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岸見一郎氏(哲学者)と 古賀史健氏(ライター)の対談形式の本。
「何故生きるのか?」という問いは、お釈迦様の時代も、
いえ、多分それよりずっと前から人々の心の疑問だったはずです。
哲学者で、アドラー心理学の研究者である岸見氏は解説しています。
P.79 人は無力な存在としてこの世に生を受けます。
そしてその無力な状態から脱したいと願う、普遍的な欲求を
持っています。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼びました。
簡単にいうと、
「向上したいと願うこと」「理想の状態を追求すること」
これらを遂行する上で必要なことは、
P.109 行動面の目標として
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
この行動を支える心理面の目標は
①「私には能力がある」という意識、
②「人々はわたしの仲間である」という意識
P.110 これらの目標は、
アドラーのいう「人生のタスク」と向き合うことで達成できる
P.111 <人生のタスクを>3つに分けると
「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」
言い換えると、
<ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、
直面せざるをえない対人関係>のこと。
考察を心理学という学問で語るには、言葉の規定が必要なのでしょうが、
あぁメンドクサ!
何でこう、当たり前のことをぐちゃぐちゃ定義しなくちゃいけないの?
というのが、単純な私の率直な感想です。
私にとっては、
嫌われようが何だろうが、「やりたいことを貫く」のは、当たり前。
でも、そのように思えない(やれない)人が居ることも事実・・・
(私だって学生の頃は<無力感と焦燥感>に苛まれていました。)
じゃあ、「嫌われたくない、という執着(?)」は若さの印?
そういえば去年、
「嫌われ者のガンコ婆さん」がテーマのミュージカルをやったっけ・・・・
彼女は「自立はしている」けれど、
「周囲の仲間が好きなカラートマト」が嫌いだから、社会に溶け込めない。
「美味しいトマトを作る能力がある」と自負しているが、
「人々は私の仲間ではない」と思っている。
ミュージカル(←特に中高年の)はHappy endにする必要があるので、
「迎合する必要はない」けれど「食わず嫌いからくる勘違い」は避けたい。
という結論に無理やり持ち込んだ記憶があります。
詰まる所、人は「分かり合える仲間が存在する」ということが幸せで、
そのためには<不断の努力>が必要らしいです。