに変わるならば、未来は変えることができる。
 …とあります。

 まず厳しい現実として、我が国は今後50年、人口減少社会が続きます。

 2008~2013年は毎年16万人が減っていましたが、2010年代後半から2020年代初頭にかけてはそれが▲50~60万人/年となり、2040年代初頭には▲100万人/年になるのだと。

 それを放置していたのでは、経済成長もマイナスになり経済規模の縮小は国民生活の低下につながります。

 
 そこで『未来への選択』として、子供に対する希望を実現できる環境を作り、50年後になお人口を1億人程度の安定した人口構造を保持することを目標にしています。

 『希望を実現する』というのは子供の数のことで、理想とする子供の数が2.4人なのに対して、現実は1.7人というこのギャップを様々な政策と意識の変化によって実現しようというのです。

 これが行われれば、その一世代後には総人口は微増になると予想されています。

 少し理想に過ぎるのかもしれませんが、生みたい、育てたいという思いを少しでも実現してあげることが豊かな社会に繋がるというのですから、これからの我が国の大きな課題の一つとして捉えて、そこに投資をはじめ注力せざるを得ないでしょう。


 しかしことがことだけに、もう私自身では人口増加に貢献することができません。

 「自分と未来は変えられる」と思っていましたが、このことだけは、側面からの支援が精いっぱいです。

 精々地域を支えることで、間接的に子育て世代の負担を軽くすることに力を尽くすことができるでしょうか。

 世代ごとに子育てのために何ができるかを考えて実践に繋げてゆきたいものですね。


   ◆   


 さて、この経済財政諮問会議ですが、橋本政権の時に作られて、小泉政権などでは骨太の方針などとして、これからの課題を明らかにして政策のかじを切る方向作りの場として大いに活用されていました。

 自民党政権の時には、資料は随時公開されていてどのような議論がされているのかについて報道されたことの原典に当たることに対しては誠実な対応がなされていました。

 しかし民主党政権になると、経済財政諮問会議は全く使われなくなり、しかも政権内部でどのような意見が交わされているかという情報公開のチャンネルが失われていました。

 今般安倍政権になって再び経済財政諮問会議の場でこうした議論がなされているという情報が手に入るようになったので、大いに情報収集のアンテナを高くしておきましょう。

 

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伊勢神宮で感じられたこと~それは霊感じゃないのですか

2014-05-12 23:53:24 | Weblog

 静岡の知人が出張で札幌へ来ていて、「夜会えませんか」ということで一杯飲んできました。

 釣りと自転車とまちづくりの話で一通り盛り上がったところで、一人が「昨年末に伊勢神宮へ行ったんです」という話になりました。

「昨年はお伊勢さんは二十年に一度の遷宮の都市に当たっていたのですが、伊勢神宮の総代に知り合いがいたので、拝殿からさらに中に入ることができたんです」

「それは神社フリークの私としてはうらやましい限りです」
「中に入ってみると、建て替わった新しい本殿にお参りをして、その建物をぐるっと回る道があって本殿を一回りできたんです。すると元に戻る途中で遷宮前の以前の本殿もまだ残っていて、同じつくりの建物が二棟あったわけです」

「そんなシーンは二十年に一度しか見られませんよ、うらやましい」
「ところがです。私自身はどちらかというと不信心な性質で霊感なんかないんですが、全く同じつくりの建物が二つあって見比べたときに、古い方の拝殿を見て『あ、これはまさにがらんどうだ』という印象を強く持ったんです。それに対して、新しいお社にはなんというか魂がこもっているというか、そういう感じとは全く違う印象だったんです」

「不信心な心でもそれが分かった(笑)というわけですか」
「お恥ずかしい話ですが、そんな私でもはっきりと分かりました。これはもう説明ができません。しかし、新しいお社の生き生きとした何かかがおわします、という雰囲気と、何もないがらんどうの建物というこの違いだけははっきりと分かったんです」


 不思議なことがあるものだと思いますが、きっとその場にいればこその感覚と言うことがあるのだと思います。

 かつて西行法師が伊勢神宮に参った時に、僧の身としては中に入ることがかなわなかったものの、その場にいてこういう歌を残しています。


   何事のおわしますをば知らねども
         かたじけなさに涙こぼるる


 この一首は今日でも日本人の宗教観を表す一礼として良く取り上げられます。

 西行さんもきっと何かを感じたのでしょう。

 私も二度ほど行きましたが、その清々しいこと比類なし。

 日本人ならば一生のうちに一度は是非言っていただきたい場所の一つです。
 
 

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