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P.266 人生とは、いまこの瞬間をくるくるとダンスするように生きる、
連続する刹那なのです。そしてふと周りを見回したときに
「こんなところまで来ていたのか」と気づかされる。
こういう例えは分かりやすくて、好きです。
バイオリンというダンスを踊ってきた人のなかには、そのまま
プロになっている人もいるでしょう。司法試験というダンスを
踊ってきた人のなかには、そのまま弁護士になっている人も
いるでしょう。執筆というダンスを踊り、作家になった人も
いるかもしれません。
もちろん、それぞれ別の場所に行き着くこともあります。
でも、いずれの生も「途上」で終わったわけではない。
ダンスを踊っている「いま、ここ」が充実していれば、
それでいいのです。
しかし・・・下記の意見には異論があります。
(中略)ダンスにおいては、踊ることそれ自体が目的であって、
ダンスによってどこかに到達しようとは誰も思わないでしょう。
無論、踊った結果としてどこかに到達することはあります。
踊っているのですから、その場にとどまることはありません。
しかし、目的地は存在しないのです。
いやぁ・・・・私はヘタな踊り手だけど、
「美しい動きを会得する」という大命題があるのです。
どうやったら、しなやかに動いて、「天女のような気分になれるか?」
バーレッスンの最中でさえ、そんな考えがよぎることがあります。
どうやったら、ぶれずに回転できるのか?
ある人は、その様を「集中力がない」とか「頭を使い過ぎ」と言います。
偉大な師匠からモノごとを学ぶときは、
「集中して、頭で考え過ぎない」ことが大事だと。
そういう意味で、私はその分野では失格らしいです。
でも、認めてくれる人が居るうちは、頑張ります。
いえ、誰も認めてくれなくても、一人でやる分野なら、
<踊りたい時は、踊り><歌いたい時は、歌い>
書きたいことはシナリオに残していくでしょう。
おやまぁ・・・
見事、アドラー先生の術にはまりこんでしまった私。
異論があったはずなのに、認めてしまっています。
〇〇しているのですから、その場にとどまることはなく、
しかし、目的地は存在しないのです。
昨日、少し悲しいことがあったのですが、
少し気分が晴れてきました。