蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

八坂村の「郷土かるた」

2005年11月03日 | 安曇野とその周辺
10月26日
郷土かるたの存在を知ったのは安野光雅著「安曇野」P36の紹介で、
かるたが出来たのはたぶん40年くらい前の話です

八坂村教育員会発案の「郷土かるた」を穂高出身の当時の美術教師・井上武美さんが
生徒に作らせた版画である。
詞句は村民から公募、八坂中学校生徒の版画がいい味わいの絵です。

そのコンセプトは「豊かな自然の中で、時には厳しい自然とのたたかいを経て、
幾世代にもわたって育まれてきた、村の生活や文化遺産を大切にして、その上に
さらに新しい伝統を加えていくこと、それが現在に生きる私達の務め」
(安野光雅著「安曇野」から転載)

八坂村の郷土かるたは今でも八坂村役場(電話0261-26-2001)で販売している。
1700円
役場の職員は一呼吸し気の毒そうな声を出した。ちょっと高いな!を電話口で読まれたみたい。
因みに18年1月1日をもって大町市と合併になるので、「八坂村かるた」は今年中に
買いたいものだ。と考えていたら、追いかけ「新そば祭りに来ませんか?11月6日までです」
女性職員のSさんはなかなかの腕っこき職員のようです。
会場は村内の「明日香荘」 そこではかるたは販売していません!
見るだけならどうぞと、八坂中学校。

八坂村を安曇野として紹介するのは少し方角が違うという意見もあるかもしれないが、
大目にみてほしい。このあたり一帯を支配した仁科氏が南下して安曇野を開拓したという説も
あるのだから。手に入り次第写真紹介します。まずは行ってきます

11月1日霧の朝、後

初めて霧の朝を迎えて(写真:最寄り駅午前7時40分)大町へ向かう


坂また坂の山の中「八坂村」は大町市から車で15分くらい(大町駅から村営バスも運行)にある。
八坂村は紅葉真っ盛りで、行き交う人も少ない静かな村です。
のどかな山の村役場     


写真左:コミュニティセンター アツキ全体(村民や観光客向けの情報センター)
写真右:ドーム部分拡大

ドーム部分の下は図書館になっていて、広いガラス窓から紅葉の谷あいが見えました。
木と石を使った立派な建物です

かるたを買ってきました
どの絵柄も詞句も良くて選別に困ったので、とりあえず「あ」と「わ」を紹介



「赤々と 天を焦がして どんど焼き」
 今は焚き火も禁止になりましたが村ではどうだろう?勢いのある炎がいい

「私らは 村に残ると 若夫婦」 
 櫛の歯が抜けるように過疎化が進む村だったのだろう。
 村に残ってくれる若夫婦を誇らしげに詠った老親の様子が目に浮かぶ

やはり紹介したいカードが・・・・


「炭やいて この谷老ける 人もなく」
 現在の炭ブームを予見したかのような一句
 防湿・防カビ剤 香料 石鹸 木酢液etc

「雪深し 明日は楽しい うさぎ狩り」 
 躍動感いっぱいの元気なうさぎが素晴らしい。作者はきっと生き生きとした中学生なのだろう

文化芸術の質の高さに唸る
残りわずかの「八坂村の郷土かるた」は、売り切れごめんの貴重品です。
 
9月1日現在の人口が、1,128人 男女の比率があまり変わらない。
バランス感覚のよい村のようです
もっともっと紹介したいのだが、スペースの都合上ここまで

平安時代創建とされる「藤尾覚音寺」
金太郎とその母大姥様が棲んでいたという「大姥山」などなど観光名所もあります
金太郎さんは大姥と有明山の八面大王との間に生まれた力持ち坊やという伝説の子。
わが有明山と因縁浅からず・・・が面白い

つい最近、あの懐かしいアニメ「まんが日本昔ばなし」が再放送されています
TBS系、水曜日18時55分から30分
坂田の金時も、龍の子太郎も、伝説だからきっと似たような話は全国にいくつもあるのでしょう

山村留学で話題になった村でもあります
当日の夕焼けは、朝方冷え込みのプレゼントでした
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