蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

働く人々 ベトナム編

2007年03月26日 | 安曇野を離れて
ベトナムは想像より豊かだった。ほんとの意味で発展途上国だと思うし、あのベトナム戦争の悲惨さを全面に出していないのが不思議だった。むしろ若者はアメリカへ憧れの眼差しで見つめている。戦後の昭和の日本に似ている。
外国人年配観光客も多く、アメリカ人だったら、あの戦争に巻き込まれた人もいるはずだろう。十数年前、ニューヨーク・ブロードウエイのミュージカル「ミス・サイゴン」を鑑賞した時、後ろ席のいかついおじさんが鼻を啜っていたのを思い出した。
日本の紳士方が期待するアオザイ女性はレストランや土産屋などのサービス業と高校生の一部くらいだった

ハロン湾に浮かぶ奇岩(ニワトリ形)あいにくの曇天&小雨

写真左:小さいボートの親子が近寄ってくるのが見える
写真右:湾の船室で食事中ボートから這い上がってバナナを売る少年

写真左:喧騒の町中ではオートバイが数珠繋ぎ、職場へ向かうカップルか?
空気が悪いので月光仮面のおじさんやおばさんやお姉さんがいっぱい走っている
写真右:ベトナムならシクロ体験でしょう。自由時間を利用して20分くらい乗る
自転車タクシーだが、乗る前に行き先と値段を交渉しておいても、降りる時にはもっと出せと粘ること粘ること。おばはんだと思って甘くみちゃいけないよ!インドで経験済みだい、その手にはのらないぞ。ってことで適正価格ではないが、約束価格で楽勝。
”微笑みのベトナム”なんぞ都会の道路にはない!

写真左:街にはサイゴン川が流れ、遠くに有名企業の看板がならぶ
写真右:そして不謹慎だが住宅の彩りが、ちょっとまずいホテルにそっくりな建物が・・・

色はともかく鉛筆のような建て方と奥行きの長さは地価の関係からか伝統的なものらしい。隣同士がくっついているので、大方の建物は正面だけを色彩している。通勤圏では建設ラッシュの様相だった

それでも人々は喧騒のなかで働いている

写真左:朝食は屋台で・・の習慣だそうで露地では店が軒を連ねる。炭で炊くご飯屋さん
写真右:懐かしい路上散髪屋さん

写真左:托鉢の尼僧は裸足だった
喜捨すると手振りで”あなたが幸せであるように・・”。と祈ってもらったと勝手に納得する
写真右:すぐそばで厚揚げ豆腐を揚げて売っていた
長い中国の統治時代を経験しているベトナムではあれやこれや中国文化がてんこ盛り

アジアでおなじみのドラゴンフルーツ。この婦人は3種類の商品だけを販売
カットしてもらって部屋で食べました。な~んだホテルの食事によく出たものじゃないか!

実は働く人々のなかに撮影できなかったシーンがあります。
ベトナム戦争時、アメリカの枯葉剤投下によるハンディキャップを持つ多くの人々が刺繍や石工や縫製技術を学び、生活の糧としているセンターがありました。


沙羅双樹の花を見たことがありますか?
これです。開ききってますが、仏教聖木の一つで平家物語の冒頭の「祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり,沙羅双樹の花の色・・・」寺院の庭に落下した花をこっそり持ち出し、笠に入れて撮影したものです。この笠はカンボジアで大活躍します

以上移動中のバス車内・船内からと、早朝のホテル近辺散策での報告でした

おまけ:添乗員さんのお薦め土産
   《VietNam JackFruit chips》 
コメント
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