蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

ホーム生活を愉しむ

2012年12月05日 | 介助ときどき日誌
11月末のある朝


東向きの部屋だから「綺麗な朝焼けやったねぇ」と電話するも「ぐっすり寝てて気づかなかった!」
結構なことである。

母はホーム生活に随分慣れてきた。私の目測を超えて胸の奥には深く思うところがあるだろう。きっと。
しかしお仲間の方々が声をかけてくださるようで、いつもいい顔をしているのは嬉しい。

信州の冬対応に必要な衣類の調達や、いろいろな事務処理など私も慣れてきた。

いまでは大阪時代から転送される各種郵便物の運搬屋になりつつある。

先日、年に一度の、ホームの現状と今後の計画の報告会が開催された。

参加者は少なかったが新参者には、参考になることがらに『なるほど』と役立つ。

年間行事のビデオ上映の中に、入所後2ケ月で母の登場が3シーンあり、まるで保育園の保護者の心境である。
おそらくスタッフが編集に気配りをしてくださったと、ありがたく鑑賞した。

細かいことを言いだしてはキリがない。スタッフの手不足を感じることもあるが、大変な仕事ばかりである。
本人も「私はまだ元気ですから、出来る間は自分でします」と、乾燥済みの洗濯ものの片付けやタンスへの収納は自身でやっているらしい。

それでいい。

ポストマンよろしく部屋に立ち寄ると「お茶をたてようか」と面倒がらず嬉々として準備する。
のせられてついつい時間を過ごす。



薪ストーブ焚き始めたし、昼ごはん一緒に食べない?
誘っても「風邪ひいてホームに迷惑かけたらいけないからやめとく。こちらの食事もおいしいしね」

あっそう。

お仲間の認知症の婦人が同じことを何度も母に注意することがあり、私もこうして老いてゆくんだねーと、しみじみ話す。
慣れない母に注意する親切心だと理解出来る。

居心地が良いんだろう、いや居心地良く過ごすための努力もしているんだろう。

今さらながら、遠かった老親娘の距離が手繰り寄せられている感じ。




コメント (2)
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