昨日書いた小林先生のお話にはインスパイアされるところが多くありました。
地域のことをよく知るというのは生涯学習の基本なので、まずは客観的な自分たちのことがら、つまり自然環境、土地柄、歴史、観光、産物などについてよく知る努力をしよう、ということです。
そこから一足飛びに、自分たちが幸せになりたい、町を幸せにしたい、ということがあるとすると、どういうことが幸せなのか、という目標像や定義が必要になりますが、昨日の講演会にあったように、「仕事」「暮らし」「楽しみ」という順番で充実を図ることが必要でしょう。
もし仕事はあるので、NPO的に地域を何とかしたいということであれば、暮らしをどう良くするか、楽しみをどう増やすか、ということになるでしょうし、その延長線上に余所の人を楽しませるという観光の分野にも話が及ぶでしょう。
そしてそれらのベースとしては、地域のポテンシャルを活かした経済活動が好循環になり、地域の産物が価値を高めて地元の収入に繋がるという形があるべきです。
昨日のブログを読んだある知人からは、「私は地域の産物を限定的に捉えると限界があると思うので、地域がプロデュースするものを含めて良いと思います」というアドバイスがありました。
全てを地元産にこだわるのではなく、地元が関わってともに作ってゆけるものは地域の産物としてとらえることで、対象となる幅が広がります。
例えば地域に農産物はあるが加工場がない、となれば隣町の加工場と一体となって地元の産物としても良いわけで、その逆もあり得ますね。良い考えです。
そしてそうしてできあがるものを、販路がある既存の企業とマッチングさせることで販路を開拓し売り先が広がるというわけです。
マッチングには人を介した努力が欠かせませんし、運命みたいなモノもありそうですが、やはりそこに向けて頑張るという「実践」が欠かせません。
こういう形で経済がうまく回るということは地域の活性化に寄与することは間違いありません。
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先日の話でもう一つインスピレーションがわいたのは、「日本人はコンテキスト(文脈・環境)に生きる民族だから」という言葉でした。
このことは、モノだけでなくそれを誰が作ったかとか、どんな苦労があったかといった背景情報を提供することでシンパシーを感じやすい民族だということです。
最近は農産物にも生産者の顔写真が貼ってあって、「○○さんが心を込めて作った大根です」なんて書かれると、親しみがわき、このおじさんの笑顔が見られるなら、とつい買ってしまうという効果も期待できます。
ここに介在するのは人と人との縁です。人がある場所やモノにこだわるのは何かの縁を感じるからです。
逆に言えば、「縁を感じさせればファンになってもらいやすい」ということですし、それを一歩進めれば「恩を売ればなおファンになる」。しかもそれが特定の誰かとの縁であったり、誰かからの恩という顔の見える関係性ができれば、繋がりはもっと強固なものになるでしょう。
私自身で言えば、私が数多くの土地を転勤して歩きながら、今でも掛川や釧路に未だに惹かれているのはそこに縁があっただけではなくて、恩を受けたからでもあると思います。
観光地の多くはもてなしやサービスによって多くの来訪者と触れ合っているはずですが、みすみす通過型観光にしてしまって、来訪者となんらの触れあいもないままに町を離れていってしまう観光客も大いに違いありません。
あらゆる瞬間を捉えて、縁を結び恩を売るということに、それも顔の見える恩を売り、縁が出来れば、次からは観光ではなく、「友達に会いに来る」という関係性が生まれることでしょう。
わが故郷に私を訪ねて友達が会いに来てくれるという関係性を多く作ることこそ、地域が活性化する大きな力になるのではないか、と強く思うのです。
地域には、産物も力になるしそこにいる人も力になる。
「人には恩を売れ」 これが今日のキーワードです。