北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

塗装の前にはケレンを…で、ケレンってなに?

2014-05-11 21:56:47 | Weblog

 我が家は玄関の一部に木の板の外装材を使っています。

 木材のために表面の塗装が部分的に経年劣化してみすぼらしくなってきます。

 以前から塗装をし直さなくてはと思っていたのですが、まだ釣りが本格的に始まらないうちにと、今日一部の塗装作業を行いました。

 塗装は文字通り防腐剤を「塗る」わけですが、以前の塗料を残したままその上に塗ると、表面の汚れや木部の腐食などがあって、塗装がうまく乗りません。

 塗装工事において、さび落としや脆弱な旧塗膜の除去などを行うことを「ケレン」とか「ケレン作業と言います。
 この作業をするかしないかで、仕上がりの美しさや塗膜の寿命に大きな影響を及ぼすので、実は塗装においては塗料を塗るよりもこの事前作業の方がよほど大切なのです。

 今日は木材作業で、友人から電動サンダーも借りてあったのですが、実際に使ってみるとモーター音が馬鹿でかくて近所迷惑になると判断し、ワイヤーブラシによる手作業に切り替えました。

 木の外壁は結構高さがあるので、はしごをかけてヒヤヒヤしながらの作業です。

 なんとか今日のところは塗り終えましたが、まだ車庫の扉などが残っているのでこちらは次回まわしです。


   ◆   


 …で、この「ケレン」という言葉、一体そもそもはどういう意味なのかが気になりました。

 歌舞伎などの演劇用語で「けれん味がない」というのは「ごまかしがない」というような意味で使われるとのことですが、こちらのケレンも語源は分からないようですが、塗装のケレンとは意味が違うみたい。

 塗装のケレンの語源をネットで当たると、どうやら英語の「クリーン(clean)=きれい」らしいということがわかりました。

 そしてその意味の通り、塗装の前には下地をきれいにしましょう、ということなのです。 

 ネイティブが"clean"と言う発音が、「ケレン」に聞こえたらしいのですが、当時の職人が必死で聞き取って書き留めたかと思うとちょっと微笑ましいところがありますね。

 さて、残りの部分もケレンから始めますか。

 

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実践家であれ~報徳は理屈の学問ではないのです

2014-05-10 23:45:20 | Weblog

 報徳の話の続き。

 尊徳先生は弟子として誰かを鍛えたということはなく、尊徳先生の話を聞いてそれを自分のものとして他の場所で仕法と呼ばれる地域活性化事業を行う弟子たちがいたという形でした。

 そんな中、すぐれた四人の高弟がおりなかでも『報徳記』という尊徳先生の幼い時の話から、四方によって村々を救済するときに行ったやり方や話を熱い情熱で書いたのが富田高慶(とみたたかよし:通称とみたこうけい)。

 彼は今の福島県の相馬藩出身で、江戸時代末期の反省立て直しのために江戸へ出て昌平黌で学ぶこと十年。苦学を続けたものの藩政復興のために得るものなくもんもんとしていました。

 あまりの苦学のために病気になったことをきっかけに医者から尊徳先生が荒れ地を復興させているという話を聞きつけ、「これぞ求めていた師である」と心に決め、持っていた書籍などを売り払って尊徳先生の元を訪ね教えを請いました。

 しかし尊徳先生、江戸のエリートが教えを求めに来たと聞いても「暇がない」と会おうともしませんでした。

「それならば会ってくれるまで待とう」と現地の農民の家に仮住まいし、寺子屋を開いて生活しながらその時を待ちます。

 待つこと四か月、「あの学者はまだいるか」と尊徳先生が門人に尋ねたところ、「いまだに入門したいと待っております」とのこと。「では会ってみるか」とついに面会がかなったのでした。

 そして喜んでまかり出でた高慶に尊徳先生は「豆の字を書いてみよ」と言いました。

 紙に豆の字を書くと今度は「それを馬に食わせて見よ」と言う。

 豆と書いた紙を馬が食べるわけもありませんが、すると尊徳先生「わしの豆は食べるぞ」と本物の豆を取り出しました。

 つまり、学問や理屈をいくら学んだところでそれで人や社会を助けることはできない。あくまでも実践でなくてはならん、というのが尊徳先生の教えで、これが有名な『豆の話』と呼ばれるものです。


     ◆   


 さて、尊徳先生は農村へ入って、村人を集め皆で悩みや課題を話し合うやりかたを"芋こじ"と呼びました。

 この"芋"とはサトイモのことで、樽に泥のついたサトイモと水を入れてかき混ぜると互いに擦れ合ってきれいになるということを言い表しています。

 つまり、報徳の常会は誰かからいい話を聞くだけではなく、互いに意見を言い合うことで互いの話からインスピレーションを受けて成長してゆくという形。
 今でいうワークショップみたいなものですね。

 教えというものは誰かから教えてもらえばすぐに自分の血や肉になるものではありません。
 自分が心底、「そうか、そうだったんだ」と腹の底から納得したことでなくては人間は動くものではないのです。

 現代学校教育でも「気づきを大切に」と言いますが、人に何かを気づかせるということはとても大変なこと。

 それを理屈でなく、芋こじという実践によってやってみせることが尊徳先生の実践家としての神がかり的能力でした。

 心に思ったこと、気づいたことは実践によって初めて世に役立つもの。

 やってみるという生き方、それこそが報徳なのです。

 

 

 

 

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日本が西欧の植民地にならなかったわけ~報徳から考える

2014-05-09 23:09:23 | Weblog

 今はどうなのかよく分かりませんが、かつて掛川市にいた頃に、北京大学日本文化研究所に劉金才教授と言う方がおられて、二宮尊徳の研究をされていました。

 彼は、西欧列強がアジアを蹂躙し次々に植民地化が進み中国もその例外ではいられなかった中、日本だけが西欧の植民地にならず逆に東アジアで唯一西欧と肩を並べる国となれたのはなぜかと考えました。

 そこで明治以来の日本人の実業家たちの考え方を知ろうと、松下電器の松下幸之助と豊田織機の豊田佐吉の経営思想を研究しました。

 すると驚くことに、彼らがどちらも二宮尊徳の報徳の教えを大切にしていることに気が付いたのです。

 そこで彼はそこから二宮尊徳について研究を進め、彼の報徳思想こそ、『辺境に花開いた究極の東洋思想である』と言うに至りました。

 日本を「辺境」と言うあたりが中華思想だな、とも思いますが、現代中国の経済第一主義による社会的な弊害や負の側面をこの報徳思想で救えないものか、という必死な思いが伝わります。

 中国の経済第一主義による弊害は、金が全てという拝金主義が跋扈していることにほかなりません。

 富者はあくまでも富み、貧者は貧困から抜け出すことはできません。

 中国人に「経済と道徳とどちらが大切か」と問えば、間違いなく「経済に決まっている」と答えるでしょう。

 方や日本人に同じ問いをしたらどうなるでしょう。もちろん、経済が大事だと答える人は多いでしょうが、その一方で少なからぬ人が「道徳ではないか」と答えることも予想できます。

 そしてこの「経済と道徳のどちらが大切か」という問いを二宮尊徳翁に向けたらどのような答えが返ってくるか。

 これは多くの報徳の書物にあるように、「その両方とも大事だ」と答えるに違いありません。


【掛川にある大日本報徳社の門~左が経済門で右が道徳門】

 尊徳翁は、「経済なき道徳は寝言、道徳なき経済は犯罪」と言ったと伝えられています。その真偽のほどは分かりませんが、彼の現実主義的でかつ独創的な思想を象徴的に表している言葉といえるでしょう。

 
 松下幸之助が、様々な表現をしながらも「商品を安売りするな。企業として適正な利潤はなくてはならないものだ」ということを言い続けたのは、適正な利潤を得て会社を存続させその企業活動から新しい商品を世に出し社会に貢献することが企業の使命だ、ということがわかっていたからであり、これこそが報徳でいう「経済と道徳がどちらも大切」ということに外ならないのです。

 
    ◆   


 報徳思想は、上記の二人以外にも「論語と算盤」を書いた渋沢栄一や真珠王御木本幸吉、倉敷紡績の大原孫三郎などにも強い影響を与えました。

 日本が西欧に伍していけたのは、このような強い思想をもった多くの実業家がしっかりと社会のために役立つ企業活動をつづけてきたからではないでしょうか。

 日本人は大したものなんだ、と思います。

 

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ビッグデータは社会を変える~大林組の広報誌より

2014-05-08 23:51:16 | Weblog

 先日、大林組の広報誌『季刊大林』を読む機会がありました。
 
 建設会社の広報誌というと、多くは自社でこんな建物を作りました、とかこんな橋を作りました、といったような実績を書き記したものが多いのですが、大林組の広報誌は「建設にまつわる文化を考える広報誌」と謳っているように、自社の作品を紹介するものではありません。

 今回の『季刊大林 NO.55』は"ビッグデータ"について特集した記事を掲載していて非常に面白く読めました。

 ビッグデータとは、文字通り大量の情報をデータとして活用するということですが、これにより未来の予測の精度が上がったり、わからなかったことがわかってくるというような利便の向上や新しい価値創造が期待されます。

 大量のデータをより短時間で処理できるようになったのは紛れもなく情報処理機械の能力の向上とともに、それらがネット環境で繋がっているという社会環境の変化です。
 そのおかげで、今日我々は活かされずに捨てられていた、そして今も捨てられている多くのデータから現実に起きていることがわかる時代を生きようとしています。

    ◆     

 スポーツライターの生島淳さんは、『激変!データがスポーツを進化させる』という記事の中で、「今世界で注目を集めているのがデータを駆使したドーピング検査だ」と書いています。

 そして、東京が2020年のオリンピック開催を勝ち取った勝因の一つとして、日本がドーピングに対してクリーンな国であると指摘します。日本は道徳、倫理観だけではなく、ドーピングカルチャーから距離を置いていたことが幸いしたのだ、と。

 2013年にアメリカ男子陸上選手のタイソン・ゲイ、そしてジャマイカのアサファ・パウウェルが禁止薬物に対する陽性反応を示してこの年の世界陸上に出場できなくなりました。

 このことを、この大会前に魔が差したのだろうと考えるのは人が良すぎると生島氏は指摘します。『以前から禁止薬物を使っていたと考えるのが自然ではないか?いままでは発見されなかったものが、検査技術の発達によって見つかった、それが経緯なのだ』というのです。

 ことドーピングに関しては、それに手を染める選手とそれを発見しようとする検査機関のいたちごっこがつづいていたのが、現在は検査機関が強烈な巻き返しに出ているとのことで、その決め手が「データ」なのです。

 現在、ドーピング検査の最先端を走るのは「バイオロジカル・パスポート」と呼ばれるもので、これは選手の血液を定期的に採取して長期間にわたるデータを集積していく方法なのだそう。

 世界的に活躍するような選手は十代の若いうちから採血を始め、長年にわたりデータを集積して行きます。

 そして、特定の値に異常な変化が見られたりした場合には、そこから薬物使用へのチェックを強化してより精密な検査を実施して行くのです。

 世界中の膨大な選手のデータをストックして長年にわたり管理する「バイオロジカル・パスポート」のような検査技術はまさにビッグデータの時代だからこそ生み出された技術なのです。


      ◆     


 また、情報・システム研究機構統計数理研究所副所長の丸山宏教授は、『統計的思考』という記事の中で、「白衣の天使」として知られるナイチン・ゲールが実は統計家だったことを紹介しています。

 彼女は、十九世紀の中頃にイギリスとロシアが戦ったクリミア戦争で、負傷したイギリス軍兵士の看護をする中で、戦闘で死亡する兵士よりも感染症で死亡する兵士の方が多いことに気がつきました。

 彼女の主張に対しては当初イギリス政府は「看護婦ごときに何が分かる」と強い抵抗がありましたが、彼女はそれを統計で示し、さらに数字ではわかりにくい現実をカラーのグラフにしてイギリス政府に訴えました。

 その結果、イギリス軍の衛生状態は大幅に改善されました。「ナイチンゲールは真のデータサイエンティストだったのだ」と丸山教授は結んでいます。

 ビッグデータに統計学手法を重ねることで、今まで分からなかったことが分かるようになる時代になったのかもしれません。

 興味深い話題満載の大林組の広報誌でした。 
 
 

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現代に生きる二宮尊徳~来週講演会をします

2014-05-07 23:45:23 | Weblog

 来週、ある会合で講演を頼まれています。

 テーマは何でも良い、と言われているので、それならと「二宮尊徳と彼の経済思想」ということにして、報徳論について話をしようと思っています。

 するとその噂を聞きつけた何人かから、「二宮尊徳さんですか。学校に子供の像がありましたが、そういわれると一体何をした人なのかあまり考えたことがありません」と言われました。

 二宮尊徳は江戸時代末期の農村経営コンサルタントと言ってよいと思いますが、経済的合理性だけではなく、それをもたらすのは一人一人の心根の問題だ、ということをつよく意識して村々の救済に入りました。

 彼は荒れた田んぼを見て、「田畑の荒蕪はその気になればすぐに元に戻せる。しかし本当に恐ろしいのは心の荒蕪である」と喝破しました。

 つまり、農民に明日への希望や心の安寧がなければ真剣に田畑を耕そうという気力すら生まれてこないのだ、というのです。

 今でいうところの、「モチベーションの低下」というやつです。

 彼は最初は少々高い賃金で働かせて、それでやる気を出させますが、農民の側は最初こそその駄賃で働くものの、その結果が目に見えて良い方向に向かうことが分かると、感動して喜んで自ら動くようになるのでした。

 経済的合理性の前に、いかに人の心を捕えるかにこそ地域づくり成功の鍵があるということこそ、二宮尊徳の報徳の仕法と呼ばれるものだったのです。


 今回は、そんな彼の人となりと彼に影響を受けた多くの経済人などにも触れてみたいと思います。

 御木本幸吉、豊田佐吉、松下幸之助、渋沢栄一などなど、日本で成功した経済人には彼を慕い、一流の会社経営に繋げた人が多くいます。

 北海道でも戦前から地域づくりに報徳を取り入れて、特に農村振興や酪農の世界でそれが強く用いられました。

 
 以前掛川で、大日本報徳社の社長をしていた榛村市長さん(当時)と話をしていた時に、「最近は自治体が報徳社に加盟料を支払っていることに監査の立場の人から、『なぜそんなところにお金を払うのですか?無駄な経費は削減すべきではありませんか』という指摘があるそうです」と、人から聞いた話を伝えました。

 すると榛村さんは、「今日、それを指摘されて反論したり確信を持って経費負担を継続するような人も少なくなったということかねえ。昔はそれで村が救われたんだが…」とため息をついていました。


 今日なお、二宮尊徳の報徳思想が生きるとしたらどういうところになるでしょうか。

 そんなあたりも考えてみたいと思います。 

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波平を越えていたとは…

2014-05-06 23:45:00 | Weblog

 私の両親はいずれも五月上旬が誕生日なので、ゴールデンウィークの間に私の自宅で親族を集めて誕生パーティをすることが恒例になっています。

 今年は今日がその日で、老親二人に子供が三人、その連れ合いと孫・曾孫全部合わせて12人が顔を合わせて食事会をしました。

 幸いなことに私を含めて兄弟三人はいずれも札幌市内に住んでいて、私の娘も結婚してすぐ近くにいるということで、弟に両親を迎えに行ってもらいさえすれば簡単に集まれます。

 子供の時は一緒にいることが当たり前に感じられた兄弟も、成人して互いに家庭を築き忙しくなるとなかなか会うこともままなりません。

 親を大切にしてたまに茶飲み話に訪れたりすることは大事なことだと思いますが、たまには兄弟も大事にしましょう。

     ◆   

 今日の話題で面白かったのは、「漫画『サザエさん』の、磯野波平は何歳か」というもの。

 漫画上の設定では54歳ということになっているので、私より一歳年下と言うわけ。

 二つ下の弟が「俺、今年の誕生日が来たら波平さんと同じか」と感慨深げ。

 漫画が始まったころの日本社会であれば、54歳と言うのは立派にお爺さんという常識がありましたし、子供心に磯野波平さんは人が良くてたまに威厳のある典型的な父親像でした。

 年齢的にはそこに達した今日、波平ほどには大人じゃないような気がして苦笑いです。

 そして漫画の中では波平さんの両親もフネさんの両親も登場することはありません。おそらくもういないんでしょうね。

 高齢化社会とはいいますが、未だに両親健在はありがたいお話です。

 家族・親族は大事にしましょうね。

 

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美味しい蕎麦を打つためのアドバイス

2014-05-05 23:17:24 | Weblog

 掛川の知人から、「最近妻が蕎麦打ちを始めたのですが、どうも美味しくないのです(笑)美味しい蕎麦のためにはどのあたりにコツがあるのでしょうか。汁の作り方も教えていただければ幸いです」というメールが来ました。

 いろいろとお世話になった方なので、何とかしてあげたいと思うのですが、手の技は目で見て実際にやってみてナンボのところがあるので、文字だけで伝えるのは至難の業です。

 それでも文字で書ける数少ないアドバイスと言えば、なんといっても、『美味しい蕎麦粉を手に入れなさい』という一言。

 美味しい粉というのは、美味しい産地の蕎麦粉を挽き立ての状態で手に入れるということです。手打ちそばの技といったところで、所詮口に入るものは蕎麦粉を茹でたものなのでこれが不味ければどんな蕎麦打ち名人だって美味しい蕎麦は出せません。

 美味しい蕎麦粉さえ手に入れば、美味しい蕎麦の必要条件の80%は超えたと言って良いと思います。

 ではどうやってそれを手に入れるか。スーパーで売っている蕎麦粉は論外として、産直市での蕎麦粉も良さそうですがいつ挽いたのかが分からないのでお店の人に確認して買いたいもの。

 蕎麦イベントで100人前以上打つようなときは、信頼できる製粉工場から10kgの袋で買ったりしますが、我々素人がちょっと手打ちで食べてみようというくらいなら、食べて美味しかったお蕎麦屋さんと仲良くなって、そこから売ってもらうのが一番確実な方法の一つです。

 そういう意味ではまずは「蕎麦が美味しい」ということが分からないといけませんし、やっぱりまずはお蕎麦屋さんを食べ歩かなくてはなりませんね。

 美味しいお蕎麦屋さんは粉の産地や挽き立て状態にこだわりがあるので、美味しい蕎麦粉が手に入ります。

 本当はそれだけでも良いのですが、蕎麦打ちの技を身につければ、一つのお店の味だけではなく蕎麦粉に浮気をしていろいろなところのいろいろなお蕎麦を食べられるというわけ。そういう技があるとやっぱり便利です。

    ◆   

 それが一つ目のアドバイスとして、二つ目のアドバイスは、『掛川にいるのですから、掛川蕎麦研究会のイベントに参加してコツを教えてもらうと良いですよ』というもの。

 徒然草にもある通り、「何事にも先達はあらま欲しきことなり」なのです。


    ◆   ◆   ◆

 さらに汁ですが、"かえし"と出汁の組み合わせなので、それに適した材料とその分量で味も千差万別に変化します。このあたりもコツは先達に訊くに限ります。

 掛川ならば伊藤鰹節店という良いお店がありますが、札幌で私が頼りにしているのは白石区菊水にある『大熊商店』さん。

 こちらは先代が高知県のご出身だそうで、質の高い鰹節が手に入ります。

 また北海道蕎麦研究会とも仲が良くて、鰹節だけでなく醤油、みりん、ザラメ砂糖と"かえし"に必要な材料も売っていますし、美味しい汁の作り方レシピも教えてくれます。

 こちらの鰹出汁で蕎麦汁を作ってみましたが、やはり格段に美味しくて大満足です。

 肝心の大熊商店さんはこの情報時代にホームページひとつなく、商売をする気があるのかね(笑)と心配になりますが、品質は蕎麦研メンバーのお墨付きです。

 こういうお店にたどり着くのも実は人の繋がりがあればこそなんだと思います。

 お店で商品を買い求めるときでも、蕎麦研の名前を出すだけでお店の方の(なんだそうなの)という笑顔で話が弾み、予期せぬ深い情報なども手に入ったりするのです。

 

 蕎麦打ちでも釣りでも、分からないことはどんどん人に訊いて納得を繰り返しましょう。

 人生は案外短いもの、躊躇している暇はありません。
 
【大熊商店(タウンページより)】 http://bit.ly/SsAXXp

 

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人にアドバイスをするために必要な事

2014-05-04 22:22:46 | Weblog

 日本経済新聞の一番後ろのページは文化面。

 ここに『私の履歴書』という、各界の有名人がその振り返って語るコーナーがあります。

 五月に入って今はプロゴルファーのトム・ワトソン選手が思い出を語っています。

 一人は30話で完結しますが、トム・ワトソン選手は今日現在でまだ四話目。これからが楽しみです。

 さて、昨日の第三話と今日の第四話に印象的なシーンがありました。

 一つは昨日の第三話で、15歳の時に憧れだったアーノルド・パーマーとエキシビジョンマッチを行った時の話。

 最終スコアはパーマーが68でワトソンが74。プレー後に、ロッカールームでシャワーを浴びていたパーマーに、ワトソンの父レイが声をかけました。

『アーニー(アーノルド・パーマーのこと)、息子のトミーがもっと良い選手になるために、一つだけやることがあるとしたら、それは何だろうか』
 パーマーは即座に『できる限り、彼を競わせることだ』と答えました。

 彼が言いたかったのは、より競争の激しいところでプレーを重ねれば、それだけプレッシャーに打ち勝つ方法を身につけられるということで、ワトソン自身、その言葉を『パーマーの言葉は今振り返ってみても、とても価値ある金言だったと思う』と回想しています。


     ◆  


 そして、もう一つ印象的だったのは今日の第四話目のエピソード。

 スタンフォード大学に進学し、ゴルフ部に入った彼は四年生になって一人で真っ暗になるまで練習していた時にふと、『自分の職業はゴルフ場の中にある』という思いに強くかられます。

 そして11月末に自宅のカンザスに戻った時、彼は父に『父さん僕は決めたよ』と切り出しました。

『何を』
『プロになるよ』

 すると彼の父はこう言いました。
『それはいい決断だ。なぜなら、今、それを決断しなければ、この先ずっとお前は自分がそれ(ゴルフ)をできたかどうかを悔やむことになるだろうからな』

 
      ◆   ◆  


 この両方のエピソードに共通しているのは、訊かれたことにすぐに答えが用意できているという心構えです。

 多少の脚色はあるかもしれませんが、訊かれる前からそのことを考えている心の準備があるからこそすぐに答えが出てきている。

 人にアドバイスをするためには、それだけ深く相手のことを考えていることが必要なのだなと感心したのです。

 "普段から深く物事を考えている"

 そういう生き方をしたいなあと思います。

 

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川が魚が待ってるぜ~休日はフライを巻いて

2014-05-03 23:23:13 | Weblog

 今日は休日らしく頭休めの一日です。昨日フライキャストの練習をしたために、俄然釣りマインドが盛り上がってまいりました。

 少しはフライを巻いておこうと思って、"ハルゼミのフライ"をネットで探してみたところ、梱包材の薄いシートを使ったカゲロウのフライを作っているサイトを見つけました。

 妻に材料が家にあるかと探してもらったところちょうど良さそうなものがあったので、練習を兼ねて3本ほど巻いてみました。

 コカゲロウの亜成虫(ダン)という感じでしょうか。

 フック(釣り針)にマテリアルを巻いて直接ボディとするのではなく、シートで作ったボディをフックに巻きつけるというのが面白いですね。

 三本目は芯に銅線を入れて、しなりをつくれるようにしてみました。このあたりはバリエーションにトライです。

 白い色のシートなのでマーキーか何かで色を付けた方が良さそうです。

 今日は練習なのでいろいろトライして形が決まってきたら量産してみて、実際にシーズンの川で試してみることにします。

 魚が出そうな気がするなあ。

 

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春だ、キャストの練習だ

2014-05-02 23:45:29 | Weblog

 陽気の良い五月晴れの一日。

 釣り好きの大人たちが集まって、新しくフライフィッシングを始めた仲間への手ほどきです。

 世界中を釣りして歩いた名人から、釣竿を作ってしまう人、大会上位の常連など、この世界の猛者が集まってまずはキャストの練習だというので、これ幸いと参加して一緒に教えてもらいました。


「小松さんは川幅の広い道東の川で長く釣っているから、見ていると魚に向かって攻めるような釣りをしているように見えますね」とは指導をしてくれたZさんの弁。

「全ての川がそうではないし、小さな川に対しては攻めるのとちょっと違って柔らかくフライを落とすような技術を身に着けると、魚の出方が変わると思いますよ」

 今日はそんなことで、柔らかく上からフライを落とすようなキャストについてじっくり教えてもらえて、引き出しが一つ増えました。

 "フォール"と呼ばれる、ラインを手で引っ張ってフライを遠くへ飛ばす技術も、場面を選んで上手に使えば有効だということも分かり、引き出しが一つ増えました。
 いくら本を読んでもこればかりはわかりません。実践こそ力です。


     ◆   


 ゴルフでも蕎麦打ちでも習い事はみなそうですが、新しく何かを始めるときには先達に教えを乞うものです。

 まず一人の人にみっちりと教えてもらうと、そこそこに何とかなるものですが、そこで留まっているとそれから先の自分なりの工夫の段階にはなかなか到達しません。

 大事なことは多くの先輩に教えを乞うて、たくさんの視点や考え方を教えてもらうこと。

 ただ、一人一人の考え方や技術はその人の中では完結しているものなので、それらすべてを自分に取り入れることはできません。中には矛盾した考え方もあったりするからです。

 何を重視し、何を捨てるかも、人それぞれ。

 多くの人に教わって、一度できた自分の型を壊し、新しいものを取り入れて自分なりの工夫を凝らして一段上の高みに到達するには考えて実践して得たものを自分のモノにしてゆく過程が欠かせません。

 まさに「守・破・離」の成長の段階がここにもありますね。


     ◆   


 そしてなんだかんだいいながら、最後は道具の品評会。

「このリールのドラグの強さはいいね」

「これは癖のあるロッドだなあ」

「ラインもこういうものの方がいいんじゃないかな」

 
 何気ない会話から、道具を選ぶときの視点やら良い道具とは何かということに考えが及びます。

 今回新しく入手した新しいロッドも周りでは好評でした。もっとも、「釣りは道具じゃないよ(笑)」という人もいて、この価値観もまた十人十色。

 自分なりの哲学が固まるのはまだまだ先のようです。

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