蔵くら日記

人生最後の数年を田舎暮らしで。2004年4月、実現のための行動開始!それは思わぬ展開でスタート・・。今では安曇野三昧

『なな色の空』村上真平さん

2011年11月28日 | 安曇野とその周辺
初冬です


燕岳も爺ケ岳も鹿島槍ケ岳も冠雪していますが、デジカメ故障により素晴らしい画像はしばしお預け


11月27日(日)安曇野市三郷公民館での村上真平さんの講演会
「福島原発被災地の農民の声を聴く」

3.11の地震と津波の被害よりもっと大きな災害、原発事故に遭遇した体験談と
自然農法によって環境破壊をなくす・・・など。

福島県飯館村で、10年かけて築き上げた自然農法による農園経営と自然食レストラン。
研修生受け入れの人材育成などの夢が『なな色の空』
原発事故でふっとんでしまった。

※現在も『なな色の空』として、新しい活動をしておられます。

テーマをまとめると
■「自然を収奪しない」
20年間のアジアでのNGO活動を通じて感じたことは、森林を伐採し土地はやせ細り、人を搾取する。
自然をこわさず、いくつかの家族でのコミュニティ作りと自然農法の実践。

■「原発を止めることは最低限の条件」
日本人一人ひとりが原発はいらないと宣言すれば、原発はなくなる。
福島だけの事故と思わないでください。
もし若狭湾で原発事故が起こったら、放射能はどこへ行く?

パソコンを使ったシュミレーション画像を、スピーディで見て驚きました。
福島原発事故の放射能は太平洋上へ流れた。
日本海側の若狭湾での事故なら偏西風にのって岐阜県、長野県、名古屋方面、東海地方~関東方面----に
放射能汚染が広がる予想図だった。

■「もう飯舘村には戻れない」
事故情報を入手しながら、山形、静岡と避難し、16日には伊賀市愛農学園高校(村上さんの出身校)に寄宿し、
その後近くの古民家に定住。
情報収集にはバッテリーを交流変換し、停電時もインターネットニュースで得ていた。
(早い段階で)飯舘村の放射能汚染は、人が住めるところではなくなってしまったと確信する。

新聞やテレビ報道だけでは知り得ない事実がここにはあった。
出来るだけ正確な情報を得ること、想像力と予見力を磨くこと、自分の目と耳と頭で考えること。
本日学んだことです。

参考
Asahi.com記事

講演依頼は
原発について、自然農について、エコビレッジ作りについて
電話/Fax:0595-55-2310
e-mail:shinpei-m@hotmail.co.jp
住所:三重県伊賀市高尾床並861

余談
この講演会に誘ってくださった方とは、面白い偶然からだった。
数日前中房川の土手で、堆肥用のクヌギの枯葉を収集していた時、
「少しでも有機農法に近づきたいと思って・・・」から始まった。
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